明日の予感
わたしはアルメイダさんと連れ立って、サンタ・ソフィア病院を巡り歩いた。
基本、栄養相談は、各階の面談室で行われる。
が、中には、面談室まで動くことができなくても、栄養相談を希望する患者さんがいたりする。
しかも、こういった患者さんが、この病院は意外と多い。
これは、ひとえに-。
「美人過ぎるってのも辛いわ。あんまり関係ない患者さんからもお呼ばれしちゃうし」
そんな事を堂々と漏らしてのける、アルメイダさんの美貌による。
黄金の髪、大地の褐色、青みがかった黒の瞳、白衣に包まれたしなやかな肉体、そして脚線美。
美人さんが多いベネズエラでも、アルメイダさんは上位1%に入る程の美人らしい。
同じ人種で、下手に容姿に自信がある女性なら、彼女に嫉妬するかもしれない。
が、わたしは日本人だし、村人だ。
人の容姿よりも、自らの髪のキューティクルとか、肌のつや、はりの方が気になるお年頃なのである。
「まあでも、コミュニケーションも治療の一環よね。結局人を癒すのって、活力だし」
彼女の発言は正しい。誰かと関わりあいたい。
話したい。そういう希望が意志となり、意志が命を支えるのだ。
九虚君の無条件治癒とはまた違った仕組みだけど、根本は同じ気がする。
彼には奈亜ちゃんを治療してもらった事がある。
あの時は、キリストの奇蹟を目撃するような錯覚を覚えた。
でも、その奇蹟の前に、無関係の子供たちを癒すことを提案したら、ひどく嫌がられた。
そこにどういう傷があるのか分からないけれど、彼は仕事以外の治癒行為を嫌う。
けれど……。
それでも、彼がここに来てくれたら、と思う。
彼に見つめられた人は、糖尿も癌も、脳梗塞も、腎臓病も、あらゆる疾病から回復するのだ。
それが彼の因果である。
人を攻撃できないという因果は、村人としては悲惨だけど、存在自体が救いのような因果だ。
いや、別に治してくれなくてもいい。
あの、慈悲に溢れた、涼やかな瞳をもう一度見たい。
結局、わたしの願いはそれだけだ。
それが、恋というものなのだろう。
……と、業務中にも関わらず、恋する乙女モードになってしまったわたしの隣で、アルメイダさんが、
「あら」
と言った。
通路の突き当たりのエレベーターから、ゆっくりと出てきた老夫婦も、立ち止まって、奥さんが、
「あら」
と言った。
旦那さんが、じろりとアルメイダさんを睨んだ。
彼の心音は、敵意と、後ろめたさを刻んでいる。
アルメイダさんは、足早に彼らの元に歩み寄り、
「セナイダさん、お久しぶりです」
と言った。心音は親愛を刻んでいる。
セナイダさんという老婦人は、嬉しそうに笑顔を作った。
でも、心音には、ばつの悪さが滲んでいる。
アルメイダさんは、旦那さんを見た。
「アールオさんもお久しぶりです」
「ああ」
アールオさんは、アルメイダさんから視線をそらした。
瞬間、アルメイダさんと、アールオさんの間に、不可視の稲妻のようなものが、ぴきっと走ったのを、わたしは見逃さなかったが、少し途方にくれた。
整理すると、セナイダさんという老婦人は、アルメイダさんと親しい。
アールオさんは、逆だ。
院内でも人気の高い、アルメイダさんに、堂々と牙を剥く(空気的に、という接頭語がつくけど)アールオさんに、わたしはどう対応すればいいのだろう。
「雫」
アルメイダさんがわたしを振り返った。
「あ。はい」
わたしは急いで、彼女の隣に並ぶ。
「紹介しますね。日本から、ジャイカの支援で栄養士としていらしてる、シズク・ワタヌキさんです」
「はじめまして、雫・綿貫です。よろしくお願いいたします」
お辞儀をする。
聴覚が自然に研ぎ澄まされる。
セナイダさんは、戸惑い、嫌悪、憐れみの心音を刻んだ。
刻み方が、病的にぎこちない。
心臓に疾患を抱えているのか。
アールオさんは、嫌悪一色だ。
「セナイダ・エンポリオスです。今日からお世話になるわ。よろしくね、雫」
セナイダさんは、表面的にではあるが、そう言って、微笑んでくれた。
アールオさんは、わたしから顔を背けて、
「栄養指導は明日だ。今日あんたたちと話すことは何も無い」
と、吐き捨てるように言った。
アルメイダさんのこめかみが、ぴきっ! と音を立てた気がした。
が、これは錯覚である。
彼女は、アールオ・エンポリオスさんの態度に怒りを感じてくれているらしい。
が、逆に申し訳ない。
でも、やはりアルメイダさんは大人である。
「では、明日、よろしくお願いいたしますね。行きましょう、雫」
彼女は、そう言って、セナイダさんにだけ、会釈をして、踵を返した。
……あんまり大人じゃないかもしれない。
わたしは慌てて、ぺこりと彼らにお辞儀をして、アルメイダさんの白衣を追った。
……業務終了前、栄養指導の記録をPCに入力している時。
アルメイダさんはモニターから顔を上げずに、
「良い旦那さんなのよ」
と、ぽつりと言った。
わたしは画面から顔を上げて、彼女を見た。
「アールオさんですか?」
「うん。めちゃくちゃ気難しいけれど、セナイダさん想いの、良い旦那さんなの。けど、あんな感じだから、雫も明日は覚悟しといてね」
「あ、はい。頑張ります」
「うん。まあ、慣れない国で頑固親父と対決するってのは、ハードだと思うけれど、大丈夫よ。頑張ってたら、あいつと戦う3ヶ月なんてあっという間。2月にカーニバルで踊れるわ」
……カーニバルは、ありがたくない。
が、励ましてくれているのは分かる。
アルメイダさんは、本当に良い人だ。
セナイダさんの主要疾患は糖尿病。
高脂血症と、心臓病を併発している。
一度入院すると、長いらしい。
前回の入院は3年前だが、5ヶ月間入院している。
旦那さんのアールオさんは、カラカスでは有名な芸術家。専門は彫刻。芸術家らしく気難しい頑固者で、別の入院患者たちと、トラブルを起こしている。
なんというか、典型的な、モンスター患者らしい。
でも、である。
奥さん想いの旦那さんは、素敵だ。
ここで九虚君が脳裏に浮かんでしまうわたしの方が、救いがない。
わたしは笑顔を作って、
「頑張ります」
と穏やかに言った。
「うん。明日も、スケートボード、楽しみましょうね」
アルメイダさんが、そう言って、やっと顔を上げて、笑顔になってくれたので、わたしは嬉しかった。
……こんな感じで、その日のサンタ・ソフィア病院の業務は終了した。
いつも通り、安原さんのお迎えでジャイカの事務所に戻り、報告書を書く。
で、チャベスの守衛さんにご挨拶をして、ビルの外に出ると、やはり、イングニスご夫妻の車が乗り付けられている。
ちなみに、この車はカブトムシっぽい形をしている。
ミリアさんが、斜陽の黄色い光の中、手を小さく振ってくれる。
セルジオさんも、会釈をしてくれる。が、目が少し虚ろだ。
……何かあったのだろうか?
わたしは落ち着かなさを覚えながらも、カブトムシに乗り込んだ。
「お疲れ様、雫。病院はどうだった?」
「充実していました」
「素敵なことね。でね、貴女に伝えないといけない事があるの」
「まだ話す必要は無いだろう」
ハンドルを握るセルジオさんが、不機嫌に割り込んできた。
車内に、剣呑な空気がただよう。
エンジン音が不吉を帯びた気がする。
ミリアさんが、眉をひそめた。
「明日よ?」
「まだ、ちゃんとあいつは返事をしていない」
「返事をしなくても、あの娘は帰ってきます。あたしは母親よ?」
「……」
不快を込めて、ミリアさんは声を大きくした。
セルジオさんは、彼女に返事をしない。
車はチャカオ地区の現代的なオフィス街を、イングニス邸に向っていく。
「ごめんなさいね、雫」
「いいえ、大丈夫です。明日、何かあるんですか?」
ミリアさんは、褐色の顔を、くしゃくしゃにした。
「アリアが帰ってくるの」
「まだ返事はない」
「貴方は黙ってて」
「……」
セルジオさんは、もう何も話さない。
運転に集中すると決めたようだ。
「アリアさん、娘さんですか?」
「うん。この通り、セルジオとは喧嘩しているんだけどね、一度帰ってくるのよ。仲直りに」
「喧嘩などしていない!! あいつが勝手に取り乱しただけだ」
アリアさんのお父さんは声を荒げ、ミリアさんは肩をすくめた。
わたしはというと、作るべき表情に困り、とりあえず微笑む。
……明日は色々あるんだなあ、と思っているうちに、セルジオさんの座席、少し薄くなった黒髪の向うに、イングニス邸が見えてきた。
白い壁に夕日が映えて、淡い金色に輝いていた。




