心細さは大の敵
「ありがとうございます」
わたしは心を込めて、そう言った。
目に感情を込めて、じっとアールオさんの瞳を覗きこんだ。
彼は一瞬、毒気を抜かれた。
間を外された、というのだろうか。
武に覚えがあるものが、たまにする技に、『ただ歩く』というのがある。
ステップ・インではない。
対峙する相手が想定をしているのと違うリズムで、相手の懐に入り込む。
効果的にはそういう物だったのだろう。
が、狙った訳ではないのだ。
わたしは本当に感謝をしていた。
媚びたいとかではなかった。
「媚びるのか。東洋人」
アールオさんは上目遣いにわたしを睨んだ。
おでこに深く長い皺が走る。
-うーん。『チーノ』じゃなくて『東洋人』だからなあ。気配りされると照れる、なあ。-
と、わたしは場違いな困り方をした。
「いえいえ、本当の気持ちです。それに」
そこでわたしはセナイダさんに目配せした。
彼女の顔は明らかに困っていたが、心音は、……少し、面白がっていた。
おそらくアールオさんは日常で、ざ・俺についてこい! なのだろう。
毒気を抜かれた彼を見る機会など、そうそうないに違いない。
「それになんだ?」
「とても、奥さんの事を見てらっしゃるのですね」
目に怒気を込めたアールオさんに、わたしは賞賛をもって応えた。
彼のような芸術家肌は、理屈よりも、全体的な空気で物を考える。
波長、オーラといっても言い。
わたしはオーラを観る占い師ではないが、感覚は鋭い方だ。
これでも村人である。
「どういう意味だ?」
「キャベツについて、仰りたい事がたくさんある、『理由』をわたしなりに考えてみたのです」
「ほう」
彼の心音が興味を刻む。
「病院としてはまず、栄養のバランスを考えます。お体に合う食生活を提供するのが、わたしたち栄養士の勤めです。出来れば美味しく召し上がって頂きたいです。この点も留意して、メニュー、調理法を選択します。わたしたちは、提供できる最上の物を提供することを考えますし、実際にそれを行っています。ですが」
わたしはちらりとアルメイダさんを見た。
でしゃばり過ぎかと思ったのだ。
もしそうなら、今止めて欲しい。
が、アルメイダさんは頷いた。続けて、というサインだ。
「ですが、アールオさんは、というよりも、セナイダさんが望まれていたのは、違ったのですね」
「お前は何が違うのか、分かるのか? 俺の、妻の考えが」
「コンソメ」
アールオさん、セナイダさんのお2人の、心音が揃って跳ねた。
「牛コンソメを鯖の煮込みに使用していました。キャベツにもです。組み合わせとしてはそれが一番ベネズエラの方々の舌に合います。が、それではどうしても、牛を恋しく思ってしまいます。アールオさんは、バランスと仰られていました。個々の料理については、誠意は伝わっていると、手前味噌ながらわたしは判断しております。問題は、食事全体の印象です。コンソメの後味に、どうしても牛が恋しくなる。寂しさを覚える。セナイダさんのお顔を見て、アールオさんは、バランスが悪い、そう判断をされたのでしょう」
我ながら長い。
まどろっこしい。
要は、牛のコンソメが悪かったのだろう。
が、丁寧に話す必要があった。アールオさんのような方は、正論を突きつけるよりも、丁寧に話して誠意を伝える、つまり、話すことが大事なのだ。
遊園地で迷子で泣いている子供に、ここはどこどこで、どういう警備体制が敷かれているから危険はないと説明するより、笑顔いかけてあげた方が、泣き止みやすい、みたいなものだ。
アールオさんの目を見る。
大きく見開いていた。
今のうちである。
わたしはたたみ掛ける。
「アールオさんのお言葉で、気付かされました。今後のメニューに反映いたします。ありがとうございます」
わたしはアルメイダさんにもう一度、目配せをする。
彼女の出番だからだ。
アルメイダさんは、少し呆然としていた。
間を2拍置いて、我に帰る。
「こちらとしても至らぬところがありました。コンソメは鳥のコンソメに変更します。また何かございましたら、ご意見ご要望、お待ちしております」
冷静なアルト。
良かった。アルメイダさんもクールダウンしてくれた。
こうして、第2回怪獣大決戦は終了した。
アールオさんに腕を抱かれて出て行くセナイダさんの心音は、安堵を刻んでいる。
おそらく前回の入院では、もっと凄い破天荒なやり取りがなされたのだろう。
謎の東洋人がいることで、場の空気が幾分でも緩和されるならば、綿貫雫としても、やりがいを感じるものである。
面談室を去りざまに、アールオさんは立ちどまり、振り返った。
「おしゃべりな女はスペイン女だけではないのだな。それだけ話すことができるのなら、大事は無いのだろう」
検査の事だ。
わたしは感謝の微笑みを口元に浮かべた。
「ありがとうございます。問題はありませんでした」
「東洋とここは違う。足元には気をつけることだ」
「はい」
セナイダさんも何かをわたしに言おうとしたが、アールオさんに引かれて行ってしまった。
「雫」
「はい?」
「泣きたい」
振り返ると、アルメイダさんが大粒の涙を、彼女の美しい眼にためていた。
唇をぶるぶる震わせて、鼻の頭と、下唇の下に皺を作っている。
びっくりした。
「どうしたんですか?」
「なんであいつ、貴女とはあんなに気が合うのよ? 悔しい。差別だわ」
わたしはとても困った。
気が合うのよ、というのは、気が合ったらいいな、という意味だ。
彼女なりに、精一杯アールオさんと意思疎通を図っている。
けど、確かに難しいのだ。
わたしは自然と、彼女の首に抱きついた。
「大丈夫ですよ。彼はただ、不安なだけです」
できるだけ、柔らかく言うと、アルメイダさんの肩が震えた。
そう、アルメイダさんも不安なのだ。
……本当に、似たもの同士だなあ、と、アルメイダさんの体温を感じながら、わたしは思った。




