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負けた淫崩

 わたしたちの保育所にはバスをどれだけ乗り継いでも、たどり着くことはできない。

 

 こう断言できるほど、四方を見事にこれでもかと山に囲まれた、山間(やまあい)の小さな集落のさらに北東の端に、わたしたちの保育所はあった。

 

 この施設への往来はほとんどない。

 というのも、保育所がたつこの集落(むら)が色々な意味で、人里から離れすぎているのだ※。


 

 だから、侵入者の想定が全くないという事で、保育所の正門は夜間も開きっぱなしだった。


 この正門の内側の花壇は、煉瓦(れんが)にふちどられたおそろしく長い長方形で、普段は保育士たちが持ち回りで管理している。

 けれど、たまにわたしたち三人組で水やりをしたりした。


 そういう時は、始めはわたしと淫崩(みだれ)が真面目にちょろちょろするのだけど、須崩(すだれ)が必ずジョウロをめちゃめちゃに振り乱して、みんなできゃあきゃあ言って、結局水遊び状態になってしまう。

 そんな無邪気な思い出があふれる花壇には、イヌサフランやグロリオサ、コバイケイソウ、ジキタリス、チョウセンアサガオ、ドクゼリ、トリカブト、バイケイソウ、フクジュソウ……などの毒草が毒殺学の講義用に植えられていた。


 雪に埋もれる季節を除いて、いつも何かの花が咲いているので、低い女子力にも関わらず、可愛いものや綺麗なものに癒されまくるわたしには、ここは保育所でもお気に入りのスポットだった。



 だからかもしれない。

 いや、月光のせいだろうか?

 淫崩が淡い白や黄を浮かべる花弁たちの上に覆いかぶさるように倒れている花壇は、いつもとは全く違う場所に見えた。

 風景はそのままだけど、空間から現実感だけが吸い出されたような錯覚を覚える。

 それはとても静かで不吉な何かだった。


 けれどそんなことは関係なしに、わたしは彼女のそばに駆け寄り、花壇の土に両膝をつく。

 炭の匂いが鼻孔にうっすらと立ちのぼってくる。


 淫崩(みだれ)、淫崩と何度も呼びかける。


 でも、返事の代わりに彼女の心音が示していたのは、意識の混濁だった。

 それは悪い夢のような。


……鈴虫が鳴き続ける山あいの地に灯りは何一つない。

 秋の冷涼な夜の大気の上の紺の濃い夜空には、無数の星がばらまかれて、歌うように(またた)いていた。

 半分に欠けた月が天空に君臨し、わたしたちに無数の銀糸を注いでいた。

 月光に浮かび上がる景色の一つ一つが死を(はら)む気がしてしまうほどに、時折(ときおり)冷えた風が伝うほかは、わたしたちの周りは静けさに(あふ)れていた。


 どれだけ呼び掛けても、彼女の混濁は続いていた。

 陣痛にうめく女のようなくぐもった声が、食いしばった口元から、いくつもいくつも漏れ出てきて、それは彼女を浸す悪夢の濃さを示している。

 けれど、わたしとおそろいのアニエスベーの黒Tシャツの奥の心臓が、不規則ながらも律動(りつどう)を継続してくれていた。

 つまり、心臓に致命的なダメージはないようだったので、わたしは心からほっとする。

 でも同じくらいに、酷く打ちのめされていた。

 というのも、彼女の体がずいぶんと変わってしまっていたからだ。


 エレのネイビーブルーのキルトスカートから伸びた彼女の二つの脚は力なくしぼんでいた。

 ゆるみ切った皮が花壇の土に膨らました後の餅みたいにだらんと崩れている。

 足首、ふくらはぎ、太ももを、直径1㎝高さ2㎝のいぼがびっしりと覆っていた。


 北欧のトロールを子供用にデフォルメしたムウミンというアニメに出てくる白いうにょうにょたちみたいに、いぼたちは淫崩の肌の上でひしめき合っていた。

 その一つ一つが近くで見ると異常に白く、月光を帯びながら、うっすらと輝いていた。


―……手当をしないと。まず、仰向けに。―


 ぐにゃっとした感覚があった。

 仰向けの姿勢を取らせてあげようと触れた彼女の肩や腰に、無数の凹凸(おうとつ)を感じた。


 つまり、このいぼというか、うにょうにょの群れは淫崩のふともものさらに上、スカートの奥や臀部(でんぶ)、腹部や胸まで(ひろ)がっていたのだ。

 わたしの口元はその奇妙な感触に強張る。

 それでも、花壇の毒草を潰して彼女が傷まないように注意しながら、土の部分に寝かせた。


 それから、あらためて容態をみる。


……うにょうにょの群生は足首付近が一番成長している。

 太ももに向かうにつれていぼの(たけ)は低くなり、黒のTシャツからのぞく胸元を覆う丸いぼこぼこには、まだうにょうにょや、はっきりとしたいぼと言えるほどのものはない。

 つまり、彼らは足首から出現して淫崩の全身を覆うべく行進をしているのだろう。


 こんな感じで容態をみている間にも、友のまだ滑らかな首や肩の肌が、ゆるやかにぽこぽこし始めている。

 白色のいぼたちが急速に、確実に拡がっているのがみてとれた。

 わたしの脳内に、顔も含めて、全身がうにょうにょで覆いつくされた彼女の映像が浮かぶ。

 それはそんなに的はずれな予想ではないだろう。


 心臓が締め付けられる。

 これは奈崩がしたことで、因果の根っこをたどれば、わたしのせいだからだ。

 それでも、後ろめたさに浸るのを何とか後回しにして、淫崩の足首の、一番成長したうにょうにょに、じっと目を凝らす。


 …その白さの原因が分かった。


 粉をふいている。


 アトピー系の皮膚疾患のもたらす皮膚の白さとはまた違う、本当に純粋な、野菜に生えるカビのような白さの、粉だ。



 ― あ、違う。これは粉じゃなくて、本物のカビだ。―

 脳内で自然に、皮膚病理学の講義の記憶が総ざらいされた。


 見覚えのある色。

 スライドショー。

 指。

 白い粉をふく親指の先。

 黄色く変色し歪む爪。

 肉の裂け目。


 目の前で仰向けになっている彼女が部屋を去る前にくれた言葉も、(おの)ずから反芻される。


 “空気感染”と “免疫不全”。


 講義の画像と2つの言葉が脳内で結びついて、わたしはようやく1つの結論に至った。


 ― 友を覆うこのカビは、カンジダだ。 ―


 カンジダ、白癬菌とも言われる。

 水虫、インキンたむし、白癬(はくせん)、白くもと発症部位によって呼び方は違うけれど、どれも同じカンジダが悪さをする。

 これは特別な菌ではない。常在菌という菌で、本当にどこにでもいるものだ。

 けれど、免疫システムのダウンによって、淫崩の体はこれに爆発的な繁殖を許している。


 ―……でも、するべきことは変わらない。―


……救命小箱から生理食塩水とヨーグルトを取り出して口に含む。

 そのまま淫崩のおかっぱ頭の下に右手のひらをさしいれて支え、左手の指先で彼女の顎を押さえて口を開かせる。

 と、上唇と下唇の合間から、綺麗にそろった歯の列があらわれて、さらに奥から口腔がのぞいた。

 

 舌も喉も、粘膜全体がびっしりと、白いカビに覆われている。

 まるで小麦粉でもまぶしたみたいだ。

 たぶん、喉の向こうの気道や肺もカンジダに覆われているのだろう。

 友の因果は奈崩に派手に負けたらしい。

 随分な暴れ方をその体内に許している。


 わたしはさらに1つの結論にたどり着いてしまった。

 それがもたらす絶望に、回復薬を含んだまま口元を両手で抑えて、しばし硬直する。


 その間に全身のうにょうにょの正体の見当もついてしまう。

 ウィルス性の腫瘍。皮膚がんの一種だ。

 このウィルスもどこにでもいるもの。感染力のとても弱いウィルス。


 つまり彼女は免疫系を破壊されて、なんともない普通のものに大暴れされている。

 それが全身の体力を奪い、呼吸器系も潰している。


 いくらひだる神といっても、呼吸器系を潰されれば、回復は望めない。

 そもそもこんなに派手に免疫系を壊されてしまったら、回復薬など焼け石に水だ。

 それは、気休め程度にでも効いてくれたら幸い…と思ってしまうくらいに。


― この子はもう、終わり、だ。―



 これが最終的な結論だった。

 結論というより、絶望と言った方がいいかもしれない。

 さらにわたしの頭蓋の内側に、空気感染、体液感染、そして濃厚接触という言葉たちがこだまする。

 現実は無慈悲なほどに、追い討ちをかけてくる。


―今、口に含んでいる回復薬を、この子に入れたら。……わたしは、感染する。―


 いや、すでに感染してたのかもしれない。

 その場合は発症までの時間が短くなる。

 なんせ、鉄壁の淫崩を潰した因果(うぃるす)だ。

 わたしの免疫力など(あらが)いようがない。




……混濁にうなされる淫崩の顔をじっと見つめる。


 わたしは、とても穏やかな顔をしていたと思う。

 なんでそんな事を言いきれるかというと、それまでの不安がうそのように、心音が穏やかだったからだ。



 わたしは淫崩の唇にかがみこみ、そのまま彼女の口腔に回復薬を流しいれた。

 友はむせて、彼女の頬に落ちていたわたしの前髪が揺れる。

 唾液とヨーグルトと血液が混ざったものが、わたしの口腔に流れ込んできた。

 けれど、かまわずに、もう一度それを彼女の口腔に流しいれた。





※村自体も新年の三賀日以外は、もぬけの殻だ。

 いや、保育所の子供たちと彼らの世話をする保育士たちはもちろんここに住んでいる。

 けれど、外部からの往来は、山間を縫って人里に流れていく川沿いのアスファルト道から、物資が定期的に届く時くらいで、それ以外はもう本当に人気(ひとけ)は全くない。


 けれど新年の三賀日は村のお祭りでとても賑わう。

 この期間、子供たちには外出禁止の超厳戒令が敷かれる。

 なので、14歳だった頃のわたしは、とても怖かった。

 集落の中央を流れる川を隔てた向こう側から、微かに届いてくる祭りばやしの笛の音や、太鼓の音の乱雑な音階、雪をはねのけていく山車(だし)の掛け声が耳に慣れなかったからだ。


 思春期からとても遠い後日、保育所を卒業して案件を一通りこなして、それなりの中堅となったわたしに、村の助役の境間さんが連絡をくれた。

 「祭がありますからたまには戻りませんか」

 お言葉に甘えて里帰りをして、全国各地方から帰還した村人たちの賑わいにびっくりしたのは、別の話である。


 そういう訳で年間の約99.17%は無人の極みのこの村だけれど、別に廃墟だとか、保育所しかない、とかそういうわけではない。

 この集落には古民家、農地、公民館、図書館、神社、登山口とその隣の炭焼き小屋、ちょっと広めな公園すらある。

 誰もいない村なのに、これらの施設の管理は不思議としっかりされている。

 古民家の柱の漆喰(しっくい)も、公民館の外壁のコンクリートに塗られた白ペンキも、公園を丸く囲む歩道に点々と設置されているベンチのライトブルーにさえも、 欠けや()げはない。


 なので、ぱっと見は、田舎歩きをテーマにしたテレビTOKYOの旅番組とに出てきそうだけど、この村に訪れる人は本当にいない。

 そもそも地図にも載っていないし、米国国防総省とかの衛星システムもハッキングをして上空からはただの山林にしか映らないようにしてある。

 天下のグオグルマップにも原始林の画像を差し替えて登録してあるという、恐るべき隠匿(いんとく)具合なので、本当に何人(なんびと)たりともここにたどり着くことはできない。


 もし仮に登山客などが遠くで遭難などをして奇跡的に迷い混んだら、翌日には解剖学の素材とかになってしまうと予測できるくらい、本当に色々と外部を拒絶した村なのである。


 この村はわたしが産まれるずっと前からこんな感じだった。

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