東の青
奴の使い魔のカラスに従って、ビルとビルの間を、粗く踏みしだく。
空中で、地上の多濡奇、被り物の奥の瞳と目が合う。
「よお」
俺は奴の前のコンクリートに重く着地。
向き直り、口の端を上げた。
まず、ほほ笑む。
こういう場合の微笑は、威圧だ。
くそ。
「さっき別れたばかりじゃない」
声が冷ややかだ。
「感謝しろよぉ。多濡奇ぃ。てめえはよぉ、俺とヤリたいんだろぉ?」
「……はぁ?」
奴は眉のかしらを軽蔑に歪めながら、首を傾げた。
ああ、知ってるぜ。
お前は、世界がひっくり返っても、そんな事は思わない。
それでも俺は胸を張る。できるだけ得意げに、だ。
「有名だぜぇ。てめぇが、案件仲間と、ヤリたがるのはy……っ!!」
俺が言葉を吐き切る前に、多濡奇の左右の拳は3発ずつ、顔に入った。
骨が砕ける。
そりゃそうだよな。
お前が寝まくってきたのは、あの夜から、お前が離れられない証拠だ。
お前の心はまだ、淫崩が死んだ場所にある。
拳の雨に顔を砕かれながら、俺はそんなことを思った。
それから俺は尻もちをつく。
手のひらをかざして、待て、のジェスチャーをする。
待たないかと思ったが、動きを止めてくれた。
多濡奇、お前は変わんねえなあ。
優しい。
が、俺はその事実に不安になる。
胸元からヨーグルトパックを取り出し、吸い込み、一息つく。
回復の因果が発動。
会話ができるレベルにまで、回復する。
俺は胡坐をかき、やつを見上げて、訊いた。
「いいのか? 俺にこんなことしてよぉ」
「いいも何も、喧嘩を売って来たのはあんたでしょ」
多濡奇は冷たく言い放つ。
俺は笑った。
奴が眉をひそめる。
「買った結果も考えねえのかよぉ。多濡奇ぃ、てめえは相変わらず馬鹿だなあ」
「どういう意味?」
「俺が失敗したら、てめえのせいになるっつうことだぁ」
「は? これくらいの打撃、回復できるでしょ? 子供じゃないんだし。あんた、それでもひだる神?」
俺は口角を上げた。
舎弟、心音は嘲りを刻め。
「俺は回復しねえ。回復しても『ちゃんと戦う』とかはしねえよ。多濡奇、てめえが俺を殴るせいだ」
多濡奇は一度、きょとんとしてから、頬を赤くした。
ひよこの奥の瞳に殺気の光が宿る。
いいぞ。そうだ。それが覚悟だ。
誰が何をしようが、全力を尽くす。
気が食わねえなら、叩き潰す。
そういう強さが、強さってヤツだ。
そういう奴が、修羅場で迷わねえ。
迷わねえ奴は、生き残る。
俺は嬉しくなった。
大丈夫だ。
こいつは、14の餓鬼じゃねえ。
ちゃんと、強い、と思った時、多濡奇の頬から、血が引いた。
ひよこの奥の、美しい瞳が、大きく見開かれる。
くそ。
俺は笑顔を作り、できるだけ悠々と立ち上がった。
「そうだ。俺はどっちでも構わねえ。案件とかガキどもの寿命とか、関係ねえ。だがよぉ。てめえが俺に逆らうのは許さねえ」
違う。
許されねえのは、俺だ。
分かってただろう。
多濡奇は筋金入りだ。
三つ子の魂ってヤツだ。
俺は、奴の被り物に両手をかけて、歪め、外し、肩の後ろに捨てた。
多濡奇の髪が闇に解けた。
痛々しい、美があった。
震えている。
知っている。
この潤んだ瞳は、見開かれた瞳は、悲壮な美は……。
あの、炭焼き小屋の多濡奇、だ。
俺にあれを開いた、多濡奇だ。
くそ、口元が引きつる。
痛みが、自責が、俺を蹂躙する。
ああ、そうか。そうだな。
俺も、やっぱりあの夜にいるんだな。
ペンキ屋の仕事は楽しかった。
それで、ぼやかしていただけだ。
俺は無理やり、引きつり笑いをした。息が多濡奇の額を覆う髪にかかる。
くそ。
畜生。
多濡奇。
だが、お前は強くなったんだろう?
100年級を3件もこなして、大量の人間を殺してきたんだろう?
なら、挑発に乗れよ。
俺は多濡奇の胸元に両手をかけ、拳を握って、左右に開く。
奴の服は、ピンクの下着ごと、引き裂かれ、乳房が俺の前に白く曝された。
全てをわすれそうなほどの、柔らかな、曲線。
月光みてえな質感の、美がそこにあったんだ。
俺は息を吞みかけた。
多濡奇は、奥歯を噛みしめている。
ぶるぶると震えながら、口を開いた。
「あんたに、従ったら」
「ああ?」
「あん、たに、したがった、ら。ちゃんと、案件してくれる、の?」
奴は、俺を見上げてそう訊いた。
俺は沈黙した。
眼を、大きく開く。
美しい多濡奇が、哀願している。
瞬間、俺は、魂に冷や水を浴びせられた。
多濡奇の乳房に魅了された。
怯えさせて、また、屈服させた。
変わんねえ。
くそ。
畜生。
境間の手の上か。
あいつは、これをどっかで見て、楽しんでやがんのか。
くそ。
俺が駄目だからか。
そうだ。
俺が駄目なんだ。
……いいぜ。
舎弟、心音に快楽を刻め。
俺はこれから、こいつを殴る。
半年は動けねえほど、強くぶん殴る。
知ってるぜ、九虚が回復させるだろう。
だが、心を折れば、心があっちに行っちまうほど殴れば、こいつは戻ってこれねえ。
そして、それをできるのは、俺だけだ。
こいつから、淫崩と処女を奪った、俺だけなんだ。
……その間に、俺は案件を終わらす。または、全滅だ。
それで、こいつは生き残れる。
「そうだなあぁ。だけどよぉ。まずはぁ、殴らせろぉお!!」
俺の肩は盛り上がる。
拳を振りかぶった。
多濡奇が後ろに投げ飛ばされた。
足を軽くかけての、合気。
空気投げに近い。
九虚が俺らに割り込んだ。
俺の拳が奴のサングラスが吹っ飛ばす。
こいつ、多濡奇をかばったのか。
救いに来たのか。
俺は、酷く嬉しくなる。
お前、いい奴だな。
「なんだてめえh……っ!?」
「いい加減にして下さい。敬意を払い合う必要はありませんが、最低限、てものがあるでしょうに」
奴は俺の言い終わりを待たずに、口を片手でふさいできやがりながら、こう言った。
ははは。
いいぞ、若造。
舎弟、心臓に怒りだ。
気取らせるなよ。
悪役は悪役で通すべきだ。
しかしやべえな。
九虚、こいつは治癒能力者だ。
舎弟も、免疫不全も要は病気だ。
俺を蝕んでいるものだ。
あんまり目を合わせ続けたら、因果が発動して、俺の因果が消滅しちまう。
それはやべえ。
「とても当たり前ですけれど、僕の方が、奈崩さん、あなたより強いです。だから、強者の定めに従って下さい。つまり、」
九虚は一度言葉を切り、俺の口から手を放した。
ああ、お前の方が強い。
お前は、多濡奇を守れるほど、強いのか?
「いい加減にしてください」
俺は大きく口を開けた。
「てめえ、俺に逆らったらどうなんのかわかってんのかあ!? 案件潰すぞごるあぁぁあ!?」
「構いません。あなたが怠け者だとして、そういう点も踏まえての確率でしょう。ばば様の宣託は絶対ですからね。俺にはどうでもいいです。それに仮に、あなたのせいで案件の成功確率が下がっても、やる事は変わりません。俺は、俺のするべきことをするだけです」
奴の言葉には、静かな確信があった。
俺は多濡奇を見た。
潤んだ瞳で、救われた瞳で、九虚を見ている。
そうだな。
もう、あの夜じゃねえんだ。
ちゃんと、お前を救ってやれる奴がいるんだな。
ははは。
くそ、泣きそうだ。
舎弟、心臓は平静に、だ。
くそ。もう、多濡奇を見てらんねえ。
俺は舌打ちをする。
「青臭え」
若造、それはお前の特権だ。
応援するぜ。
俺は、多濡奇と九虚の横を通り過ぎ、路地の入口、繁華街の光にほのめく駅方向に向かった。
色々な感慨が、こみ上げてきた。
目じりから涙が溢れて、頬に落ちた。
多濡奇。
良かったな。
ああ、本当に良かった。
……それから、3日後の今日。
出発前の空港ロビーで。
俺は多濡奇に合わせる顔が無くて、トイレ通路に引っ込んでいた。
どうせなら、意気揚々と現地に向かってほしいからな。
そしたら、志骸が話しかけてきた。
……随分、分かった口を聞いて来やがった。
時間はたったんだな。
あいつは須崩の無能と同い年の餓鬼だったが、見た目だけそのまんまで、随分頼りがいのありそうな、女になっていた。
あいつが上手く立ち回れるなら、多濡奇も生き残りやすくなるかもしれねえ。
多濡奇はゲートに消えた。
九虚が手を振っている。
お前ら、お似合いだぜ。
酷く、嬉しく、そして寂しい気持ちを抱えながら、俺は、俺のゲートに向った。
乗り込む。
ファーストクラスってやつだが、身体がでかい俺には、ちと手狭だな。
まあ、いいさ。
俺を乗せた飛行機は、加速し、離陸した。
東京のビルの平野が、工場地帯が、くるくる回転しながら、遠ざかっていく。
俺の視線は東を見ていた。
あの空の向こうに、多濡奇を乗せた機体が向かっている。
そう思うと、空の青を感じた。
俺は、ああ、青だな、と思った。
待ってろよ。カルト野郎共。
さっさと壊滅させてやる。
俺がいい仕事をしたら、多濡奇が生き残りやすくなるかもしれねえ。
いや、そのはずだ。
と思いながらもう一度、長方形の窓の向こうの大気に視線を飛ばす。
東の空は青かった。
やっぱり俺は、ああ、青だな、と思った。




