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黒疫(くろえ) -異能力者たちの群像劇―  作者: くろすろおどtkhs
多濡奇(たぬき):カラカス2
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幸せな朝ごはん

 翌朝、わたしはすっきりと目覚めた。

 昨日のごたごたや、うだうだが嘘のようだった。

 

 昨夜はあれから一騒動あった。

「雫、大丈夫なの? 雫! 返事をしてっ!」

 というミリアさんの大声が夜空に響く中、わたしは2階の窓から、部屋に戻り、窓をしめ、すばやく着替えた。

 ミリアさんの声はドアを叩く音とごっちゃになって、何故かわたしはハリウッドの映画を思い出す。

 現代に甦った恐竜たちが人を襲う映画だ。

 あれには手に汗を握るものがあった。

 

 わたしが消臭剤を主に髪に吹き付けた終えた時-。


 みしり、とドアに縦に亀裂が入った。

 

 - おお、さすがミリアさん。剛腕だなあ。-

 

 村人のわたしがしそうなことを、必死にしてのける。

 おそらく、アリアさんがこの部屋にいた時にも、ミリアさんはドンドンとしていたに違いない。


 癇癪持ちのアリアさんが部屋に鍵をかけて、引き込もる。

 ミリアさんがドアを叩く。

 

 そんな光景が脳裏に浮かぶ。


「……はい」

「雫! ああ、良かった神様。何でもないのね? 雫」

 わたしはドアの前に立ってそう言った。

 ミリアさんの心音が安堵を刻む。ドアに対する殴打が止んだ。


「明けます、ね」

 わたしは少しかすれた声で言って開けると、ミリアさんの、ぐわっと開いた目が飛び込んできた。

 褐色の肌のためにただでさえ存在感のある大きな瞳が、いたく充血している。

 

 大層な心配をおかけしてしまった、と申し訳なく思った瞬間、わしっ! と両肩を掴まれて、ぎゅっ!

とハグされた。

 この時気付いたのだが、ミリアさんからはチーズの香りがする。

 ベネズエラはチーズと肉の食文化だ。

 日々摂取しているものが体臭に影響するのだろう。

 ということは、わたしが醤油の匂いがするのだろうか。

 ……卵かけご飯が食べたい。


「言っただろう。雫は1人になりたいだけだって。若い女の子は、とてもショックな事が起きたとき、ふさぎ込みたくもなるさ」

 呆れた声がミリアさんの背にかかった。

 パジャマ姿のセルジオさんだ。ちょっと老人ホームっぽい。

 声は呆れているけれど、心音は安堵を刻んでいる。

 つまり彼なりのポーカーフェイスなのだろう。

 

「ごめんなさい」

 と、わたしは言った。

 

 これには2つの意味があった。

 

 1つは、心配をおかけしました。ごめんなさい。

 もう1つは、……こんなに気をかけて下さっている貴方たちよりも、わたしはガブリエルさんとファナちゃんに親近感を覚えています。ごめんなさい。


「いいの、ごめんなさい、いいの」

 ミリアさんは大きく厚い手のひらに顔を埋めT、泣き出した。

 わたしから見ると、とても大きく見えるミリアさんの肩が小さくなった。


 ……わたしは彼女の肩に、正面から両腕を回した。

 抱擁。

 

 これがこの場を乗り切るのに正しいとか、そういう打算ではない。

 ただ、彼女の肩が震えているのを見ると、抱きしめたくなったのだ。

 

 彼女は泣き続ける。

 わたしはその心音に耳を澄ませ続けながら、心の壁が一つ消えたような気がした。


 ……こんな事が昨晩あったからだろうか。


 わたしの目覚めはすっきりとしたものだった。

 

 朝の陽が満ちる中、ミリアさんは朝食を準備していて、 

「おはよう」

 と言ってくれた。

 わたしは思わず、昨夜を思い出して、はにかんでしまう。

 

 鳥が窓の外、沢の方向で鳴いていた。

 チャカオ地区は緑がそれなりに多い。

 山の(ふもと)だし、環境的にも色々と配慮された区画設計がなされている。

 バリオスの淀んだ空気とは違って、ここには清冽(せいれつ)なマイナスイオンが、常に林方向から流れてくる。そんな感じがする。


 いや、それだけではない。

 雨降って地固まる。

 わたしとミリアさんは昨日の抱擁で、打ち解けたのだ。

 これは嬉しい。


 朝食の席には、セルジオさんが先についていた。

 挨拶を交わす。

 

 伺うように、何かを探るように、わたしを上目遣いで見てきた。

「昨日は申し訳なかったね」「昨日はすいませんでした」

 わたしたちは同時に言った。


 この同時加減が絶妙すぎて、わたしは笑いそうになった。

 が、堪える。

 

 セルジオさんはというと、苦いものを含んだかのように、白の混じった眉をひそめている。

 心音は、照れを刻んでいる。

 この人も朝からポーカーフェイスだ。


 わたしは珈琲を勧められ、素直に頂いた。

 セルジオさんもカップを口に運ぶ。


「アリアが癇癪(かんしゃく)持ちでね」

「はい」

 少し驚いた顔をして、セルジオさんはわたしを見た。

「あ、すいません。えっと、昨日の事で分かっています」

 わたしが言うと、セルジオさんはゆっくりと首を横に振った。


「違うんだ。そういう癇癪もだが、何度もやらかしているんだ。ミリアと喧嘩をしてね」

「何をですか?」

「睡眠薬の過剰摂取。恥ずかしいことだけどね。アリアはここを出て、昨日のガルシオ君の住む前に、何度も、やらかしているんだ。飲む前には必ず彼にメールをする。それから、部屋に鍵をかけて、飲む。ガルシオ君から駆けつける。そんな繰り返しだった」

 セルジオさんの言葉に、わたしの口からため息が出かけた。


 アリアさんが狂言が好きだという事は分かった。愛されてもいる。

 けれど愛され方を間違えている気がする。

 やはりわたしは彼女の事を好きになれない。覚悟の無い振る舞いほど醜いものは無い。

 いや、違う。醜く在る事ができる、その開き直りが許される彼女が、わたしは羨ましいのだ。

 自分をおとしめて、修羅を戦うしかできなかった20代の前半が、何故か走馬灯のように脳を巡った。


「……驚いたかい?」

「はい」

 わたしが答えると、セルジオさんは大きなため息をついて、沈黙した。

 キッチンから、ミリアさんがパンを揚げる音が伝わってくる。

 軽快な、快い泡のような音と、優しいトウモロコシの香り。

 わたしは昨夜のファナちゃんを思い出した。

 幸福な笑顔。ランプの灯に艶かしく照らされた頬。でも、幼さを残す唇。

 お母さんなんだから、お腹の赤ちゃんのためにも、朝はしっかりと摂ってほしい、と思う。


「まあ、不思議ではない。ホームステイの先の家族が精神保健に問題ありだったら、僕だって泣きたくなるよ。でもね、安心していい。雫、君がここにステイする間はアリアは来ない。ガルシオ君に連絡を取ったんだ」

 

 ……わたしは眉をひそめた。

 セルジオさんの心音が痛みを刻んだからだ。苦渋。

 嫁入り前の娘に出入り禁止。

 わたしが来る前からギクシャクはあったにせよ、それはセルジオさんにも辛いのだろう。


「わたしは気にしません」

 テノールに近い、低いアルトの声を出してしまった。

 セルジオさんが眉をひそめる。

 わたしは構わず続ける。


「昨日の事は小さな行き違いです。話し合えば解ける誤解です」

「違うんだよ。雫。僕もミリアも気が向けばいつでもアリアの所にいける」

「はい」

「でも、君は違うだろう。北半球からここに来て、会いたい人もいるだろうに、離れている。孤独と戦っているはずだ。そして昨日みたいな暴力を振るわれた。やり切れないだろう。本当はジャイカに相談して、ステイ先を変えてもらいたいと、君は思っているはずだ。けどね、どこでもこういう問題は起こりうる。僕とミリアは君の味方だが、別のステイ先でこうとは限らない。カラカスの東洋人差別は本当に酷いんだ。アリアを見て分かったと思うが、あれが普通なんだ」

 

 セルジオさんは一気にまくしたてた。

 声の調子が強い。

 心音も嘘は刻んでいない。


 けれどわたしは顔を伏せた。

 赤くなっていたからだ。

『会いたい人』の言葉に、九虚君の涼やかな瞳が、ばっ! と浮かんでその速やか加減に我ながら恥ずかしくなってしまったのだ。


「ね。朝食をとりましょう。冷めてしまうわ」

 ミリアさんが、揚げたてのパンを、テーブルに載せた。

 わたしが顔を上げると、大きな口の端をにっこりと上げて微笑んで下さった。


「昨日は失敗したから、今朝はリベンジしたの。雫もたくさん食べてね」

 ミリアさんが一度キッチンに引っ込んで両手でもってきたのは-。


 大皿に山盛りの焼肉。

 付け合せの、言い訳のようなマッシュポテトとマッシュルーム。

 皿にそびえ立つ肉の山に、わたしはため息が出た。

 が、ちょっと嬉しくなった。

 ミリアさんはとても素敵な女性だ。

「ありがとうございます」

 と言うと、ミリアさんの相好は崩れた。

「セルジオも食べて。暗い話は食べた後でいいわ。まずはテーブルを囲んで幸せな朝にしましょう」


 どーん! とどや顔で話すミリアさん。

 ……本当にいい人だなあ、と思う。

 セルジオさんも良いお父さんだ。

 

 わたしは工作員スリーパーという身分だ。それはこの2人がどういう人となりだろうが関係はない。

 事実、わたしは昨夜、彼らを殺しかけている。

 でも……もう本当にそういう事はしたくない、と思った。

 この夫婦の事を大切にしたいと思ったからだ。

 まあ、アリアさんについては微妙だけど。

任務:幻の神花(しんか)、謎の敵の情報収集。

オペレーション:潜入工作員としての生活基盤の確立:継続中

短期オペレーション:ホームステイ先の家族にまつわるトラブルの解決


これまでの関係人物等


ガブリエル:

バリオスの色男。長身。ロシアンフック使い。アンジェラの飼い主。多濡奇の強さを直感する程度には達人。


ファナ:

ガブリエルの妹。14歳。夫のマリオの帰りを待つ妊婦。だがマリオはすでに死亡している。多濡奇をその美しさとはかなさで魅了。


アンジェラ:

黒い毛並みの雌犬。3歳。ガブリエルが飼っている。


セルジオ・イングニス:

綿貫雫のホームステイ先の人物。国営石油資本職員。60歳。

丸眼鏡の奥の瞳は理知的。口ひげが艶やか。痩せ型。


ミリア・イングニス:

セルジオの妻。美術館職員。50歳。ふくよかな女性。

 目も鼻も口も大きい。心も広い。


アリア・イングニス:

イングニス夫妻の一人娘。32歳。傲慢かつ勝気かつ神経質。多濡奇の地雷を踏みまくる女傑じょけつ。カラカス大学職員。父親であるセルジオとの仲は悪い。


グラシオ:

アリア・イングニスの婚約者


チャベス大統領似の守衛:警備員。愛妻家の55歳。



安原弘樹やすはら ひろき

ジャイカの職員。白髪混じりの短髪。彫りの深い顔の52歳。


中島保なかじまたもつ:

ジャイカカラカス事務所長。禿げ上がった60代。穏かな性格。


安原ノエミ:

ジャイカの現地職員。安原弘樹の新妻。安原とはできちゃった婚をしている。常に物憂げな27歳。

大仏顔。


アルメイダ:

サンタ・ソフィア病院の管理栄養士。28歳。カラカス上流階級。豊かな胸のプラチナ美人。芸術家のアールオと折が悪い。


アールオ・エンポリオ:

ベネズエラでは有名な芸術家。専門は彫刻。とても気難しく、ことあるごとにアルメイダと衝突。入院患者のセナイダの夫。


セナイダ・エンポリオ:

糖尿病でサンタ・ソフィア病院に入院。


セルジオ・イングニス:

綿貫雫のホームステイ先の人物。国営石油資本職員。60歳。

丸眼鏡の奥の瞳は理知的。口ひげが艶やか。痩せ型。


ミリア・イングニス:

セルジオの妻。美術館職員。50歳。ふくよかな女性。

 目も鼻も口も大きい。心も広い。


プンスカ号:

アメリカ車。黒のシボレー。ライトバン。2回キーを回さないとエンジンがかからない。ジャイカの社用車。



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