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黒疫(くろえ) -異能力者たちの群像劇―  作者: くろすろおどtkhs
多濡奇(たぬき):カラカス1
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雲路の歌・魂の在り方

 その晩、わたしはイングニスご夫妻が寝静まる前に、2階の窓から飛んだ。

 泣きすぎて目も赤いし、瞼も腫れている。

 

 でも、今晩は控えようか、とかそういう事は思わなかった。

 バリオスに散歩に行くのは日課になっていたし、何よりわたしはとても寂しかったのだ。

 1人で、独りで。

 アリアさんという敵意の塊の部屋にい続けることは、厳しかった。

 ここら辺のメンタルは、罵倒されても仕方ないと思う。

 わたしは村人らしくない。


 でも、これはどうこう言っても仕方ない性分なので、明日でも客間に移動させてもらおうと思う。

 アリアさんの部屋には『彼女の匂い』がしみついているし、今晩ばかりはどうしても、あの瞬間を思い出してしまうのだ。

 ガラスの崩壊と甦る絶望。

 忘我の混乱と自覚した悲哀。


 案件に臨む工作員(スリーパー)として一番してはいけない事が、感傷に浸ることだ。

 冷静でなければいけないのだ。

 特にわたしの感傷は、歌のタガを緩める。

 そして歌は殺戮を招く。

 

 アリアさんにウィーン少年合唱団を馬鹿にされて淫崩への侮辱を感じた時、鼓膜の歌は消滅した。

 これは津波の前に潮が退き、海底があらわになるようなものだ。

 アリアさんが怯えてくれなかったら、わたしの歌は怒涛となってあの場の全員を殺していた。

 ……背の皮膚全体がざらりと粟立つ。

 

 涙とよだれと汚物にまみれて、首をありえない方向によじって、絶命しながらも救いを求めるように両腕を真っ直ぐ伸ばして痙攣を続ける彼らの映像が、脳内に浮かんだからだ。

 映像の中にはわたしもいた。

 背を真っ直ぐに立てて、胸を張って、堂々と歌っていた。

 ソプラノ。

 遠く離れてしまった人を想う歌。

 名前は『雲路(くもじ)の歌』

 

 つまり、わたしはあの時、アリアさんに怒りを抱くという形を取りながら、実のところは、淫崩を想っていたのだ。

 それは感傷だ。


 亡き友を馬鹿にされて、怒りの感情を抱くことは普通なのだろう。

 けれど感傷は駄目だ。

 対策を講じないと、わたしはまた同じ事をやらかす。


 こめかみの奥あたりが、ずーんと重い。

 感情と感傷。

 難しい事をあまり考えないで、のほほんと生きていたいわたしには複雑すぎる違いである。


 でも、それも必要なことなのだろう。

 抑え過ぎても歌は暴走する。

 理想的なのは、感情を認めつつ昇華すること。


 - 暴力、かな。-


 暴力がいい、と思った。

 修羅の場で、傷つき傷つける。

 逆忌さんを屠った敵と接近しないところで、咆哮したい。

 いくつもの銃弾の軌道を読み、大勢に囲まれて死の縁で踊りたい。


 これは自虐ではない。

 誰彼構わず寝まくるとか、そういうおとしめとは違う。

 もっと爽やかでさばさばとした殺し合いができれば、すっきりするのに。


 ……などと意味不明な事をわたしは考えながら、夜のカラカスを全速力で駆け続けた。

 それは、夜の大気を裂くように。


※※※


 グアイレ川にさしかかる。


 いつもならここで速度を落として深呼吸するけれど、その晩のわたしは止まらなかった。

 さすがに全力疾走は肺に来ていたし、息は酸素を求めて血なまぐさくなっていた。

 けれど違うのだ。


 新鮮な空気を吸いたいとか思うなら、チャカオ地区の沢でも歩けばいい。

 わたしはこの汚濁の街に、もっと違うものを求めている。


 淫崩は誇り高く清らかな斑転だった。

 わたしは彼女を死に追いやり、その責め苦から目をそらすために、殺気を覚え尻軽になった。

 汚れた。


 そう、汚れたわたしには、汚れた大気が相応しい。

 これは自虐ではない。

 正等な自己評価だ。

 

 九虚君もこれには反対しないだろう。

 でなければ、空港で

『2億円あげて一晩逢瀬を味わえば済む話だったんじゃないんですか? そもそも一晩だろうがモーテルで3時間だろうが、減るものでもあるまいし』

 と言ったりはしなかっただろう。

 

 しかし、いくら傷ついたとはいえ、彼が発した一言一句を覚えているのも大概だ。

 

 さらに言うと、甘い痛みとか恋とかで表現しながら浮き足立っているけれど、わたしは32歳の尻軽女なのだ。名の高い妖狐の子孫である九虚君に、わたしが釣り合うわけがないのだ。


 う。

 

 ……なんか今、傷ついた。

 すごく傷ついた。

 世界中の人々がわたしの『釣り合うわけが無い』に、大きく頷いた、そんな気がしたからである。


 一方通行の片思いの切なさに自尊心を抉られながら、わたしはペタレ地区の煉瓦の斜面、その壁を三角に飛び始める。


 とん

 とん

 とんとん

 とん……


 そうなのだ。

 今晩は一々うんちを踏んで落ち込む心の余裕が無いのだ。

 考えてもみてほしい。

 うんちを踏んでスイッチがどこかに繋がって、歌を漏らしたら、目も当てられない。


 - やっぱり暴力がいい。うん、凶暴な誰かに罵られたい。侮蔑されたい。そしてその誰かを-


 とん

 とん

 

 ー ……叩き潰したい。-


 とんとん

 とんっ!


 わたしは最後の煉瓦を蹴った。

 夜空に展開していく視界から、肉体が放物線を描くのが分かる。

 体を捻り、天地がさかさまになる。

 アンジェラちゃんとガブリエルさんがいるかどうかを上空から確認。

 いた。

 アンジェラちゃんは舌をはっはしている。

 ガブリエルさんと目が合った。

 首をのけぞらせて、クールな瞳をまん丸くしている。

 髪、褐色の肌、整った鼻梁、その他諸々が、月光にきらきらしている。

 今日もこの人はいい男だ。


 わたしは体をさらに捻った。

 新体操ばりのムーンサルトで、着地の位置を確かめる。

 大丈夫だ。

 このままの軌道を描けば、わたしの肉体は、彼らの横2mに靴先から着地することだろう。


 ぐちゃ。


 踵が踏みつけた。

 何かは言わずもがな。

 わたしは、ずーんと来た。

 すたっと爽やかに着地して、爽やかに登場したかったのだ。

 いや、わたしが湿っぽくてぐじぐじした女だという事は分かっている。 

 だが、友人たちとお会いする時くらい、颯爽(さっそう)と上空から登場したっていいのではないか。

 ちょっと悲しくなり、その哀しみはいらつきに変わった。


 わたしは(うつむ)き、(うな)るように声を出す。

「アンジェラちゃんのでしょ」

「あ、ああ」

 わたしの気配にたじろぎながら、彼は答える。

 わたしは、ばっ! と顔を上げた。


「うんちは飼い主が片づけて下さいっ!」

 言い放ってから、後悔。

 ここはペタレ地区だ。

 犬のうんちどころか、人のうんちもほっておく街なのである。


 きょとんとするガブリエルさんに、わたしは恥ずかしくなった。

 頬が熱を持つ。

 いや、これはそもそも、ほとんど息継ぎなしで、ここまで駆け跳ねてきた因果(せい)かもしれない。


「ああ、分かった。明日は片づけておくよ」

 ……大人、だなあ。

 ガブリエルの穏やかなテノールが、バリオスの青い闇に響く。

 この街の臭気は、わたしの魂と同じ位最悪だけど、空が近い分、月光は溢れている。

 上空の闇には、神々の霊のような、雲の巨大がある。

 去りゆく雨期の名残だ。


「すいません。待っていてくれたのに、いきなり怒って」

「いや、いいさ。俺も気が利かなかった」

 ガブリエルさんは肩をすくめた。

 この人くらい色気があると、きざな仕草も板につくという物だ。

 わたしもちょっと真似したくなったが、怪しい人になってしまうので、やめておく。


「いえ、こちらこそ。あ、ガブリエルさん」

「なんだ?」

「こんばんは」

「こんばんは、多濡奇のお嬢さん」

 わたしは彼を見上げて微笑む。

 彼もほほ笑んでくれた。

 心音は甘い痛みを刻んでいる。

 この人は誰を想っているのだろうか。

 いつかそれとなく訊いてみたいものだ。

 貴重な情報ルートだ。丁寧に取り扱う必要があるし、そのためには、できるだけ色々知っておいた方が良い。

 

 ……。


 癒されている。

 アンジェラちゃんと同じくらい、彼との会話に、孤独感が薄れている。


 また、悲哀がこみ上げて来た。

 わたしはため息をつく。

 懐から缶詰を取り出し、差し出す。

 今日はカモ肉とポテトのドッグフードだ。


「これ、アンジェラちゃんにあげて下さい」

「……いいのか?」

「え」

「あんた、いつもこいつにやって、こうやってただろう?」

 ガブリエルさんは、両手でわしゃわしゃとするジェスチャーをした。

 苦笑がこみ上げる。


「今日はちょっと、気分が優れな……」

「泣いたのか? 目が赤い。誰が泣かせた? 殺してやるぜ」

 ガブリエルさんの声が低くなった。

 わたしはきょとんとして、それから困ったみたいに笑った。

 殺して欲しい人などいない。

 あの奈崩についてすら、わたしは命の安全を願っている。

 誰が死んでも、案件の成功確率は下がるからだ。

 それに、彼は村人というだけだ。

 暴を振るう村人として、正しく行動した。悪かったのは、そして、何も選べずに淫崩を殺して、勝手に汚れまくったのは、わたしだ。

 (けが)れているのは、わたしなのだ。


「気になさらず。ちょっと、色々あって、落ち込んでいるのです。だから、アンジェラちゃんには」

 わたしはそこで言葉を切った。

 今晩は、やけにアンジェラちゃんの黒い毛並みが、綺麗に見える。

 月光に輝いている。

 穢れたわたしが、触れてはいけないものが、そこにある気がする。


「多濡奇のお嬢さん」

「はい?」

「来てくれて、ありがとう。落ち込んでるのに、空から降ってきてくれたってのは光栄の至りだぜ。で、どうする? どこでも案内してやるぜ。今日はそういう約束だからな」


 ……優しい、なあ。ガブリエルさん。

 わたしはしばし考えてから、彼のすっきりとした顎を見上げる。


「殺し合いがしたいです。遠慮なく、誰かに殺されかけたいのです。暴力を振るって、軽蔑されて、潰したい」


 助けを求めるみたいに切実な声を、わたしの喉は出した。眉は自然にひそめられる。月光の視界は熱く滲んだ。


 ガブリエルさんの口は半開きになった。


 わたしはたたみかける。


「昨日、北とか南とか、きな臭い話をしていたでしょう。潰すなら手伝います。花を摘むみたいな感じで、わたしは全ての命を滑らかに摘むでしょう。殺しの代償は求めません」

「ふむ」

 ガブリエルさんは、腕を組み、それからおもむろに、右の親指の爪を噛んだ。


「……いいぜ。ついて来いよ」

 彼はそう言って、バリオスを歩き出した。

 わたしはちょっとほっとする。ドン引きもされなかった。

 バリオスの危ない組織の人らしい、落ち着き方だ。

 これこそ、ざ・マッチングというものだ。需要と供給。利害の完全な一致。

 嬉しくなる。


 好きでもない誰かに抱かれるより、ひたすら殺し合った方が、健全というものだ。

 汚れきっているわたしだけど、これからはできるだけ健全に生きて行こう。


 ……と、思っているうちに、わたしたちはバリオスの細い坂を下って行った。

 南側。

 グアイレ川がちょっと歩けばそこにある。

 

 ― ここ? ―


 わたしは混乱した。

 こんな所に襲撃先があるのか。

 

 バリオスの組織は三つに分かれている。

 北、中央、南。


 ガブリエルさんは、中央の偉い人だ。

 その彼が、小屋の入り口を開けた。

 煉瓦作りの、半分崩れた壁をトタンでつぎはぎしたような、みすぼらしい小屋だった。


「俺から離れるなよ」

 肩越しに、冷たい目でそう言って、彼は小屋に乗り込んだ。

 その心音は微かな緊張を刻む。

 わたしは笑みがこみ上げる。

 望んだ修羅場がそこにあるのだ。

 でもなぜだろう。小さな心音しかしない。しかも、これは就寝を刻む音だ。

 ……武器庫、なのかな?

 子供に番をさせていて、取りにきた、とか。

 

 彼は普通に鍵を開けた。

 きな臭いものは漂ってこない。

 アレパ、トウモロコシ粉の香が、かすかに鼻腔をくすぐった。


 わたしはぽかんと呆けたが、慌てて後を追う。

 敷居をまたいだ。


 ガブリエルさんが、灯りをつけた。

 ランプの光が暖かい。


 ……壁の隅に、女の子がいた。


「起きろ、ファナ」

「ん……なに? お兄ちゃん」

「客だ」

 

 わたしは呆けた。


「ガブリエルさん」

「ん?」

「わたしがしたいのは」

「悲しんでる女は、殺し合いなんかしちゃいけねえ。いくら強くてもな」


 ……豆鉄砲が直撃した鳩の心持が、分かる。


「紹介するぜ。ファナだ。俺の妹だ。仲良くしてやってくれ」

 そう言って、ガブリエルさんは、悪戯っぽく笑った。


 わたしの背筋から、何故か力が抜けた。

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