素敵な充実感
第2回の栄養指導は怪獣大決戦的な波乱万丈はあったものの、無事に終わった。
わたしたちは外来用の相談室に戻る。
途中の階段で、アルメイダさんはぽつりと漏らした。
「不正解は心を削ぐわね」
「え?」
わたしは彼女を見上げる。
心音は落ち込みを刻んでいる。
「コンソメ。鳥にしておけば良かった。雫、貴女の言うとおりよ。わたしはセナイダさんに『満足して頂けるものを』とだけ考えていた。それが地雷にだったなんて、ね」
「違いますよ」
「え?」
「これは新入りの栄養士というより、32歳の東洋人としての所見ですが、聴いていただけますか?」
わたしは踊り場で立ち止まった。
アルメイダさんも止まる。
「うん。なあに? 東洋のスーパーガール」
いや、ガールではないだろう。ガールは少女という意味だ。わたしはウーマンである。が、この場合はそれに言及するべきではない。アルメイダさんは本当に落ち込んでいる。
「鳥のコンソメを使っても、やはり牛が恋しくなったと思います。断絶を素直に喜べるほど、セナイダさんの心は強くはありません。つまり、鳥でも牛でも『寂しい』ことには変わりはありません」
「じゃあ、……さっきの雫の事は何だったの? アールオさんにおべっか? 面談をはやく切り上げたかった? 単なるクレーム対処? または……」
「アルメイダさん」
まくしたてる彼女に、わたしはニッコリと笑みを作った。
「何よ」
「そこまで言われたら、さすがのわたしも怒りますよ?」
嘘である。
これしきのことで怒りを催す綿貫雫ではない。
これこそが、話を聴いてもらうための方便だ。
「あ、ごめんなさい」
「気になさらず」
口元に手を小さく当てるアルメイダさんに、わたしは首を横に振った。
「おべっかではありませんよ。あれはカウンセリングのような物です。鳥でも牛でもセナイダさんは満足しません。健康上は必要な鯖ですが、長年慣れ親しんだ牛肉には敵いません。でも、だからこそ大切なのは、『不満の中で自分で選ぶ』という事です。自分で選ぶ事に、人は覚悟を抱きます。セナイダさん、アールオさんの場合は、病気と闘い食生活を変える覚悟です。わたし達は汲み取り、謝ることで選びと覚悟を、彼らに提供しました。そういうお仕事をしたという事です」
アルメイダさんは、その長いまつ毛をしばたいて、首を傾げた。
「雫」
「はい?」
「貴女、サムライ? 映画で見たことあるのよ。戦場に挑むブシたちが、そういう事を言う場面」
びっくりする。
アルメイダさんは時々核心を突く。
わたしは村人だ。
侍ではないが、一応武人のはしくれである。
が、もちろんそんなことは言えない。
「わたしも映画は好きです。『七人の侍達』とか大好きです」
「クロサワね。父が好きで、私も子供の頃によく観たわ」
アルメイダさんは笑った。
やっぱりこの人が笑うと、階段の踊り場でも、駐車場でも、ショッピングモールに向う路上でも、空気が黄金を帯びるみたいに、華やぐ。
わたしは心から嬉しくなり、つられて笑顔になった。
そんなわたしを、アルメイダさんはじっと見た。
「ありがとうね。雫。確かに貴女の言うとおり。彼らに必要なのはカウンセリングだわ。特にアールオのオヤジは爆発するフライパンみたいなもんだから」
爆発するフライパン。
想像がつかないが、おそらくポップコーンのような物を指しているのだろう。
「でも、良い人ですよ。アールオさん。アルメイダさんが仰られたとおり」
「……東洋人、て言ってたものね。チーノじゃなくて。若い看護師に患者さんやご家族が鼻の下を伸ばすのはままあることだけど、あのオヤジがそうなるとはね。これは貴女の魅力よ。誇っていいわ」
アルメイダさんは、『誇っていいわ』と言った時、その豊かな胸を、どーん! と張った。
雫の手柄は私の手柄! どどん! みたいな自信に溢れた心音に、わたしは些かたじたじとなりつつも、嬉しい。
わたしは村人である。
死を歌うセイレーンの末裔だ。
雫と呼ばれるわたしの本名は多濡奇であり、彼女が見ているわたしは、工作員の姿に過ぎない。
それでもやはり嬉しい。
アールオさん、セナイダさん、アルメイダさん、皆さんのお役に立てること。
これがお仕事の充実感というものなのだろう。
「お役に立てて嬉しいです」
と、言うと、アルメイダさんが優しく微笑んでくれた。
「私は雫と仕事ができることが嬉しいわ」
……わたしの事を人たらし、と先ほどアルメイダさんは言っていた。
けど、彼女の方がよっぽど天然の人たらしだ、と思う。
だって、こんなことを言われたら、すっごく嬉しくなってしまうではないか。
「ありがとうございます。この後の、打ち込み業務も頑張ります」
わたしは嬉しさを隠すみたいに、気合を込めてそう言った。
でもこれは本心である。
そう、わたしは仕事を頑張る! と改めて思ったのだ。
カルテを抱えていなければ、力瘤を作っているところである。
どうやら、綿貫雫は褒められて伸びるタイプらしい。
豚も木に登る、という言葉が脳裏をかすめるが、わたしは多濡奇である。
木登りは元々得意だ。
と、よく分からないことを考えたりしながら、打ち込みも含めて、その日の業務は終った。




