戸惑いとためらい
出来上がったバナナ・パイの試作版、つまり小ぶりな方を切り分けて皿に盛り、ガブリエルさんに差し出す。ちょっとおずおずとしてしまうのは、味に自信が無いためだ。
いや、レシピは保育所の講座とおりだから間違いは無い。が、色々とアレンジをしてしまった。
もちろんわたしは料理をすれば生物兵器を作ってしまうとか、そんなファンタジックな人間ではない。
が、国籍というものがある。ベネズエラの人々は甘党だ。それは国民的に。
なのでレシピよりも甘くした。生地もクラッシュクッキーではなく、アレパ、トウモロコシ粉のガレットを砕いた。妊婦さんであるファナちゃんの胃に重くないように、生クリームではなくココナッツクリームを使用している。ただ乳製品的なコクも必要なのでヴァニラ・アイスを溶かした物をまぜまぜした。
製菓に必要なエッセンスが一通り使われているヴァニラ・アイスは、面倒くさがりのわたしが生活で編み出した知恵の1つだ。
作るよりも食べる方が好きなわたしだが、たまに保育所の講座で学んだ懐かしの味が恋しくなり、作ろうと思い立つ。が、なんせ色々人見知りなわたしは、店員の視線からも外れがちであり、色々面倒くさい。
そこで買い物を短縮するにはいかようにすれば良いのかを、真剣に考えた。結果、クリームやらヴァニラエッセンスやらがオールワンであるヴァニラ・アイスにたどり着いたのである。
ガブリエルさんを投げ飛ばした際にバナナがたくさん潰れたので、クラッシュガレットの底に敷くバナナは多目にした。ココナッツクリームと溶かしたアイスクリームのブレンドに、投げ飛ばしの悲劇から生き残ったバナナをスライスし、変色を防ぐためにレモンをふりかけて敷き詰め、冷蔵庫でしばらく冷やす。
こうして出来たバナナ・パイがのった小皿を、わたしは恐る恐るガブリエルさんに差し出した。
ガブリエルさんは勿体ぶった顔で受け取り、パイの先端の三角をフォークで切り分け、刺し、口に運ぶ。
「……」
彼の心音が驚愕を刻んだ時、わたしは思わず両手の指を組み合わせて、南米カソリックの女神、サンタ・マリアに祈りたくなった。
「美味い」
ガブリエルさんが、吐息を漏らすように声を出す。視線はパイに注がれている。
わたしは安堵した。
「多濡奇さん。これ、美味いな。めちゃくちゃ美味いなっ」
「良かったです。お口に合わないかと、少し不安になってしまいました」
「そりゃあ、心配のし過ぎだ。女らしいにもほどがあるぜ」
……わたしに投げ飛ばされておいて、よく言うものだ。
が、全然悪い気がしない。むしろとても嬉しい。
だって、彼の心音は嘘も、おべっかも帯びていないからだ。
彼は本当にわたしのバナナ・パイを美味しいと思ってくれているし、お菓子を作るわたしを女らしいと認識してくれている。
「ココナッツクリームの舌触りが、なんつうか、絶品だな」
ガブリエルさんは、にかっ、と笑った。
わたしは彼のこの顔を夢に見た。
印象に残る笑顔だ。色気もへったくれもない。純粋な笑顔。
……どうやら、わたしは彼のこの顔が好きらしい。
- いや、顔も、か。ー
辛くて視線を小屋の闇にそらす。
ガブリエルさんの小屋には照明は暖色のランプだけだ。
これは襲撃に備える意味もあるのだろう。夜目につかない、質素な佇まいの煉瓦の小屋。
アンモニア臭の溢れたバリオスだが、彼の家の中は、ミントのすっきりとした香りがする。
そしてトウモロコシ、アレパの甘い香りも。
「それは、良かった、です」
噛み噛みになってしまったのは、アレパみたいな甘い感情が胸に満ちて、ちょっと恥ずかしくなってしまったからだ。
「これは毎日食べたい品だぜ」
-あ、嬉しい。-
知の共有。カラカスに来た甲斐があると思う。
わたしはぱっ! っと顔を上げて、笑顔になった。
「レシピ書きますね」
「いや、気持ちだけで良い」
ガブリエルさんが視線を逸らした。
立ち上がり、珈琲をカップに注ぐ。
わたしに手渡しながら、気まずそうに言葉を続けた。
「菓子作りは苦手でな。まあ、料理もだが。自信があるのは珈琲の入れ方くらいだ」
「なるほど。では、できるだけわたしも来て、料理しますね」
何気ない言葉だった。
けれど、ガブリエルさんの心音ははねた。
驚きと、甘さを帯びた悲哀。そして歓喜。
「ファナちゃんの為ですよ。料理が苦手な貴方がちゃんとした物を食べないで、色々参ったら、ファナちゃんは困ってしまうでしょう」
言ってから、言い訳としては苦しいなあ、と思いつつ、カップに口をつける。
目は自然に伏せられる。
- 確かに、この人の珈琲は美味しい。-
美味しい珈琲を入れるのも、いい男の条件なのだろうか。
「そうだな。助かる」
「いえ。こちらこそです。……ファナちゃんの所にいきましょうか。待っているかも」
「ああ、そうだな」
わたしたちは同時に微笑み、視線を交わし、同時に立ち上がった。
息のぴったりさに少し驚き、それから今朝のイングニスご夫妻を思い出し、頬が熱くなった。
あの時は恥ずかしかった。
その原因となった彼と、小さいけど一つ屋根の下にいる。
不思議だが不快ではない。むしろ心地よい。
- でもこれは、九虚君に対する裏切りかもしれない。-
罪悪を感じる。
色々なことが分かってきた。
わたしは九虚君が好きで、ガブリエルさんが好きだ。
この情けない状態でも、わたしはしっかりとした『自分』を保ちたい。
では、どうすれば良いのか。
「ファナもめちゃくちゃ喜ぶと思うぜ。口の中が天国になっちまうからな。このパイは」
「だと嬉しいです」
ファナちゃんに届ける分のバナナ・パイをラップにくるみながら、わたしはそう返事をした。
そんなわたしを、ガブリエルさんは、じっと見る。
視線はとても優しい。
「俺はあんたに嘘は言わねえよ。おべっかもな」
知っている。そう、知っているからわたしは揺れてしまうのだ。
……対策を練らなければいけない。
ガブリエルさんに揺れるわたしと、グラシオさんを『助けた』わたしに。
何かが起きているのだ。よく分からない何かが変化している。それは恐らく九虚君がくれた変化だ。
だからこそ、わたしはこれにちゃんと向き合う必要がある。
そう。
変化は戸惑いためらうものではない。
それは純粋な事象だ。
事象に恐れている暇があるなら、対応を真剣に考えるべきなのだ。
その努力は恐らく案件の成功にもつながるのだろう。




