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黒疫(くろえ) -異能力者たちの群像劇―  作者: くろすろおどtkhs
多濡奇(たぬき):カラカス2
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意外な励まし

 ジャイカに戻る。

 今日のプンスカ号は優しい。

 帰りのキー回しは2回だったけど、3回ではない。

 明後日の休みは安原さんにお願いをして、この子を洗わせてもらおう。

 もちろん、許可が出たらだけど。


 MRIの検査結果を事務所に提出する。

 もちろん昼休み前に異常無しとの結果は連絡済みである。

 まあ、検査費用はジャイカ持ちである。

 

 カミロさんを驚かせた脳の特異性については、記載がなかった。

『異常出血なし。所見なし』

 とだけ記載されている。あの大袈裟な検査音、手間と時間、何よりかかった費用を考えれば、不愛想と言えるほど素っ気ない文面である。

 が、『聴覚、運動能力、記憶力、瞬発力が異常発達している怪人です』とか(しる)されるより、余程(よほど)ありがたい。

 

 実は、もしそんな結果出てきたら、院内のカルテ管理システムに侵入して検査結果を書き換えたり、診断書を偽造しないといけないと思っていた。

 村人(とくしゅ)であることを大目に見て下さるのは、カミロさんが融通が利くのか、ベネズエラの国民性が大らかなのか、どちらかは分からないけれど、感謝の念は絶えない。

 

 そういう意味でも『異常出血なし。所見なし』という文面は、本当に良かった。


「本当に良かったです。後遺症が出なくて」

 安原さんの穏やかなテノール。

「うんうん。ただでさえ大事なのに、とんでもない大事になっている所でしたよ」

 中島所長の低いバリトン。


 お2人とも正直な心音を刻んでいる。

 ありがたいことだ。


 安原さんの瞳の底が、強くなった。


「まあでも。それは身体的な話ですけどね。精神的なケアはやはり、事務所の責任です」

 意志を帯びる声。彼は頬を微かに震わせて続ける。

「怖かったでしょう? 僕も銃で脅された事はありましたが、ワインボトルで殴られた経験はありません」

「あ、いえ。全く」


 安原さん、中島所長の目が点になった。

 沈黙。

 オフィスの空調の音だけが、空間に存在を増す。


 - しまった。-


 本当に何でもない、といった感じで言ってしまった。

 いや、実際あんなものよりは蚊に刺された方がダメージがある。

 だって、虫刺されは腫れるし痒いし、悲しくなるのだ。

 あ、昨夜は悲しくなったけど、あれはわたしの中の根幹を成す痛みに関わるもので、断じてワインボトルでおでこを割られかけたとかではない。

 そんな村人がどこにいるというのだ。

 いや、大事なのはそんなことではない。日本から派遣された栄養士、綿貫雫なら暴力に明け暮れた日常というものを経験していない。

 カラカスに来たという時点でそれなりの覚悟はあったものの、いきなりホストファミリーから襲われるなど言語道断であり、対処については今後相談、応相談を計らわれてしかるべき……うん。


 パニクり過ぎて韻を踏んでしまった。

 頬と耳たぶが火照る。

 ぼうっとする。


「我慢強いのですね。綿貫さんは」

「え?」

 安原さんの言葉にわたしは我に帰った。

 目を細め、目じりの皺を深くして、安原さんはわたしの目をじいっと見た。


「顔が赤いですよ。混乱する時、つまりどういう感情を覚えるべきか分からない時、人は今の綿貫さんみたいな顔になったりするんです」

「そうなんですか?」

「はい」

 安原さんは頷いた。随分と重みのある頷き方だ。

「綿貫さんは責任感がある。だから感情を必要以上に抑えようとするのでしょう。ジャイカへの推薦状にもですね、つまり日本での採用試験の面接評価でも」

「安原君」

 中島所長が止めに入った。

「いえ、大事な話です。混乱というのは去ってからやってくるものです。今、ちゃんと話しておかないと、綿貫さんはここでやっていけない。そうでしょう?」

 安原さんの語気は強い。

 中島所長の心音が、気圧(けお)される。

 

「うん。まあ、そうですね。非常事態が発生した。綿貫さんは被害者です。確かにケアが必要だ。……続けて下さい」

 

 安原さんは中島所長に頷き、再びわたしに目を合わせた。

 黒々とした瞳。

 混じり気という物が無い。

 強い意志。深い意図。


「通常は公にしない面接評価ですが。綿貫さん。貴女には『物事を背負いこみ過ぎる』という評価がでています。こういう評価の方は、通常はもっと治安の良い、人種的偏見の軽い地域に派遣されます。ですが貴女はカラカスに決定されました。何故か分かりますか?」

「分かりません」

 わたしは即答した。

 日本ではジャイカの面接など受けていない。

 中島所長、安原さんに渡ってきた書類、データは全て村で偽造したものだ。

 つまりわたしが見当がつくのは、こういう評価を書き込んだのは境間さんだ、ということだけだ。

『物事をあまり背負い込まないで下さいね』というフレーズは、わたしに対する境間さんの口癖だった。

 

 安原さんは、少し呼吸を外されたらしい。

 きょとんとしてから、こほん、と一度咳払いをした。


「献身に対する熱意が特にに強い。芯が非常に強く、能力も高い。状況に対する突破力が強い。正しいサポートさえ行われれば、多大な成果、貢献を果たしていただける、という事です」


 ……境間さんは。

 淫崩を喪った時に初めてお会いしたのだけれど。

 なんというか、ずるいなあ。

 意外な所に、意外な励ましの言葉を仕込んで下さる。

 さすが、村でも随一の人格者、助役さんだ。


 わたしは少し、うるっとした。

 下唇を噛んでしまう。


 安原さんは、そんなわたしに、柔らかく微笑んでくれた。


「ですから、綿貫さん。貴女のサポートは、心もケアも含めて、僕らの役目です。僕達は同じ事業に携わる『仲間ですから』」


 低いテノールが心に沁みる。

 小さく、中島所長が、うんうんと頷く。


 わたしの鼓膜には、木漏れ日の歌、安らぎが渦巻く。

 歌は分かりやすい。

 正直に感情を反映する。


「ありがとうございます」

 わたしは心から、そう言った。

 安原さんは首を横に小さく振ってから、こう訊いてくれた。


「なんでも、正直に要望を話してください。特に緊急の事態には」

「あ」

「はい?」

「いいですか?」

「どうぞ」

「明後日の休み、プンスカ号、もとい、隊用車を洗ってあげたいんです。いいですか」 

 わたしは真面目に、そして真剣に、安原さんに訊いた。

 けれど、何故かとてもびっくりされた。

 中島所長も目が点になって、口がぽかんと半開きだ。

 下の銀歯が覗いている。


 ……なんかすごく恥ずかしくなって、わたしの頬と耳はまた火照った。

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