表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/49

騒がしい秋に【6】

 ええ、と小さく声が漏れた。

 いらない、本当にいらない、心底いらない。

 まさか強制じゃないでしょうね、とメールを開いたと同時に顔が引きつる。


「また難しい文章を……」


 この世界に来た時のファイルと同じ様に遠まわしに遠回しに、そしてわざと読みにくくしているのではないだろうかと思えるほどのビジネス文書もどきがびっしりと書いてある。

 ネットショップを経営していた時にビジネス文書にはある程度触れてきたけれど、このメールの文章は本当に意味がわかりにくい。

 文字サイズはすべて同じ、改行も無い上に普段は絶対に使わないような難読漢字が入り混じっている。

 こんな文書を取引先に出したら苦情が来るだろう、せめて改行くらいしてほしい。

 この目が滑る文字をすべて読み取れと?


「これ、他の来訪者の中には読めない子もいるでしょうに」


 正しく読めているか不安な漢字が複数あるので、周囲の文脈から何となく意味を読み取るしかない。

 追放されたという他の来訪者にもこの連絡は届いているのだろうか?

 このスマホは私の特典のようなものなので、他の子にどういった手段で連絡が届くのかはわからないけれど。


「こういう文章に不慣れな人が書いてるのか、それともわざと遠回しにしてるのか……」


 読みにくすぎて自然に目を細めてしまいながらも文字を追うが、どうやら強制的に戻れというわけではなさそうだ。

 この世界の人々が元の世界と繋がる道を完全に閉じるらしく、その際に数日間だけ元の世界への一方通行の道が開くらしい。

 たしか私が来たばかりの頃に柊が道を閉じる方法が見つかったと言っていたし、その閉じる日が来るという事なのだろう。

 もしも元の世界に帰りたい場合はこのメールに帰りたいと返信し、道が閉じる日にその場所に来てもらえれば帰す事、そして帰らない場合もその旨を返信してほしいと書いてある。

 私が来た時には帰せないと言っていたが、事情が変わったのだろうか。

 なんにせよ、強制移動でなくて良かった。


「どうせなら漫画の臨時更新とかポイントプレゼントの通知だったら良かったのに」


 記載された日時はまだまだ先だし、心底どうでもいい連絡に時間を割いてしまった。

 向こうの意図をすべて読み取れていなかった場合を考えて、念のため後で読みなおそうと決めてから部屋を出る。

 さっさと夕食の準備をしなければ、蓮達を待たせてしまう。

 部屋を一歩出たところで夕食の空気を感じ取ったらしく走り寄ってきたコンちゃんを見て笑い、台所へ向かう事にした。

 中庭では蓮が七輪に火を点けている。

 同時に玄関扉が叩かれる音と聞き慣れた声が響いてきた。


「蓮、柊が来たみたいだから玄関開けてきてもらって良い?」

「おー」


 私の足元にじゃれついていたコンちゃんが、のっそりと立ち上がった蓮を先導するように玄関の方へ駆けて行く。

 二人分の尻尾が揺れるのを横目に急いで台所に行き、朝研いでおいた米を火にかけた。


「……ようやく解放されたのに、行くわけがないじゃない」


 楽しくて仕方がない今を、大切な友人達と過ごす笑いの絶えないこの時間を、何一つ気にする事なく幸せだと言えるこの世界を手放すわけがない。

 あの世界に行きたい気持ちなど、欠片も存在していないのだから。


「あ」


 あのメール、帰宅可能な日までは何かあれば返信機能で聞けば答えてくれるとも書いてあった。

 元の世界に行く以外の事でも答えてもらえるだろうか。


「……藤也さん」


 これはもしかしなくとも、電子書籍サイトのポイントを買えたりしないだろうか?

 藤也さんの安否がわかる直前でポイントが尽きました、なんて目も当てられない。

 そんな事になったら確実に今以上に沈んでしまう。

 藤也さんの事がわかったとしても、最終回までポイントが持たないなんて事態も起こりえる。

 多めに買っておけば気になる本が出た時に買う事も出来るし、どうせ帰らない旨を返信する必要もある。

 その際に質問メールも送ってみよう。


「藤也さんの顔を見るためにも、出来る事はちゃんとやらなきゃ」


 もしも可能ならば買えるだけ買っておかなければならないのだから。

 味噌汁用のだしを取りながら、夜の予定を頭の中で組み立てていく。


「こんばんは。紫苑、何か手伝いますか」

「あ、いらっしゃい柊。そこのお皿持って行ってくれる?」

「わかりました。あの……」

「どうかした?」


 台所の暖簾を上げて顔を出した柊の言葉に甘えてお皿を頼んだのだが、何か言おうとしたらしい柊は口ごもり、少しだけ無言の時間が流れた。


「いえ、その……見合い話は無事にお断りしてきましたよ」

「ありがとう! 良かった、本気で助かったよ」


 私の喜び具合を見て苦笑した柊が皿を持って出ていくのを見送って、取り出した漬物などを切っていく。

 それにしても、口ごもるほどの何かが私の見合い話を断る際にあったのだろうか?

 見合い話を持ち込んできたのは変な嫌味を言うような方々ではないが、やはり自分で断るべきだったかもしれない。


「……嫌味は言わないけど代わりに柊に見合い話を持っていきそうではあるかも」


 そうだとしたら悪い事をしてしまった。

 今度からはちゃんと持ち込まれた時点で自分で断ろう。


「断る、っていう意思を聞いてもらえるんだもんね」


 元の世界に行ったら私が不幸になる見合いをさせられ、どれだけ拒否しても強制的に結婚まで話が進むのは確定している。

 この世界で持ち込まれる私の幸せを考えてくれたお見合い話ですら断っているのに、わざわざ元の世界に行って不幸になる見合い話を受け入れるはずもない。


「紫苑、そろそろ焼き始めるか?」

「うん、これ持って行っちゃって」


 柊と入れ替わるように顔を出した蓮に、桶に入った数匹の秋刀魚をお願いして味噌汁を完成させる。

 少し雑に切ったねぎと油揚げにもしっかりと火が通って、それなりにおいしそうに出来ていた。


「紫苑」

「なに?」


 聞き返しても返事が無いので蓮の顔を見ると、一瞬だけ顔をしかめた蓮と目が合った。

 赤い目が宙を彷徨い、私の後ろ辺りに行ったと同時に少し見開かれる。


「おい、零れそうだぞ」

「えっ」


 振り返ると鍋の蓋が浮き上がりかけ、今にも中身が噴き出しそうになっていた。

 慌てて蓋を取って、吹きこぼれなかった事に安堵の息を吐きだす。


「ごめんごめん、なんだった?」

「いや、大根はあるか? 秋刀魚に使うならおろしておくぞ」

「ありがとう、そこに今日買ったのがあるからよろしく」


 おう、と返事をして秋刀魚の入った桶と大根、そして出来上がった味噌汁の鍋を抱えて出ていく蓮を見送る。

 休日のお父さんみたいな後ろ姿だ、妖怪の総大将のオーラは欠片も無い。

 しかし今思えば先ほどの柊もこんな感じだった気がする。


「普通の家庭って、こうだったりするのかな?」


 良いな、と素直にそう思った。

 あの二人ならきっと、結婚して複数の子どもが出来ても全員大切にするはずだ。

 これまでずっと家族というものを理解できないと拒絶していたのに、自分の考え方の変化が少し可笑しくて、でも悪い気分ではなくてなんとなく笑ってしまった。

 炊きあがったご飯をお櫃に移し、他のおかずと一緒にお盆に載せて二人の元へ向かう。

 縁側に出した七輪を挟んで座っている二人は何やら話し合っているようだった。

 深刻な雰囲気に空気がピリッと引き締まるような感覚。

 しかし柊は構えと纏わりつくコンちゃんのために庭に生えていた猫じゃらしを振っているし、蓮はにらみつけるような表情で柊を見ているにもかかわらず、ひたすら秋刀魚を団扇で仰ぎ続けている。

 魚の焼ける美味しそうな匂いと上がる煙の中での、深刻そうな話し合い。

 ……何この光景。

 本当に深刻なのかそうでないのかがわかりにくい、まだ真剣に話し合っているだけの方が声がかけやすい。

 どうしようかと一瞬躊躇したが、二人はすぐに私に気付いて深刻な雰囲気を消した。


「ごめん、何か話し合い中だった?」

「いえ、大丈夫です」

「そろそろ秋刀魚も焼けるぞ」


 確実に何かあったのだろうが、二人が話さないという事は私に関係ないか秘密にしておきたい事なのだろう。

 お城で何かあったのかもしれないし、仕事の話かもしれない。

 二人が私に言わないと判断した事を無理に聞き出すつもりはないので、特に気にせずに七輪の傍に腰かけた。

 いい具合に焼き上がった秋刀魚から香ばしい匂いが漂ってくる。

 それぞれ好きに取り分けて、これが美味しいだとか、少し焦げただとか……三人で囲む賑やかな夕食にももうすっかり慣れてしまった。

 湯気の上がる秋刀魚を箸で口元に運んで、こっそりと笑う。


「秋もそろそろ終わりだし、もう一回くらい秋刀魚食べておきたいかも。冬の鍋も今から楽しみだけど」

「ああ、鍋も良いですね。雪の日は特に食べたくなりますし」

「全員で材料持ち寄れば毎回違うもんが食えそうだな」


 誰かが少しふざけた時点で闇鍋状態になりそうだが、まあこの三人なら大丈夫か。

 この世界に闇鍋があるかはわからないが、せっかく鍋をするなら美味しい物を食べたい。

 よけいな事は言わずに黙っておくことにして、自分の分の秋刀魚をぺろりと平らげたコンちゃんが中庭に下りたのを何となく見つめる。

 ふわふわの毛に小さな白い粒がゆっくりと振ってくるのが見えた。


「あ、雪」

「噂をすれば、か」

「山の方から風で運ばれてきたようですが……これから冷え込みそうですね」

「紫苑、早く火鉢増やしてくれ」

「そうだね。数に余裕は出来始めてるから、そろそろ家用のも増やさないと。蓮より先に私が寒さに負けそうだし」

「城下町の道具屋でも火鉢が売れていると聞きましたし、これからの冷え込みによってはさらに追加で買う方が増えそうですね」

「一応多めに作っておこうかなあ、腐る物でもないし」

「約束通り雪下ろしはやるから、頼むぞ」

「了解。寒さが本格的になったら囲炉裏の部屋で食べようか」


 なんとなく中庭が見えるこの縁側が定位置になっていたが、雪の日はそうはいくまい。


「そういや、あの囲炉裏をお前が使ってるところ見た事無いな」

「お湯も火も作業場で手に入るから必須ってわけでもないし、寒さも火鉢で対策が出来てたからね。こういう風に何か焼く時だって三人なら七輪で十分だったし」


 掃除の手間も増えるので使わずにいた囲炉裏だが、冬に鍋を囲むならあちらの方が良いだろう。

 ちらちらと空に舞う雪を見つめる。

 これから迎える冬、そして来年の春も夏も蓮や柊と過ごす約束をしているのだ。

 元の世界に行く理由など、何一つとしてない。

 ……ポイント購入の確認だけはするつもりだけど。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ