愛着と信頼
業務はつつがなく進んだ。
わたしが受け持たせてもらえる業務にも幅ができた。
栄養相談を担当できるようななったのだ。
これは進歩である。
つまり、アールオさんと対決するアルメイダさんの横で、ちょっくらぼそっと口をはさんで美味しいところをかっさらっていくという、油揚げを虎視眈々と狙う禿げ鷹のような業務態度は取らなくても済むようになったということだ。
ちょっとくどいし色々間違った物言いをしてしまったが、わたしの興奮は伝わったと思う。
嬉しい。
潜入工作員に過ぎないわたしだけれど、与えられたお仕事には一生懸命取り組んでいるつもりだ。
その事が認められたのが嬉しい。
これは本音だった。
が、壁を思い知ったのもまた正直な気持ちである。
まず3人の患者さんの栄養相談を受け持たせてもらえるようになったのだが、なんというか、違和感を感じる。
壁。心理的な何か。
男性1人に女性2人。年齢も抱える疾患も様々だが、共通しているのは東洋系が混ざる顔立ちだという事だ。
おそらく中国人と現地人の混血。
それとアルメイダさんに憧れに近い心音を刻むのも共通している。
いや、この病院の皆さんは全員彼女にくびったけ(アールオさん以外)だし、その事に不思議はない。
けれど特に憧れが強い気がする。
という事で、面談時に彼女が補助的な言葉を差し入れると、彼らのテンションは漏れなく高くなるのだ。
で、わたしが口を開く。
すると、漏れなく下がる。もちろんわたしもつられて下がる。
もちろん顔に出さない。
彼らだって顔に出していないし、それがフェアというものだろう。
そもそも心音で精神状態を把握するとかが異常なのだ。こっそり嘘発見器を仕込まれているようなものだ。たまったものではない。けれどこの聴力はわたしの因果だし、そこら辺はあきらめてもらうしかないし、わたしだってちゃんと線引きができるくらいには大人である。
いや、そもそも32歳で自分を大人だとか言い切る時点で大人であるのか疑問符がつくが、私自身なってみるまで分からなかったのだが、32歳は意外と子どもだ。
……大きく話がそれた。
そういう訳で、わたしは彼らに大人の対応をしたと思う。
ここまではまだ良かった。
問題はここからだった。
残り一件の栄養相談は小児病棟だった。
腎疾患を抱える男の子、ダビド君10歳。
彼もわたしが担当する患者さんになったのだが……。
腎疾患はステロイドを多用するため、どうしても顔が浮腫む。
満月のようなぱんぱん具合になってしまう。
アルメイダさんの東洋系チョイスは徹底していて、この子の顔立ちもアジアのそれだ。
おそらく元から細いだろう目は浮腫んだ瞼や頬に埋もれて、本当にお月様マークみたいだ。
ちょっと咎牙君を思い出した。咎牙君は塗り壁の子孫である。
咎牙君はDIYが好きで、もし生きて保育所を卒業できていたら、オフには立派な左官職人になっていたことだろう。
保育所の建物を補修する彼の瞳は、分厚い脂肪に埋もれながらも、きらきらと輝いていたのが遠目にも分かった。
……彼と同じ位、きらきらとした目で、ダビド君はアルメイダさんを見上げ、挨拶をした。
「アルメイダさん、こんにちは」
「こんにちは。ダビド君」
アルメイダさんの声が優しい。
「お待ちしていました。今週も栄養相談ですね」
流暢で、丁寧なスペイン語。
心音は甘酸っぱいときめきを示している。
微笑ましい。
……と思ったのは一瞬だった。
「うん。でも今日からちょっと違うの。紹介するわ。彼女は雫・綿貫さん。日本から来てくれたの」
「雫・綿貫です」
わたしは笑顔を作った。
アルメイダさんの手が肩にぽん、とかかった。
「彼女がダビド君、貴方の栄養相談を担当するの。今日から、ね」
この瞬間を何と説明すればいいのだろう。
彼の心音は……例えるなら、わたしが4年間勤続していた遊園地。
言うまでも無く様々な家族連れが訪れる。
わたしが被り物を担当していたミミィちゃんは人気キャラクターである。
たくさんのいたいけな子どもたちが抱きついてくれたし、わたしは全力の踊りをもって彼らの想いに応えたものだ。
が、中には……。
『ミニイちゃんじゃない』
と泣き出すお子様もいるのだ。
そう、彼または彼女が本当に行きたいのは千葉にある東京のネズミーランドなのである。
が、割安&お手ごろという事で、つまりご両親の切ないお財布事情で泣く泣く彼らはわたしの勤めていた先に来園し、お子様も泣き出し、わたしも泣きたくなりながら、とにかく踊りまくる。
というよりこういう場合は、お子様が泣き出してからがお仕事なのだ。
被り物係としての腕の見せ所である。
ダビド君の心音も、あのお子様たちと同じような、超がっかり感を刻んでいた。
被り物をしているなら、全力で踊り和ませることが出来る。
が、綿貫雫は一介の栄養指導員なのだ。
「よろしくお願いいたします」
仕方が無いので、わたしはニッコリと笑顔を作った。
「はい、よろしくお願いします」
ダビド君は淡々と応えてくれた。顔は無表情だが、了承はしてくれた。
賢い子なのだろう。
大好きなアルメイダさんの前で駄々をこねたくないという男気。
少し泣ける。
……が、堪える。
彼の栄養相談も表面上はつつがなく進んだ。
終了後、栄養相談室に戻る途中の階段で、わたしはアルメイダさんを見ずに、口を開いた。
「来週、ダビド君の前で踊ってもいいですかね。わたし」
「カーニバルは2月よ。それに、子ども扱いは嫌がる子だから、よした方が良いわね」
「ですよね」
肩越しに振り返るアルメイダさんの言葉に、わたしの肩は落ちた。
ざ・しょんぼり。
ふっ、とアルメイダさんが笑った。
「ダビド君も含めて、良い人たちでしょ。今日の患者さんたち」
わたしは階段の段差から視線を上げた。
「え、あ、はい」
「チーノな方々に偏見はあっても、そこまで雫に拒否感を抱かなかったのは、あの人たちのおかげなのよ」
「そうなんですか」
アルメイダさんは大きくうなずき、白金の前髪がおでこの上で揺れた。
「うん。あまり気づかなかったけど、とても好きなの。わたし。あの人たちのこと。だから、雫、貴方に任せることにしたのよ」




