とても優しい、似たもの同士
「意外だわ」
アルメイダさんはコーヒーを啜りながら、肩をすくめた。
相変わらず、ぼんきゅっぼんのぼん部分、腰をテーブルに乗せて、すらりと長い脚を組んでいる。
珈琲は恋の飲み物らしい。
これは誰が作ったキャッチフレーズか分からないけれど、アルメイダさんを見ていると、納得してしまうものがある。彼女はセクシーなのだ。
長いまつ毛を伏せて、カップにその肉感的な唇をつけ、物思いにふける姿など、珈琲豆の女神と言っても差し障りない。
思わず見とれてしまう。必然的にわたしの口は半開きになる。
アルメイダさんは視線を上げた。
「……何が意外か訊かないの?」
「勤務4日目にして午前欠勤とかですか? 自分でも申し訳ありませんし、情けなく思います。が、今回の件はこれからの仕事で」
「挽回するしないとか、かなりどうでも良いのよ。雫、貴女は日本から来た善意の人でしょ。貴女が有能なのは知っている。違うの。そういう事じゃないの」
ではどういうことなのだろう? とわたしは首を傾げたくなった。
が、よくよく自分を振り返ってみる。
ジャイカ事務所の安原さんのコメントを思い出した。
『ちゃんとコミュニケーションが取れる人です』
「ホームステイ先とトラブルを起こして額をワインボトルで割られるトラブルメーカーだとは思わなかった、とかですか?」
コミュニケーションが取れるなら、そんな暴力沙汰に巻き込まれない。
感情を激昂させないスキルが自然に磨かれているからだ。
アルメイダさんはカップに口をつけたまま、目だけで笑った。
珈琲を飲み干して、腰の隣に置く。
「人間でしょ。貴女はただでさえ、喧嘩を売られやすい東洋人よ。トラブルは向うから舞い込んで来る。そんな事じゃないの。貴女ならワインボトルで殴られかけても、かわしたりなんなりの対応を取れると思っていたのよ。それも、かなり自然にね。合気道だっけ? そんな神秘的な技でね」
彼女はテーブルから腰を話し、何故かブルースリーのポーズを取って、アチョー! と言った。
ちょっと笑いそうになる。
「武術はやっていませんよ」
「知っているわよ。でも、雫の運動神経なら、そんな奴普通にノシちゃえそうだけど。わたしに頭をはたかせたのだって、わざとでしょ。じゃないと辻褄が合わないもの」
「買いかぶり過ぎです」
「分かんないわよ。人間一番分からないのって、自分の事だし」
彼女はそう言って、わたしの方にすたすたと歩いてきた。
「ま、でもわたしが確実に分かるのはね」
アルメイダさんは言葉を一旦切って、わたしのおでこの髪をかき上げる。
細く長い指の弾力が強い。この人はピアノでも習っているるのだろうか。
「……雫、貴女は悪くないってこと。瞼がぼってりして、揚げパンみたいになっているけれど、気にして泣くほどのことじゃないわ。あ、もし貴女が臆病なライオンなら大丈夫。わたしが勇敢なドロシーになって、今度そいつを見かけたら、グーで殴ってやるから」
アルメイダさんはファイティングポーズを取った。
心音は嘘を刻んでいない。
それにしても臆病なライオン、ドロシー、……ああ、オズの魔法使いか。
竜巻に巻き込まれて家ごと異世界に転移したという、あの童話だ。
アルメイダさんがドロシー。
わたしがライオン。あまり嬉しくないなあ。
ライオンや虎、大型の猫科の肉食獣の目に、わたしは奈崩のあの吊り上がった瞳を思い出す。
あの男はこの案件で共に戦う仲間だが、できるだけ意識から外していたい。
考えると、生理的な嫌悪感を催すからだ。
そういう訳であまり嬉しくないのは事実だけれど、彼女の気持ちは嬉しい。
「アルメイダさんがドロシー、わたしが臆病なライオン、では、ブリキのきこりとカカシは誰なのでしょうね」
「そうね。カカシはわたしの彼氏だわ。背が高いし馬鹿だから。ブリキのきこりが謎よね。ま、MRIの間に考えておいて。良い暇つぶしになるでしょ」
アルメイダさんはそう言って、わたしのおでこから手を離した。
それから、悪戯っぽく付け加える。
「カカシがわたしの彼氏だから、ブリキのきこりは貴女の彼氏ね」
「え」
わたしは硬直した。
確かに恋をしているが、これは片思いなのだ。
アルメイダさんは、口元に曲げた人差し指を当てて、クスクスと笑った。
「可愛いわね、雫。まあ、恋の妄想は一番の暇つぶしよ。いってらっしゃい」
……頬が火照ったまま、わたしは栄養相談室から送り出された。
MRIの予約は入っているので、わたしはまず受付で身分証を提出し、診察券を受け取る。
ロビー奥の待合、脳外科のベンチで待機。
……ブリキのきこり、が九虚君かあ。
妄想は自由だし、両思いにもなり放題だけど、ライオンときこりのカップルってどうなんだろう?
そもそも彼はバルセロナで戦っている。
アルメイダさんと彼氏さん、そしてわたしとこのカラカスを歩くのは、ちょっと無理がある。
では、誰なら……?
そこまで考えて、浮かんだ顔にびっくりした。
いやいや、ないない。
と、思わず首を横に振ると、名前を呼ばれた。
ちょっと丸すぎる白衣の天使さんがわたしを探している。
目の前にいるけれど、視線避けのクセが出てしまっている。
「はい」
と返事をして、わたしは彼女の視線に介入をした。
ちょっと驚かれた。
まあ、それはそうだ。
この看護師さんから見れば、わたしが何もない空間からいきなり具現化したような、そんな錯覚を覚えたことだろう。
彼女の心音は驚愕と、遠まわしの嫌悪を刻んでいる。
嫌悪は根深いものだ。
これは仕方がない。イングニスご夫妻や、ガブリエルさんが特別なのだ。
特に、中から低所得層は人種的偏見にまつわる感情に素直になりやすい。
つまり、この看護師さん程度なら、わたしをチーノとして侮辱しても不思議ではないのだ。
アルメイダさんだって、初めはわたしのことをチーノと呼んだ。
ゆっくりと浸透していければいいのだ。
日本人であること。
綿貫雫であること。
ベネズエラの人々に尽くすために、ここに来ていること。
まあ、そういう諸々だ。
そのためにも、まずこの視線避けのクセを何とかしないといけない。
先ほどのアールオさんは意外だった。
あんなに気難しい人に、どこかで愛着を抱いている。
でも、意外だが不思議ではないのかもしれない。
だって、アールオさんは奥さんのセナイダさんのために一生懸命なのだ。
だから譲れないし、面談だって2時間かかる。
それだけ、迷惑なほど本気なのだ。
素敵な旦那さんなのである。
……とか考えているうちに、問診は終わり、検査着に着替えて、耳栓も貰った。
MRIの音というのは、とても大きいらしい。
閉所で磁気嵐のような音を聞き続けると、パニック障害を起こす人もいるそうだ。
耳栓はその対策である。
わたしは村人なので閉所恐怖症などとは無縁だが、やはり初めてというのは何事につけても緊張をさけられない。
MRI検査室の前のベンチで、口を緊張に真一文字にしていると、視線を感じた。
わたしは口角を上げる。
アールオさんだと分かったからだ。
「検査か」
「はい」
「怖いのか。顔が白い」
「白いのは元々ですが、緊張はしています」
「まあ、俺の作品の方がカタチの出来栄えはいい。畏怖というものは、出来栄えの良いものに対して抱くものだ」
「え」
……意味がすぐには分からなかった。
畏怖。恐怖。緊張。つまり、遠まわしにそんなに緊張しなくてもいい、と仰られているのか。
この彫刻家さんは。
わたしの頬は自然と緩んだ。
「はい。ありがとうございます」
アールオさんは、咳払いをした。
「栄養相談を午後に予約している」
昨日の時点では、予約は入っていなかった。
つまり彼は駐車場でのわたしとの会話の後、予約を入れてくれたということなのだろうか。
「そうなんですか」
とわたしが訊くと、アールオさんは視線を一度通路の手すりにそらした。
そしてすぐに戻す。
「そうだ。だが言いたい事はいう。話したい事は聴く。だから話しの内容でも準備しておけ。あの機械は、入ると時間が長い。思考は時間つぶしになる」
……似たことを先ほど言われた。
アルメイダさんとアールオさんは、意外と似たもの同士かもしれない。
わたしの口元はもにょもにょとなった。
が、さすがに失礼なので、無理やり微笑む。
「はい、ありがとうございます」
辞儀をした時、看護師さんがわたしの名前を呼んだ。




