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黒疫(くろえ) -異能力者たちの群像劇―  作者: くろすろおどtkhs
多濡奇(たぬき):カラカス2
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戸惑いとためらい

 出来上がったバナナ・パイの試作版、つまり小ぶりな方を切り分けて皿に盛り、ガブリエルさんに差し出す。ちょっとおずおずとしてしまうのは、味に自信が無いためだ。

 いや、レシピは保育所の講座とおりだから間違いは無い。が、色々とアレンジをしてしまった。


 もちろんわたしは料理をすれば生物兵器を作ってしまうとか、そんなファンタジックな人間ではない。

 が、国籍というものがある。ベネズエラの人々は甘党だ。それは国民的に。

 なのでレシピよりも甘くした。生地もクラッシュクッキーではなく、アレパ、トウモロコシ粉のガレットを砕いた。妊婦さんであるファナちゃんの胃に重くないように、生クリームではなくココナッツクリームを使用している。ただ乳製品的なコクも必要なのでヴァニラ・アイスを溶かした物をまぜまぜした。

 製菓に必要なエッセンスが一通り使われているヴァニラ・アイスは、面倒くさがりのわたしが生活で編み出した知恵の1つだ。

 作るよりも食べる方が好きなわたしだが、たまに保育所の講座で学んだ懐かしの味が恋しくなり、作ろうと思い立つ。が、なんせ色々人見知りなわたしは、店員の視線からも外れがちであり、色々面倒くさい。

 そこで買い物を短縮するにはいかようにすれば良いのかを、真剣に考えた。結果、クリームやらヴァニラエッセンスやらがオールワンであるヴァニラ・アイスにたどり着いたのである。


 ガブリエルさんを投げ飛ばした際にバナナがたくさん潰れたので、クラッシュガレットの底に敷くバナナは多目にした。ココナッツクリームと溶かしたアイスクリームのブレンドに、投げ飛ばしの悲劇から生き残ったバナナをスライスし、変色を防ぐためにレモンをふりかけて敷き詰め、冷蔵庫でしばらく冷やす。


 こうして出来たバナナ・パイがのった小皿を、わたしは恐る恐るガブリエルさんに差し出した。

 

 ガブリエルさんは勿体(もったい)ぶった顔で受け取り、パイの先端の三角をフォークで切り分け、刺し、口に運ぶ。

 

「……」

 

 彼の心音が驚愕を刻んだ時、わたしは思わず両手の指を組み合わせて、南米カソリックの女神、サンタ・マリアに祈りたくなった。


「美味い」

 ガブリエルさんが、吐息を漏らすように声を出す。視線はパイに注がれている。


 わたしは安堵した。


「多濡奇さん。これ、美味いな。めちゃくちゃ美味いなっ」

「良かったです。お口に合わないかと、少し不安になってしまいました」

「そりゃあ、心配のし過ぎだ。女らしいにもほどがあるぜ」

 

 ……わたしに投げ飛ばされておいて、よく言うものだ。

 が、全然悪い気がしない。むしろとても嬉しい。

 だって、彼の心音は嘘も、おべっかも帯びていないからだ。


 彼は本当にわたしのバナナ・パイを美味しいと思ってくれているし、お菓子を作るわたしを女らしいと認識してくれている。


「ココナッツクリームの舌触りが、なんつうか、絶品だな」

 ガブリエルさんは、にかっ、と笑った。


 わたしは彼のこの顔を夢に見た。

 印象に残る笑顔だ。色気もへったくれもない。純粋な笑顔。


 ……どうやら、わたしは彼のこの顔が好きらしい。


 - いや、顔も、か。ー


 辛くて視線を小屋の闇にそらす。

 ガブリエルさんの小屋には照明は暖色のランプだけだ。

 これは襲撃に備える意味もあるのだろう。夜目につかない、質素な(たたず)まいの煉瓦(れんが)の小屋。

 アンモニア臭の溢れたバリオスだが、彼の家の中は、ミントのすっきりとした香りがする。

 そしてトウモロコシ、アレパの甘い香りも。


「それは、良かった、です」

 噛み噛みになってしまったのは、アレパみたいな甘い感情が胸に満ちて、ちょっと恥ずかしくなってしまったからだ。

「これは毎日食べたい品だぜ」

 

-あ、嬉しい。-


 知の共有。カラカスに来た甲斐があると思う。

 わたしはぱっ! っと顔を上げて、笑顔になった。


「レシピ書きますね」

「いや、気持ちだけで良い」

 ガブリエルさんが視線を逸らした。

 立ち上がり、珈琲をカップに注ぐ。


 わたしに手渡しながら、気まずそうに言葉を続けた。

「菓子作りは苦手でな。まあ、料理もだが。自信があるのは珈琲の入れ方くらいだ」

「なるほど。では、できるだけわたしも来て、料理しますね」


 何気ない言葉だった。

 けれど、ガブリエルさんの心音ははねた。

 驚きと、甘さを帯びた悲哀。そして歓喜。


「ファナちゃんの為ですよ。料理が苦手な貴方がちゃんとした物を食べないで、色々参ったら、ファナちゃんは困ってしまうでしょう」

 言ってから、言い訳としては苦しいなあ、と思いつつ、カップに口をつける。

 目は自然に伏せられる。


- 確かに、この人の珈琲は美味しい。-


 美味しい珈琲を入れるのも、いい男の条件なのだろうか。


「そうだな。助かる」

「いえ。こちらこそです。……ファナちゃんの所にいきましょうか。待っているかも」

「ああ、そうだな」

 わたしたちは同時に微笑み、視線を交わし、同時に立ち上がった。


 息のぴったりさに少し驚き、それから今朝のイングニスご夫妻を思い出し、頬が熱くなった。

 あの時は恥ずかしかった。


 その原因(もと)となった彼と、小さいけど一つ屋根の下にいる。

 不思議だが不快ではない。むしろ心地よい。


- でもこれは、九虚君に対する裏切りかもしれない。-


 罪悪を感じる。

 色々なことが分かってきた。

 わたしは九虚君が好きで、ガブリエルさんが好きだ。


 この情けない状態でも、わたしはしっかりとした『自分』を保ちたい。

 では、どうすれば良いのか。


「ファナもめちゃくちゃ喜ぶと思うぜ。口の中が天国(パライソ)になっちまうからな。このパイは」

「だと嬉しいです」

 ファナちゃんに届ける分のバナナ・パイをラップにくるみながら、わたしはそう返事をした。

 そんなわたしを、ガブリエルさんは、じっと見る。

 視線はとても優しい。

「俺はあんたに嘘は言わねえよ。おべっかもな」


 知っている。そう、知っているからわたしは揺れてしまうのだ。


 ……対策を練らなければいけない。

 ガブリエルさんに揺れるわたしと、グラシオさんを『助けた』わたしに。


 何かが起きているのだ。よく分からない何かが変化している。それは恐らく九虚君がくれた変化だ。

 だからこそ、わたしはこれにちゃんと向き合う必要がある。


 そう。

 変化は戸惑いためらうものではない。

 それは純粋な事象だ。


 事象に恐れている暇があるなら、対応を真剣に考えるべきなのだ。

 その努力は恐らく案件の成功にもつながるのだろう。

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