明後日の約束
スケボー君の滑りは軽快だった。
色々な鬱憤、いや主に自己責任なのは痛いほど分かっている、を晴らすみたいに乱発したストップアンドゴーにもよく耐えてくれた。
本当に良い子だ。
「そう言えば」
「ん?」
「カミロさんとお昼食べないんですか?」
わたしは駐車場を一旦端まで疾走し、アルメイダさんの所まで戻りざまに空高くジャンプ。
着地を決めつつ後輪でくるくるとトルネードを描きつつ、訊いた。
「あいつはランチは摂らない主義なの。というより、診察時間がいつも押して、わたしとは被らないのよ」
「切ないですね」
「仕事を真面目にやっている証拠。いつもべったりしていたいっていう時期は過ぎて結構たっているわ」
肩をすくめてから、アルメイダさんは駐車場のアスファルトを滑走し始めた。
風になびくブロンドに視線を投げながら、自分にぞっこんだ、と豪語するカミロさんの堂々たる口ぶりを思い出す。
あれかな。
アルメイダさんはツンデレなのかな。
2人っきりだと甘えたがるという、元祖猫科女子なのかな。
訊いてみたいけれど、おそらく本当のことは教えてくれないだろう。
2人っきりで、猫みたいに甘える、かあ。
……突如、わたしの脳内に九虚君の笑顔が爆発した。
手榴弾的な爆発ぶりだった。
コンマ1秒単位のスローモーション。目に焼きついた視覚映像。
これが何千枚とわたしの頭蓋の内側を乱反射するのだ。
びっくりした。
彼を想うのは恋するわたしの自然だけれど、瞬間湯沸かし器みたいに脳内でイメージが沸騰するとは、これはどういうことだろう。
……疑問はすぐに解けた。
わたしの妄想機関は『2人っきりだと甘える』という言葉に過剰反応をしているのだ。
何千枚という九虚君の映像に、わたしが甘える姿が合成される。
歌を堪え切った後に、もし耐えれなかったどうなっていたのか、みたいな映像は脳に浮かぶけれど、まさか、妄想が大爆発をするとは。
しかも、である。
妄想の数千のわたしは、どれもこれも瞳にうるうると涙の膜を張って、虹彩をキラキラさせて、なんか口元とかだらしないくらい崩れて、非常に見てられない。
尊厳などとは無縁のわたしだが、流石にこれはないだろう。
しかも、恥と幸福感で頬が焼けそうだ。
血の代わりに熱が顔面を巡る。
恋とは、32歳アラサー尻軽女子の妄想は、扱いに困る。
「どうしたの? 雫。顔、真っ赤よ」
アルメイダさんが戻ってきていた。
声が怪訝を帯び、程なくして心音が不安を刻む。
「いえ、違うんです。頭が痛いとか打撲じゃなくて、恥ずかしくなったんです」
「ええと。どういう事?」
アルメイダさんは眉根を寄せた。
わたしは両手で自らの顔を覆う。
顔の薄い皮膚に熱がこもる。
耳たぶも熱い。けど、風が当たるので、この耳たぶだけ、少し心地よい。
「このまま聴いていただけますか?」
「雫が望むなら」
「……ありがとうございます。わたしは」
そこで言葉を切る。
戸惑い。
ここまで現地人に心を許して良いものだろうか。
これは非常に内面的な感情だ。
こんな話は淫崩としかしない。
そもそも、誰かにこんな感情を抱くとかがあり得ないのだ。
わたしの人生経験的に。
けど、その相手が九虚君であることを、わたしはとてつもなく嬉しく思っている。
「わたしは、恋をしているのです。アルメイダさんとカミロさんのお2人に、わたしと、わたしの想う彼を重ねて、恥ずかしくなってしまい……ました」
言葉の最後の発音は危うい。
尻切れトンボと言っても良いかもしれない。
なんせ、とても恥ずかしくて、声がかすれてしまったのだから。
アルメイダさんの心音は驚愕を刻み、それから……。
「雫ったら!」
彼女はそう小さく叫んだ。
その叫びが鼓膜に届いた刹那、わたしはアルメイダさんに抱きしめられていた。
頬擦りもされる。
大型の褐色の猫に、すりすりされている錯覚。
まあ、ライオンではないだけ善しとしよう。
ライオンは奈崩を思い出してしまう。
抱きしめられて、すりすりされていると、何となく和む。
ちょっとミリアさんと似た匂いがする。
でも鼻孔をくすぐる香水が、とても上品な気がする。
ブルガリとか、英国王室御用達の何かを彷彿とさせる香りだ。
まあ、アルメイダさんはお嬢様だから当然か。
それにしても、このすりすりはいつまで続くのだろう。
足音がした。
「アルメイダ、君は同性愛にでも目覚めたのか」
カミロさんの声がして、アルメイダさんの頬が離れた。
わたしと彼女は、彼の声の方向に視線を向ける。
ブルーの医師服のカミロさんが仁王立ちをしていた。
サンタ・ソフィア病院の白亜を背景にして、どーん! という感じである。
金髪が駐車場を渡る風と、陽に煌いている。
ギリシャの彫刻のような威厳。
「あら、カミロ。こんな駐車場にどうしたの?」
「雫の担当医として来たんだ。スケートボードの許可は出したが、何かあったら困るからね。様子を見に来た。君が雫の傍で泣き叫んでいるという想定もしていたが、無駄だったようだ」
「気持ちはありがたいわ。ね、雫」
アルメイダさんはわたしに抱きついたまま、そう言った。
まつ毛の長い目をしばたいている。
わたしは頷いた。
「は、はい。ありがたいです」
胸がまだ動揺を刻んでいる。
九虚君関係の動悸が、やっと収まりかけてきた。
「紅潮している。バイタルに変化があるな。眩暈」
「ありません」
鼻先をずいっと前に出して、猟犬が臭いをかぐように、カミロさんはわたしを確認した。
声は冷静だが、瞳の底の光は真剣だ。
「あら、これは雫の……」
「アルメイダさん!」
割り込んだ彼女にわたしは小さく叫んだ。
「あら、駄目? 秘密のガールズトークだった?」
そんな、面と向って言われたら、口を止めるに止めれない。
わたしはため息をついた。
「いいえ。いいです、けど。同性愛を疑われ続けるのも困ります」
「まあ、そうね」
アルメイダさんはそう言って、わたしのハグを解いた。
カミロさんに向き直る。
「雫は恋をしているの。あたしたちのカップルぶりに、愛しの彼を思い出して、赤くなったのよ! 可愛いでしょ? ねえ、すっごく可愛くない?」
アルメイダさんは一気にまくしたてた。
カミロさんは、一瞬きょとんとしてから、何故か赤くなる。
「そ、それは……微笑ましい、な」
アルメイダさんの彼氏さんは視線をそらした。
斜めしたのアスファルトを凝視している。
……ああ、そうか。
わたしは納得した。
カミロさんは、真剣にわたしの様子を案じたのだ。
そして、それは勘違いだった。ガールズトークを、脳外科的な何かと取り違えた。
このことを恥じている。
かつ、おそらくこっちが大きいのだろうけれど。
『カップルぶり』という言葉と共に、心音が跳ねた。
つまり、恥ずかしくなったのだ。
でも、不思議がある。
先ほどアルメイダさんと付き合っている、といった時は堂々としていた。
で、アルメイダさんに『カップルぶり』と言われたら、めちゃめちゃ照れた。
これは……どういうことだろう?
「ね、カミロ」
「なんだ?」
「雫とガールズトークしたいの。この子の恋がうまくいくように、アドバイスをしてあげたい。そのためには、男性の意見も必要なの。明後日、3人でどっか行かない?」
「僕は構わない。が、雫の都合もあるだろう。アルメイダ、君はいつも思いつきが」
「雫はどう? 日曜日。病院も休みだし、ワインボトル女のことを気にしないですむわよ」
カミロさんを遮るように、アルメイダさんが訊いてきたので、わたしは頷いた。
「嬉しいです」
この言葉に、アルメイダさんの笑みは満面になる。
「決まりね。せっかくだから、観光もしましょう。危険なカラカスも、気をつけていれば良い街よ。カミロもいるしね」
この言葉に、カミロさんの心臓が跳ねた。心音が照れと歓喜を刻む。
もう、カミロさんは分かりやすいなあ。
わたしは少し考えてから、アルメイダさんの瞳を、真っ直ぐに見る。
「カラカス現代美術館に行きたいです」
アールオさんの彫刻を見てみたいと思ったのだ。




