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黒疫(くろえ) -異能力者たちの群像劇―  作者: くろすろおどtkhs
多濡奇(たぬき):カラカス2
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グラシオさん

 村には狼男の末裔もいるので、赤ずきんちゃんの伝承はそれなりに有名である。


 この場合は童話ではない。伝承である。

 まあ、西洋の童話というものは概ねグリム兄弟やあるいはその先達がマイルドにまとめた代物が大体なので、伝承側からみたら、それはつまりインチキという事になるのだろう。


 例えばネズミー映画の人魚姫を思い出して欲しい。素晴らしい映像と整然とした音階。そして捻じ曲げた脚本。

 アンデルセンの人魚姫では、人魚は死にその魂は星となった。

 が、なんとネズミーでは魔女を倒し王子と結婚してしまうのである。


 ネズミーは世界の子どもたちの脳をスポンジにする陰謀でも企てているかなどと怒ってはいけない。

 これは厳密なるアメリカナイズなのだ。周到かつ綿密な計算の末、人魚の迎える死は打ち消された。

 

 ……みたいに、伝承の赤ずきんちゃんは童話とはかなり違った。

 

 まず、赤ずきんちゃんは頭巾(ずきん)を被っていなかった。

 中世において赤は貴い色であり布も高価である。

 深い森、片田舎の少女が気軽に装えるる色ではなかった。


 なので彼女は赤ずきんちゃんというより、ただの少女だった。

 彼女は母の言い付けで森の奥に独り暮らす祖母を訪ねる。

 携えるのは籠。籠の中には熱々のパンとミルク。ミルクは皮袋に入っている。


 道中狼に2つの道を示される。

 どちらの道も針やら(びょう)やらだらけだ。


 少女はこの(こんなん)を乗り越えて、祖母の家に到着する。


「こんにちは、おばあちゃん。あつあつのパンとミルクを一びん、持ってきたよ」

「戸棚にしまっておくれ。中に干し肉が入っているからそれをお食べなさい。棚の上のワインもお飲み」


 こんな会話だろうか。

 少女が言いつけ通りに飲食を終えると、側にいた小猫が口を開く。


「うえーっ、自分のばあちゃんの肉を食べた。血を飲んだよ。なんて恐ろしい娘だ!」


 少女は驚く。

 が、祖母のふりをした狼は彼女を説き伏せる。


「また素っ頓狂な子猫だね。あっちにおいき。さあ、お前、服を脱いで」

 と、枕を投げつけて子猫を追い払い、ベッドから少女を手招きする。

「ここに来て一緒にベッドにお入り」

「脱いだスカーフは、どこへ置けばいいの?」

「暖炉の火にくべておしまい。もうお前にはいらないんだから」

「脱いだエプロンは、どこへ置けばいいの?」

「暖炉の火にくべておしまい。もうお前にはいらないんだから」


 こんな感じの怪しい会話が繰り広げられた末、少女は狼に食われる。

 なお、猟師に救出されることはなく、そのまま死亡する。


 さて、何やら長々と述べてしまった。

 

 カブトムシ号の中で赤ずきんちゃんのお話をミリアさんがしていた時、わたしが思い出していたのは伝承の方のストーリーだった。


 グラシオさんと初めてお会いした時に思い出したのも、この伝承だった。


 その夕方訪れたセントレ・カタラ スポーツクラブはイングニス邸と同じチャカオ地区にあった。

 

 イングニス邸宅から南に下り、ジャイカの事務所を過ぎて、高速道路の高架を左折すると、すぐ夕闇に浮かび上がる白い外壁が見えてくる。

 

 上空から見下ろすと巨大なバースディケーキに見えそうな四角い建物だ。

 地上部は駐車場で広大なわりに結構埋まっている。

 会員が多いのか、熱心なのか。


 おそらく両方なのだろう。

 

 ここはカラカスの上流階級が詰めるスポーツクラブだ。

 この街はランニングには危険過ぎる。だが、体型を最善に保ちたい意識の高い人々は、走りたい。

 だからわざわざここに自らこもるのだ。


- スポーツクラブって、ハムスターのくるくるみたいだなあ。-


 と、受けつけに続く階段を昇り、インターホンに首を突き出して話すセルジオさんの後ろ姿を眺めながら思ったりする。

 

 でもくるくるの中の彼らを馬鹿にはできない。

 わたしも食生活、体型に危機感を覚えているからだ。

 

 という訳で、やる気満々、心の力瘤(ちからこぶ)を満タンにして、ジムのドアが開くのを待つ。

 暴漢の侵入を防ぐため、セキュリティ・ロックがかかっているのだ。


 電子音と共に解錠。

 

 セルジオさんが先だってドアを開き……固まった。

 男性が走ってくる。

 真ん中だけ伸ばして、ゆるく逆立てた黒の短髪。いわゆるウルフカット。サッカー選手のような長くたくましい手足。服もロゴは違うが、ベネズエラのナショナルチームにそっくり同じ形の黄色いTシャツにハーフパンツ。高い頬骨に鋭角に突き出た鼻。相対的に奥まった眼窩(がんか)。自信を微笑みにこめて弓を描く口元。


「グラシオ君」

「ああ、お義父(とう)さん、お義母(かあ)さんも、こんばんは。こちらは雫さんですね。お会いするのは二度目ですね。あの晩はアリアがすいませんでした。彼女の婚約者のグラシオです」

 言い切って、彼は褐色の手のひらをこちらに差し出した。


 わたしはその手を払いたい衝動に襲われた。

 

 彼、グラシオさんの心音が、欲情を刻んでいたからである。

 それは祖母のふりをした狼が赤ずきんに抱くような。

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