間章 今はまだ蕾のままで【紫苑視点】
季節は冬に突入し、本格的に雪が降り始めた。
家は多少隙間風はあるものの、火鉢や炬燵のおかげで快適に過ごせている。
ふふ、と小さく笑い声が零れた。
手元のスマホには電子書籍サイトが映し出されており、そこに表示されるポイントは以前と比べ大きく跳ね上がっている。
「これで、藤也さんに会えなくなることはもう無いのね」
あのメールに『帰るつもりはないけれど、こちらが指定する電子書籍サイトのポイントを購入できないか?』と問い合わせてみたところ、向こうにいた時の私の資産分なら購入可能という返事が来た。
もう帰るつもりのない、つまり無いも同然なお金を出し惜しみする理由は無い。
一人暮らしでそれなりに稼いでいた大人の資産すべてをポイントに変えてもらったので、もう購入出来なくても間に合うだろう。
そして問い合わせの際に他にも色々と質問を送ってみたのだが、そのすべてに答えが返ってきた。
来訪者があの世界に戻る際はこの世界での記憶や付与された能力等を消す事、向こうの世界では時間が進んでいない状況になる事等、色々と制約があるらしい。
向こうにとってそれは本当に大変らしく、帰らない来訪者が一人いるだけでもありがたいそうだ。
道が開く日が過ぎれば今度こそ二度と元の世界に行く事は出来ないので、最後のお詫びの品として私がこの世界に来てからゲームで追加されたという道具についての情報ももらう事が出来た。
これですべて終わり、もう通知の音が鳴るのは漫画の更新の時だけだろう。
その漫画の流れも良い感じで、藤也さんの生存フラグ的な描写も出てきた、けれど……。
藤也さんの生存フラグらしきシーンは、ベッドに寝転がる包帯だらけの男性キャラの腕と、その傍に立つ一人の女性キャラがする会話のシーンで描かれていた。
以前敵として登場したその女性キャラは何かと藤也さんとの絡みが多く、二次創作などではよくカップリングされていたキャラだ。
今包帯だらけで倒れているようなキャラは藤也さんしかいないのでこれは彼なのだろうが、その女性キャラとの雰囲気や会話内容から嫌でも察してしまう。
まだ明確になったわけでは無いけれど、これは確実に二人は結ばれるだろう、と。
でも……
「……不思議だなあ」
ショックはショックだった。
紙面上で二人が並んでいるところを見たくないとも思うし、何なら心の中ではずっともやもやしている。
けれど自分が想像していたよりもずっとショックは小さかった。
『私は元々結ばれる事がない、って割り切っているところがあるからかもしれないけど。幸せに笑ってくれていたら嬉しい。まあ、面白くないとは思うだろうけど。でも、その人が藤也さんを幸せにしてくれて、藤也さんもその人を好きで幸せにしたいって思っているんだったら……嬉しい、かな』
以前柊に言った自分の言葉は本心で、でもきっとそうなったらしばらく落ち込むだろうし、気持ちが落ち着くまでは本の内容は追いつつも今の様に過去の話を何回も読みかえしたり、過去の藤也さんの登場シーンにときめいたりは出来ないだろうとも思っていた。
けれど私はまだ今まで通り過去の藤也さんの登場シーンを見返しているし、次の話も彼の再登場も楽しみにしている。
「死亡確定よりはずっと良いし」
私にとって最悪なのは、彼が死んでしまう事。
誰かと結ばれたとしても生きていてくれるならばその方が全然良い。
きっと私が本当に失恋するのは漫画内で明確に二人が結ばれた時だが、この感じならばきっと大丈夫……だと思いたい。
「ともかく後は藤也さんの姿をこの目でちゃんと確認するだけ……」
早く腕だけでなく完全に元気な姿を見せてほしい、失恋決定よりもずっとずっと、この描写が藤也さんの生存フラグで無かった時の方が悲しい。
そう思いながら外出用の羽織に腕を通す。
「紫苑、準備は出来たのか?」
「うん、もう行けるよ」
部屋の外から掛けられた声に答えてそのまま障子を開けると、同じように羽織を着こんだ蓮が立っていた。
少しだけ眉間に寄った皺は寒いからだろう。
暖かい間は着崩していた服はきっちりと着込まれ、外を歩くときは襟巻に口元まで埋めている事がほとんどだ。
彼の体に巻き付いた複数の尾はとても暖かそうで、大雪の日なんかは少し羨ましく感じる。
「待たせちゃった?」
「いや、おれも今支度を終えたところだ。行くぞ」
「城下町はこの町よりも賑やかなんだよね」
「ああ。雪が降ると人通りも少ないんだがな。今日は晴れているからそれなりに多そうだ」
蓮と共に家を出ると、道に雪が積もってはいるものの空は晴れ間が見えていた。
昨日は結構な勢いで降っていたので心配していたのだが、晴れて良かった。
蓮がわざわざ誘ってくれるくらいなので、城下町の甘味屋は相当美味しいのだろう、楽しみだ。
家を出て戸締りをし、数歩先で待っていた蓮の元へ向かう。
のんびり行こうぜ、といいながら襟巻に口元まで埋めた蓮がゆっくりと歩を進めていく。
雑談しながら少し進んだところで、首だけ動かして今まで歩いてきた道を見つめた。
道に積もった雪に付いた足跡……家の玄関前の蓮の足跡は、私と合流した辺りから一気に間隔が狭まっている。
これは柊と出かけた時も一緒で、一人で歩いていた彼らと合流した時はいつも、私と並んだ辺りから歩幅が一気に狭くなる。
前々から私に合わせて歩いてくれている事にはもちろん気付いていたが、雪が積もるようになってからはそれが足跡という形で明確に目に入るようになった。
感じる気遣いが少し申し訳なくて、でも歩幅を合わせて隣を歩いてくれる誰かがいるのがひどく嬉しい。
「どうした? 忘れ物でもしたか?」
「あ、ごめん。何でもない」
後ろを振り返る私に気付いた蓮が不思議そうにしているのを見て軽く謝り、また前を向いて彼の隣をゆっくりと歩く。
前に進むたびに増える大きさの違う、けれど間隔は同じ二人分の足跡。
これが町までずっと続くのかと思うと、なんだか不思議な気分だった。
ゆっくりと歩いている事もあり、結構な時間を歩いてようやく城下町へとたどり着く。
初めて見る城下町は家の周辺とは違って所々豪華に飾り付けられており、一軒一軒も大きい。
今歩いている場所が一番大きな通りという事もあるのだろうが、ざわざわと騒がしく人通りも多かった。
蓮に向けられる視線もあるにはあるが気にしていない人も多く、蓮自身も気にした様子は無く歩いている。
この先復活してくる妖怪たちのために、と蓮がある程度人目に付く場所を選んで歩くようになってからしばらく、どうやらその効果はしっかり出ているようだ。
隣を歩く私にも時折視線が飛んでくるが、私も蓮に倣って気にせず歩くことにした。
それにしても人が多い。
見ている分には楽しいが、住むならば自宅周辺のような適度に賑やかで適度に自然がある場所の方が好きかもしれない。
「買い物の前に甘味屋に行くか」
「そうだね、夕食の食材は最後に回そうか」
蓮の案内で大通りを進み、甘味処と書かれた暖簾がかかる店の前で立ち止まる。
店内にもそれなりに人はいるようだが、幸い席は空いているようだ。
店員さんの可愛らしい女の子も私達を見て一瞬驚きはしたものの、すぐに笑顔になって席に案内してくれる。
席はすべて長椅子で、ほとんどの人が自分の膝や長椅子にお盆を置いていた。
大通りが見える長椅子に蓮と並んで腰かけ、お品書きを見つめる。
蓮と同じく私もお汁粉を頼むつもりだったのだが、団子入りの汁粉の横に書かれていた焼餅の入ったぜんざいが気になってしまう。
少し焦げ目のついたパリパリの焼き餅が浮かぶぜんざい……想像しただけでも美味しそうだが、この時間に食べるには少し重い。
「そんなに悩む事か?」
「いや、ぜんざいが美味しそうで。でもお餅が多すぎると夕飯が入らないし」
「なら次はもっと早い時間に食いにくればいいだろ」
「そっか、そうだね」
これが最後というわけでもないし、今日は蓮おすすめのお汁粉にしておこう。
私があまりにも真剣にお品書きと向き合っていたせいか、少し呆れた表情でこちらを見てくる蓮を無視して、店員さんを呼ぶ。
先ほどと変わらず可愛らしい笑顔でこちらに来た店員さんはこの店の看板娘らしく、少し前まで常連さんらしきお客様たちとにこやかに交流していた。
「汁粉二つ頼む」
「はい、かしこまりました!」
注文を取った店員さんが蓮を見て、少し頬を赤く染める。
わあ、と思いつつ、彼の顔が整っているという事を初めて他の人の仕草から実感した。
いつも店で会う人達の中にはこういう風に蓮に見惚れる人はいなかったし、そもそも彼が同年代の女性と会話しているところはあまり見ない。
いたとしてもお店のお客様だし、みんな既婚者だ。
ちょっと不思議な気分だ、妖怪という事を気にせず彼を素敵だと思う人がいるのは良い事なのだろうが。
「…………」
「どうした?」
「え、あ、あー……ちょっと考え事。蓮、また近い内に食べに連れてきてね」
「……心配しなくてもぜんざいは逃げないぞ」
少し細めた目から感じる、先ほどよりも強くなった呆れの視線からそっと目を逸らす。
別に私だってぜんざいが逃げるからお願いしたわけでは無いが、なんというか……なんだろう?
「……変な感じ」
思わず口からそう言葉が零れたところで、視界の隅に見知った顔を見つけた気がしてそちらに顔を向ける。
ちょうど私たちが座る席の前にある窓から見える大通りを、いつも通りピシッとした着こなしで歩く人物が目に入った。
「あ、柊だ」
「ん? ああ、ちょうど休憩か仕事が終わったかのどっちかだろうな」
相変わらず背筋がまっすぐな人だなあ、なんて思いながら少し離れた位置を歩く柊を見つめると、彼の隣を小柄な女性が歩いている事に気が付いた。
少し明るめの茶色の髪の女性は童顔というか、女性と少女の中間くらいに見える。
柊と会話しながら歩いているようで、笑顔ではないものの柊の雰囲気も緩い。
女性相手に緩い雰囲気で話す柊は初めて見たかもしれない。
何となく目が離せずに柊と女性が歩いているのを見ていると、柊の口元がさらに緩んだのがわかった。
あれ? とまた妙な気分になる。
先ほど蓮と話していた時と同じ感覚だが、何と言い表せばいいのかわからない。
「ああ、あいつか」
「お城の人?」
「楓の世話係、というよりも親友って感じの奴だ。この世界に来たばかりの頃からずっと、それこそ柊たちがまだ楓の事を疑っていた時も唯一楓の味方をしていたらしい。楓がよくあいつがいなければ今の自分はいない、と言ってるくらいには仲が良いな」
「へえ」
それで柊の雰囲気も緩いのか、と考えて少しの違和感を覚えた。
あのゲームでも親友キャラがいたので彼女がそうなのだろうが……なんだろうこの違和感は。
いやでも、柊や蓮がそうであったようにゲームの記憶と現実に差があるのは当然の事だ。
そう考えて違和感を打ち消すと、女性は柊に一礼して離れていこうとしていた。
同時に柊の視線がこちらを向き、私達に気付いた目が少し見開かれる。
無視するのもおかしいので軽く手を振ると、少しの間の後に小さく笑って手を振り返してきた。
別れようとしていた女性が柊の表情の変化に気付いて私の方を見る。
しっかりと視線が合ったので会釈でもしようと少し首を動かしたところで、その女性から思いっきり睨みつけられた。
おお、と少し驚く。
久しぶりに感じる嫌悪感のこもった視線だ、初対面の時の柊よりも拒絶の意思が強い気がする。
正直、来訪者である身としては大半の人からこんな感じで睨まれてもおかしくはなかったので、やはり今までが平穏過ぎたのだろう。
そう考えたところで、彼女は本当に私が来訪者だと気づいて睨んできたのだろうかと疑問に思った。
特に名乗ったわけでもないし、別の理由?
そう言えば柊も顔立ちは整っているし、見合いが何件も舞い込んでくるような魅力的な人ではある。
あの女性が実は柊の事が好きで私に笑顔で手を振っているのが気に食わない、とか?
「……ん?」
その考えにたどり着いたと同時に、またあの不思議な感覚が湧き上がる。
さっきからこの感覚はなんなのだろう、ちょっともやもやするというか……。
……ぞわりと鳥肌が立ったのは突然だった。
胃の中がむかむかする、理由の分からない妙な不快感が一気に全身を駆け巡る。
駄目だ、嫌な気分だ……これは考えたくない。
ぎゅっと眉根を寄せて、必死に思考を放棄する。
どうしよう、と混乱した頭は、視界に派手な羽織が入ってきた事ですぐに冷静さを取り戻した。
蓮が少し前に体を乗り出して、彼女の視線から私を隠すような体勢になっている。
彼の方を見ると特に何か言ってくるわけでも表情が変わっているわけでもなく、自然なままだ。
それでも彼が彼女の視線から私を庇ってくれたのはわかったので、ありがとう、と口にする。
そうして声を出した事が良かったのか、ようやく私の頭はしっかりと回り出した。
彼女と楓さんが親友といえるような関係ならば、私という来訪者の事は知っているだろう。
蓮と二人で甘味屋にいたり柊が笑顔で接していたりすれば、おのずとその情報と私の事が結びつくはず。
そして他の来訪者たちのしでかした事を考えれば、楓さんの一番の味方である彼女が同じ来訪者である私を嫌ったり警戒したりしても仕方がない。
すべての人間に好かれるなんてありえないとわかっているし、良い人間関係を築けている人が多い今、彼女からの強い視線は自分でも意外なほどに気にならなかった。
そもそも家族からの悪意の視線に比べれば、多少睨まれたくらい可愛いものだ。
むしろ彼女が楓さんのために私を警戒しているのであればちょっと申し訳ない。
彼女にとってはそれだけ楓さんが大切なのだろう。
関わらないから許してほしいなんて思いつつ、そっと息を吐きだした。
あの不快感は消えたが、彼女からの視線が不快感の理由で無い事だけはわかる。
何だったんだろう?
「驚きました、城下町まで来ていたのですね」
一瞬また考えこみそうになったが、いつの間にか店内に来ていた柊に声をかけられた事で、思考は強制的に終わりを向かえることになった。
あの女性の姿はなく、いつの間にか柊と別れてどこかへ行ったようだ。
そういえば私が柊に手を振る前、彼女は柊に一礼して離れて行くような仕草を見せていた。
「ここの汁粉が飲みたいから紫苑も連れてきた。お前は休憩か?」
「ええ」
「今日はいつもの時間に終わりそうなの? 鍋にする予定だけど来れそう?」
「ちょうど仕事も落ち着きましたので行けます。足りない食材があるなら持っていきますよ」
「この後、蓮と買って帰るから大丈夫。柊も休憩ならここで一緒に食べる?」
「そうですね……そうします」
柊が店員さんに汁粉を一つ追加して、私の横に腰かける。
なんやかんや揃ったいつもの三人、なんだか気が抜けてしまった。
しばらく雑談してから運ばれてきた汁粉に口を付ける。
上品な甘みに思わず口元が緩んだ。
「美味しい……!」
甘すぎず、けれどあっさりし過ぎず。
団子もちょうどいい弾力で汁粉に合っているし、本当に美味しい。
口直し用の塩昆布もものすごく美味しい。
つまり全部美味しい、蓮が食べに行きたいというわけだ。
「相変わらず美味い物に目がないな」
「行く理由がない、と言って来なかった城下町に来た理由が甘味屋ですしね」
「いやそれは蓮が誘ってくれたからで」
「ものすごく真剣にぜんざいにするか悩んだ挙句、また近い内に連れてきてくれって言ってただろうが」
いやだってこれ美味しい、もっとぜんざいが食べたくなったくらいには。
「でもこれ、次来た時にぜんざい食べたらまたお汁粉が食べたくなる気がする」
「ここは団子も美味しいですよ」
「なんで選択肢を増やすの?」
「夏の冷やしぜんざいもうまいぜ」
「……通い詰める事になっちゃう、頻繁に来られる距離じゃないのに」
「団子は今度土産で買って行きますよ。今日は売り切れているようですが」
「昆布なら持ち帰り用が売ってるぜ」
「昆布だけでも買って帰る」
即答した私を見て二人が笑う。
いつも通りの軽口の応酬。
「……柊、今日の鍋の締めが決まってないんだけど何が良い? 蓮と相談したけど決まらなくて」
「でしたら雑炊で。この間はうどんでしたから」
「あー、前はうどんだったか」
「じゃあご飯多めに炊こう」
そう話しながら、またお汁粉に口を付ける。
甘い美味しさと、二人とのいつもの会話。
そっか、とこっそりと笑う。
あの女性に睨まれても平気だったのは、私が何か間違いを犯さない限りはこの二人が自分の味方をしてくれるとわかっているからだ。
もしも私が何か間違ったとしても、彼らはちゃんと指摘してくれるだろうし。
そして藤也さんの事も……。
きっと私はこの先、失恋というものを経験するのだろう。
生まれた世界にいた頃は唯一で特別な存在だった藤也さん。
でも今はそうではなくて、頼っても良い相手が出来た。
……失恋が決定したら、二人を巻き込んで盛大に飲んでやる。
私も柊と同じだ、藤也さんがあの女性キャラと結ばれたとしても、今まで好きだった気持ちを無くしたくはない。
最高の恋だった、と過去にして笑いたい。
もう見たくないと本を閉じるのではなく『今までずっと助けてくれてありがとう』と紙面の中の彼に感謝して、幸せそうな彼を心から祝福しながら何度でも読みかえせるようになりたい。
そしてそのために乗り越えなければならない悲しみや苦しみは、もう一人で耐えなくて良いと知っている。
二人と話す事で自然に前を向ける自分がいる事もわかっているのだから。
上機嫌に笑う私を見て、二人がそんなに汁粉が気にいったのかと笑っている。
大丈夫、きっと私はこの先に待つ失恋もそれ以外の問題も、ちゃんと乗り越えて行けるだろう。
信頼できる友人がいるって素敵な事なんだな、と嬉しくなる。
願わくばこのまま、楽しく二人と過ごしていけたらいい。
……変化など無く、ずっと、ずっとこのままでいられたら。




