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騒がしい秋に【4】

 気が付いたら眠っていた、なんていつぶりだろう。

 いつもの時間に目覚めるくらいには体に生活のリズムが染みついているようだが、起きてからもしばらく頭は働かなかった。

 藤也さんが地面に倒れこんでいるコマを見つめ続けた後、慌てて指を動かしてみてもそれが最後のページであることに変わりがなくて。

 自分でも予想すらしていなかったほどのショックに襲われている。

 はあ、と大きなため息を一つ吐いたと同時に、涙がぽろっとこぼれた。


「ああ、もう……」 


 頬を流れそうになる涙を手の甲で軽くぬぐって、布団の上に座り込んだまま天井を見上げた。

 二次元なんだ、わかってる。

 戦闘がある漫画だったので今までだって死亡したキャラクターはいたし、あの漫画以外でも漫画やゲームの推しキャラが死んでしまう事はあった。

 その時もやはりショックではあったものの、ここまでダメージを受けはしなかったのに……。

 自分でもどうしていいかわからない。

 紙面上にしか存在しなくても、藤也さんはずっと私の人生の救いだった。

 人と繋がってしまえばそこが弱みになるし、家の事で迷惑になってしまうかもしれないからと誰とも深く関われず、ほとんどの時間を一人きりの部屋の中で過ごしていた、いつ不幸になるかわからない元の世界での日々。

 そんな中で藤也さんに夢中になって、漫画やゲームの世界を次々と知っていった。

 違う世界の出来事を夢中で追っている間は現実について考えなくても良くて、その中で興味を持ったことにも次々に手を出して、出来ることが増えていくのも楽しくて。

 この世界に来た事で家族を一切気にしなくてもよくなって、心から楽しめるようになった物語に大好きな人が二度と出てこないかもしれないなんて。

 ……大丈夫なはずだ、まだ死亡が確定したわけではない。

 頭では理解できているのだが、お腹の中に重りでも入っているみたいに憂鬱だ。

 早く次の話が読みたいが、最新話は昨日公開したばかり。

 次の更新日まではまだまだあるし、こういう心境の時は実際の時間よりも長く感じるだろう。

 どうにかしてこの気持ちを吹き飛ばしてしまいたいが、色々考えてみても気持ちは暗くなるだけだった。

 社会人としての責任があるので仕事に手は付け始めたが、開いた時間に無意味にスマホを取り出してはため息を吐く、その繰り返しだ。

 スマホをつけても昨日の更新分を読みかえす気持ちにはなれない。

 何かしていても重い感覚が消えず集中できなくて、胃がキリキリしている。

 料理も裁縫も、普段やっている大半の事は藤也さんをきっかけに興味を持った事だったので、頭の中からあのシーンが消える時間がない。

 一日中そんな調子だったので結局ショックからは抜け出せず、その日は気が付いたら夕方だった。

 今日作る予定だった道具だけはきっちりと作成されているのが救いだ。

 無意識でもしっかりできているあたり、私の体はしっかり今の仕事に馴染んでいるらしい。

 色々辛くとも仕事の手は休められないのは良いことなのか悪いことなのか……。


「…………はぁ」


 食欲もわかないので朝と昼は熱いお茶でごまかした。

 夜はなんとか小さなおにぎりを一つ作って口に入れたが、仕事以外の事をやる気にならず早々に布団に潜り込む。

 体調を崩した時以外は毎日やっていたストレッチを、私は今日初めてやらなかった。

 これも藤也さんに見られても恥ずかしくないように、なんて考えて始めた事だったなあ、と布団の中で今日最後のため息を吐く。

 早く次の更新日が来て欲しい、安心させてほしい、でも、次の話で彼の死が確定したらどうしよう。



 そんな不安を抱えたまま眠ったせいで次の日も心境は変わらなかった……気持ちを切り替えようと予定になかった仕事に手を付けたせいで火鉢の数に余裕が出来たのが救いか。

 さすがに食べなければならないのはわかっているので夜には魚を焼いてみたけれど、半分食べたところでもう欲しくなくなってしまった。

 部屋に来たコンちゃんたちにあげることにして、昨日と同じようにさっさと布団に潜り込む。

 二日経過しても気持ちが上がらないとは……ここまでショックを受けるなんて思わなかった。

 この二日間は籠りっきりで蓮と一度も顔を合わせていないし、これ以上は不思議に思われるかもしれない。

 それに、明日は店の営業日。

 しっかりしなくては、と気合を入れながらも目を閉じた。


 そして次の日の朝、結局どこかぼんやりした頭のまま支度をしていつも通り店を開ける。

 相変わらず食欲はなく、今日の朝食も熱いお茶だけで済ませてしまった。

 しかしやはり仕事として染みついた動作は自然にこなすことが出来るらしい。


「うちも炬燵用の火鉢を予約したいんだけどいいかい?」

「はい、ありがとうございます」

「うちは猫が潜り込むからな、こういう火鉢があるのは助かるぜ。いっつもぜえぜえ言いながら出てくるんだが、炬燵の中は好きだからまたすぐ入りなおして……その繰り返しでよ」

「動物はそうですよねえ。うちのこたつも動物でいっぱいですよ。もう妖怪なのか普通の動物なのかすらわからなくなってきました」

「狐とたぬき、猫、兎……確かに普通の動物に見えるのがいるな」

「兎は今日初めて来ましたね。これからも増える気がしたので、作業場が開いた隙に動物用の小さいのを一個作りましたよ」

「確かにあれだけいたら人間の足が入らないなあ」


 片隅に設置した小さな炬燵を見ながらお客様と会話している間も、頭の中であの最後のコマがぐるぐると回っている。

 会話中は多少気分が上がるが、店内から人がいなくなった時の喪失感のようなものが凄まじい。

 いつもならば余裕をもって仕事をするために早め早めに手を付けているのだが、今はそんな気も起きない。

 気を抜くとため息が零れて、これ以上気持ちが暗くならないように隅の炬燵から飛び出すふさふさの尻尾を突っついたり、顔を出した動物たちの頭を撫でまわしたりして何とか気持ちを持たせている。

 そんなこんなで気が付くともうお昼時を過ぎ、いつもならば昼食を食べる時間もとっくに通り越したのだが、朝食べていないにもかかわらず食欲が一切ない。

 食べなければいけない事はわかっているが、もう昼も無しで良いだろうか。

 そろそろ何とか詰め込まないと倒れてしまいそうだし、夜には何か栄養価の高いものを作ろう。

 午後にやる予定の作業をやってしまおうかと考えていると、店の入り口がカラカラと音を立てて開いた。

 いらっしゃいませ、と言おうとしたところで真っ赤な羽織が見えて、誰が入ってきたのかがわかる。


「……珍しいね、蓮が店の入り口から来るの」

「呼び出し食らって戦場帰りに城に行ったら、こいつと一緒になったからな」

「こんにちは、紫苑」

「柊もいらっしゃい、休憩?」

「ええ。遅くなってしまいましたが今から昼食なので、どうせなら一緒にどうかと思いまして」


 扉を閉める柊と、体に巻き付けていた尻尾を緩めている蓮は、いつもと変わらず軽い口調で言葉を交わしている。

 もうすっかり私の日常として定着した二人の様子を見て、少しだけ気持ちが軽くなった。

 彼らの腕には何か包みが抱えられており、そこから焼けた味噌の香ばしい匂いがふわりと漂ってくる。


「昼食は済ませたのか?」

「今日はまだ」

「でしたらちょうど良かったです。もう食べていたら夕食に回してもらえばいいと思っていましたが、作ってからあまり時間が経たない内に食べたほうが美味しいですし」


 自然に炬燵に潜り込んできた二人を見て、なんだか気が抜けてしまった。

 一人でないことで頭の中の重苦しいものが薄れていくのを感じて、思考もしっかりと回り始める。

 大丈夫、大怪我だろうがなんだろうが、次の更新ではけろっとした顔で再登場してくれるはずだ。いつものように余裕な笑みを見せてくれるに決まっている。

 そう考えたところで、自分でも驚くほどの大きなため息が口から零れた。

 ぎょっとこちらを見てくる二人に「ごめん」と反射的に謝る。


「……別にいいが、何かあったのか?」

「いや、その、ちょっと昨日眠れなくて。考え事してたらいつの間にか朝になっててさ」

「大丈夫なんですか?」

「うん。昨日だけだし、特に体調も悪くないから」

「少しでも体調が悪くなったら医者に診てもらったほうが良いですよ」

「続くようならそうするよ。でも少し寝不足なだけだから」

「経験者のいうことは聞いておいたほうが良いぞ。お前もしばらく入院、なんてことになるかもしれんからな」


 蓮の言葉に柊の顔が引きつった。

 確かに彼と初めて出会った時の死人のような顔色を考えると、本当に体調を崩した時はすぐに医者に診てもらったほうが良いだろうと思える。

 初対面だったにもかかわらず、思わず大丈夫かと問いかけた日のことが懐かしい。

 心配した身だからこそ、あの日の柊のように体調を崩すのはまずいと実感できる。


「あなたこそ、今のところは紫苑の薬で治しているようですが、深い傷を負った場合はちゃんと医者に診てもらったほうが良いですよ。城の医者たちがあなたが治療に来ないと怒っていましたし」

「あいつらは良い意味でも悪い意味でも遠慮が無くなったからなあ。説教が長くてかなわん」


 なんだろう、いつも通りの二人の掛け合いを見ているだけなのに安心してくる。

 ……あのシーンを読んだのがこの世界で良かったのかもしれない。

 元の世界の一人きりの部屋であの話を読んだら、気持ちを持て余して沈み切っていただろう。

 仕事もパソコン一つで完結するような内容だったし、誰かと会話する必要も無いのならば数日食事なんてとらなかったかもしれない。

 今の仕事は会話が必須なので、話している間は強制的に思考が話し相手の方へ持って行かれる。

 お客様も前向きで明るく良い人ばかりだし、何よりも元の世界ではいなかった親友とも言えるこの二人の存在は大きい。

 話していると良い意味で気が抜けるのに加えて、心配させてはいけないという気持ちも生まれる。

 この世界での私は過去の私と違って藤也さんの存在だけが支えなわけではないんだな、と実感した。

 じわじわとした温かさと泣きそうになるような寂しさを感じて、どうしていいのかわからなくなる。

 ただ、お腹の中に岩でも詰まっているのかと思うほどの重さは綺麗になくなり、気持ち自体は明るくなった。

 友達と会話しただけだ、それもちょっとした話を少しだけ。

 たったそれだけのことなのに、ここ二日変えていたものが軽くなった気がする。

 くう、と小さく自身のお腹が鳴ったのが聞こえて、少し笑ってしまった。


「……なんかお腹減ってきちゃった。いい匂いだね」

「旬の物の集まりだからな」

「おでんですから手で食べられますよ」


 この世界のおでんは江戸時代と同じように、すべて田楽のように味噌を塗って焼いたものだ。

 元の世界のような煮物風のものではないのだが、これも美味しい。

 冬になったら元の世界の鍋やおでんを作って三人で囲むのも楽しいだろう。

 三日ぶりに自分の顔に自然と笑みが浮かんでいることに気が付いて、小さくありがとうと口にした。

 私の声には気が付かなかったらしい二人が炬燵の上で包みを開くと、中には串に刺さった状態で味噌を塗って焼き上げた鮭や茄子、豆腐が入っている。

 人数分よりも多く包まれたそれにお礼を言いながら遠慮なく手を付けた。

 口の中に広がる少し焦げた味噌の味が、一気に食欲を増幅させる。


「……美味しい」

「紫苑、これ今日の夜のつまみ用だ。七輪で焼いて食おうぜ」

「……えっ」


 蓮が別の包みを開くと、中にはたくさんのきのこが入っていた。

 山になるほど大量にあるそれは、どう見ても松茸にしか見えない。

 驚いているのは私だけのようで、二人とも固まった私を見て不思議そうにしている。


「あ、そ、そっか。この世界では普及してるんだっけ。ごめん、松茸って元の世界だと高級品だからびっくりした」

「そうなのか? この時期はどこに行っても生えてるぞ。それにお前、二日間籠りっきりだったろうが。道具作りに精を出すのも良いが息抜きは必須だぞ。良い酒も手に入ったしな」

「……うん、ありがとう」


 わいわいと話しながら、新しい串に手を伸ばして口をつける。

 今夜は三人で飲む事になりそうだ。

 いつものように騒いだ後なら、きっとしっかりと眠れるだろう。

 気軽に話すことが出来る友人という存在のありがたさを噛みしめて、もう一度心の中でお礼を言った。


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