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黒疫(くろえ) -異能力者たちの群像劇―  作者: くろすろおどtkhs
多濡奇(たぬき):カラカス2
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平和は良いこと

 プンスカ号のキー回しは3回だった。

 まあ、4回でないことを褒めてあげたいと思う。

 明日の午前中車体を洗ってあげれば、色々と機嫌も良くなるかもしれない。

 

 そもそも彼だってやっていられないだろう。

 ジャイカの事業所車として買い取られて、安原さんが運転するたびに(つば)なりなんなりを吐きかけられるのだ。


 まあ、唾の件だって安原さんが悪いわけではない。

 このカラカスでは、東洋人は『チーノ』という蔑称で呼ばれる。

 これは元々は中国人という意味だけど、日本人も含められる。

 差別というより憎悪する人々にとって、重要なのは国籍ではなく肌の色である。


 そんな現実と戦う安原さん、中島所長は男の中の男かもしれない。

 

 けど、村人だからだろうか。

 わたしは違和感を抱いてしまう。


 - 近寄って欲しくない人は、ほおっておけば良いのに。-


 そう、食習慣は文化だ。無理に変えるものではない。

 それがどんなに良い代物だとしても、変化を受け入れるかどうかは現地の方々の選択である。

 チャベス親分の下、国というカヌーでエンジェルフォールに突っ込むように。


 エンジェルフォールはカラカスから東にかなり行った、ギニア高地にある滝だ。

 頂上の平べったい、台座のような密林の山々が連なる。

 この緑の山々の頂の端から、川は落下し滝となり、陽光に白く輝く。

 その様が天使が落ちるようだ、という事で、エンジェルフォール。


 この地域には少数民族が暮らしている。

 芋虫をスープにして食べたりしている。来年わたしはサンタ・ソフィア病院での研修が終った後で、このギニア高地に1人立ちする予定だ。


 この土地には未発見の植物もまだ多くある。

 もしかしたら、幻の神花もあるのかもしれない。

 という事は、敵さんもいるはずなのだけど、やはり1週間では何の音沙汰もない。

 

 それともわたしは見張られているのだろうか。

 例えばガブリエルさんとかファナちゃんとかが、敵の手先だったりするのだろうか-。


「やだ、なあ」

 信号待ちで、プンスカ号のハンドルを両手で握ったまま、わたしは独りごちた。

 同時に後方からクラクションが勢いよく鳴った。


 信号は変わっている。

 わたしはギアを換え、アクセルを踏み込みながら、もう一度

「やだ、なあ」

 と呟いた。

 

 彼らがどこかで敵にたどりつく、誰かだとして。

 ファナちゃんが実は敵だったとして。


 それはそれだ。

 20代の前半、色々な案件でわたしは多くの人を屠ってきた。

 実際にわたしに白刃や銃火器を向けてくる多くは男性だったけれど、自爆用の爆弾を抱えた女性や子どももいた。

 

 それはそういうものなのだ。

 世界はこういう世界で、案件はこういう案件で、殺意も歌もしかるべく戦場に満ちる。

 恨みはない。ただ、そういうめぐり合わせだったというだけだ。


 - けれど……。-


 ガブリエルさんやファナちゃんを敵かもしれないと思う。

 本来それは村人として当たり前の思考なのに、わたしはそれを嫌がっている。

 この変化を不安に思う。


 - でも・・・・・・。-


 (くろ)でも一般人(しろ)でも、わたしは彼らとの関係を大切にしたいと思う。

 

 

 プンスカ号はベネズエラ空軍基地の横を流れていく。

 鉄条網に覆われた滑走路は右手に開け、上空の雲を巨大な立体にしている。

 あの下は黒ずんでいるから、雨が降っているかもしれない。


 ・・・・・・空軍とかなら楽なんだけどなあ。

 もちろん敵の話である。

 放送塔を占拠。

 軍用回線をジャックして歌えば終る。


 けれどおそらくはそんな平和な話ではないのだ。

 境間さんに匹敵する因果の持ち主、逆忌(さかき)さんが屠られた。

 軍相手にぽかをやらかす人ではない。

 

 つまり、羽根の人はとても強い。

 羽根についた煙草は大麻と似た種類のものだった。

 南米に広く流通し始めたものらしい。


 麻薬といえば、(スーロ)バリオス。関係があるのだろうか。

 できれば関係があって欲しい。

 ガブリエルさんやファナちゃんが敵だったという顛末(てんまつ)より、100万倍以上ましな結末である。


 ふと、鼓膜に九虚君の声が甦った。


『フラグ回収です、かあ』

 

 横浜でわたしを目に留めて、その場にへたり込み、彼はそう言った。

 フラグは起きて欲しくない事を、さらに回避したくなるような事を言うと起きてしまうという言霊らしい。


 本当にそんな物があるのだろうか。

 ジンクスの類なのかな。


 分からないまま、プンスカ号はサンタ・ソフィア病院の駐車場に進入した。

 

 - うん、偉い偉い。-


 エンジンキーを抜いて、ハンドルを撫でてあげる。

 わたしが敵さんについて暗く考えていた間も、プンスカ号はプンスカ止まらずに進んでくれた。


 明日はやはり念入りに磨いてあげようと思う。

 ちょっと楽しみである。


 プンスカ号から出て、駐車場を横切り職員通用門に向う時に、頬が水滴を感じた。


 雨。

 カラカスはこれから乾季に向うのに、珍しい。

 

 空を見上げると真っ黒だった。


 あ、ざーっと来る奴だ、と思ったら、実際に来たので、機銃掃射から逃れるように、わたしは通用門に向ってひた走った。

 向かいの方向から猛然とダッシュしてくる金色の影が視界に入る。


 しなやかな長い手足。

 形の良いおでこにかかるプラチナ。


 アルメイダさんである。


 わたしたちが通用門に駆け込んだのは同時だった。


「おはようございます」

「おはよう雫。良い朝ね」


 プラチナに近い金色の髪の先から、雨粒を滴らせて、アルメイダさんは雅やかに微笑んだ。

 わたしは首を傾げる。


「良い朝、ですか?」

「そうよ。雨季が終りに近づくのに雨が降る。水道の無い人たちは助かるわ。カラカスって水道の普及率、7割を切るから」


 何故かアルメイダさんは胸を張った。

 

 この人はカラカスの社会ピラミッドでは、おそらく頂点近くにいるお家柄なのに、なんというか、とても優しい。

 

- 良い人、だなあ。-


 とても和む。

 わたしは口角を上げた。


「そうですね」

 と言うと、アルメイダさんは、にかっと白い歯を見せて笑った。


「そうよ。今日も一日よろしくね、雫」

「はい、こちらこそお願いいたします」

 上体をかがめると、前髪の先から雨粒が垂れ落ちた。

 

 わたしも大分濡れていたらしい。


「でも乾かさなきゃね。明日全力で遊ぶためにも、今日は絶対風邪はひけないわ」

 アルメイダさんの声に気迫を感じる。


 この気迫に、わたしは大変和み、和み過ぎてなんとなく恥ずかしくなり、はにかみながら、

「はい」

 と返事をした。


 こうして、サンタ・ソフィア病院の一日が始まった。

 とても平和な始まり方だった。

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