第五章 変わり始める夏【1】
早朝、すっかり明るくなり昼間のような店の前に一歩足を踏み出すと、ギラギラとした日差しが降り注いでくる。
手で遮りながら空を見上げるが、本当に眩しい。
お店の扉と窓部分を開け放ち、そのすべてにすだれを掛ける。
準備が終わったところで一度家へと続く扉を開け、中庭を覗き込んだ。
「大丈夫―?」
「……無理だ」
離れの縁側には蓮がだらりと寝転がっており、その頭上には風鈴が五つほどぶら下げられていた。
離れの中にも数個ぶら下がっているので正直少しうるさく感じるくらいだ。
狭い部屋に密集しているせいで、もっとたくさんの風鈴が下がっている店内よりもずっと音が響くからだろう。
倒れ伏す蓮の尻尾は、もうすでに四本に増えていた。
「尻尾の本数が戻って来たのは妖怪としての力が戻って来たからなんでしょう? 復活が近いって喜んでいたじゃない」
「初めは喜んださ。だが今は正直、心のどこかで秋になってから増えてほしかったと思ってしまっている」
あの日、突如増えた彼の尻尾は妖怪の復活が近づいたという証らしい。
元々彼の尾は九本あり、妖怪としての力が封じられた際に一時的に減っていただけとのことだ。
予定よりもずっと早い復活の予兆は、組紐の効果で一人辺りの勾玉の取得数が増えたため一気に近づいたのではないか、と柊が予測していた。
「おはようございます、紫苑」
「おはよう。いらっしゃい、柊」
噂をすれば影というか、思い浮かべただけだが、柊が店の扉を潜り店内へと入って来た。
あの日泣いたことが嘘のように今の彼はすっきりとした表情を浮かべている。
少し前に滞りなく城主様と楓さんの祝言は行われ、一時的に町は喜びで溢れていた。
柊が私に依頼した小物入れは彼が思った通りの出来になっていたらしく、主役二人の雰囲気にしっかりと合う物になっていると喜んでもらえた。
それと駄目で元々、と作った私からの贈り物も意外なくらいすんなりと同郷である花嫁の手に渡り、とても喜ばれたそうだ。
向こうの世界では一般的な青い花と白い百合を組み合わせた、白無垢よりもウェディングドレスに似合うブーケ。
枯れない加工を施したそれは今も彼女の部屋に飾られているらしい。
いったいどんな子なんだろう、と少しだけ興味が湧く。
あのゲーム、登場キャラは顔があったが主人公の女の子は顔がないゲームだった。
主人公視点で進みスチルには手や足など一部だけが登場するタイプのものだったので、私は主人公の顔だけは知らない。
相手キャラや主人公の女友達の顔は知っているが、現実になってしまった今は判別できるかと問われるとちょっと難しい。
妖怪という特徴を持つ蓮は別として、ゲーム中、推しキャラの中でも上位だったはずの柊ですら名前を呼ばれるまでわからなかったのだから。
「蓮、あなたはまたそんな体勢で……」
そんな蓮は呆れ混じりの柊の声掛けにも返事をしないほど暑さに負けている様子だが、確かにあのふっさふさの尻尾が四本もあれば暑さは倍どころの騒ぎじゃないだろう。
彼はここ最近ずっと離れに泊まり込んでいる。
風鈴もある上に池の真横の離れなら多少涼しいかららしい。
蓮は私の家の方にまでは無断では入って来ないし、いつ来ていつ帰っているのかすらわからない状態なので私はまったく気にならなかった。
……なによりも外に離したら暑さで行き倒れて死にそうだし。
連日私の家に泊まり込むことに最初はいい顔をしていなかった柊も、あまりの蓮のぐったりっぷりに目をつむることにしたらしく、私は柊からも生活費は出すから蓮を置いてやって欲しいとお願いされることになった。
そして柊と結んだ契約ももう正式に破棄され、私はいつでも城付近へ行っていいことになっている。
もっとも自分で予想していた通りいまだに一切近付かないので、柊からやはり怒っているのかと心配そうな顔で問われた事もあった。
城付近に行く用事が本気で無いだけなのだが。
朝起きて店を開け夕方までバリバリ働き、夜には一人で軽い運動をしたり電子書籍を読んだり、なによりも蓮や柊と一緒に飲んだりしているので忙しい……というよりも城付近に行く暇があるのなら近くの店や採取に行きたいし、家でゆっくりしていたいだけだ。
移動手段が徒歩なので歩くことに慣れている柊や蓮と違って、私が歩くとそれなりの時間が掛かってしまうし。
現代人故の足の衰えっぷりが少し憎い……目の前で柊と会話しながらもぐったりしている蓮の方がよほど歩くのが早いのはいまだに納得がいかないが。
そんな風に呆れつつも蓮としばし会話をした柊は、私から勾玉増加の組紐を受け取ってすぐに城へと戻っていった。
また夜に時間があれば飲みに来るだろう。
暑さ対策になりそうなつまみでも作るか、なんて思案しながら、もう日常と化した一日の流れを今日も辿っていくことになった。
そんな風に数日過ごし、お店が休みのある日、私は一人で町へと繰り出していた。
お酒やら新鮮な魚やらを買って、熱い日差しに流れてきた額の汗を拭いつつ、店への道を戻る。
「……現代よりは暑くないはずなんだけどなあ」
今日もおそらく離れでぐったりしているであろう蓮よりはましだが、彼は尻尾さえなければきっとけろりとしていただろう。
「毛布四枚被ってるのと同じようなものだもんね。蓮のためにも私のためにも帰ったらかき氷に初挑戦してみよう」
暑さに負けているのは私も同じだ。
そのため最近は必死にオンライン版のイベントを思い出し、夏のイベントで作る事の出来た特殊な道具を色々と作ってみている。
そしてようやく昨日作ることに成功したかき氷を作るための道具。
時代が色々間違っている、なんてつっこむ必要もない。
ゲームの舞台だし、なにより暑いんだからそんなこと気にするくらいならかき氷だろうがアイスクリームだろうが作って食べたいのだ。
もしも作り方さえ知っていてその制作方法がわかっていたら、私は速攻でクーラーを作っただろう。
「……熱い」
地面から反射した熱が草履越しに足に伝わるし、そこら中から聞こえてくる蝉の鳴き声が風流を通り越して少し疎ましい。
ため息交じりにもう一度額の汗を拭い、少し歩調を速めた時だった。
「ん?」
林の中に入った時、ふと木の根元に動物がいる事に気が付いた。
いる、というよりはぐったりとしている。
丸まっている犬のようだが、もしかして暑さにやられたのだろうか。
飛びかかられたらどうしよう、とも思ったが犬は好きだ。
熱中症か怪我かはわからないが、このまま道端に放置するのは心が痛い、いや放置なんて絶対に出来ない。
野犬が眠っているだけ、とかだと危険なので急ぎつつも静かに近づいてみるが、明るい茶色の毛玉はぴくりとも動かない。
思い切って声を掛けてみるが反応はなく、しかしお腹はわずかに上下している。
触れられる位置まで歩を進め、しゃがみ込んでそっと手を伸ばして……触れる直前で手を止めた。
「……え?」
もう少しで触れるであろう動物、しかしどう見てもその尻尾は二本あるようにしか見えない。
そうっと触れてみても唸られる事がないのを確認して、手ぬぐいで包むように抱き上げる。
「え、犬じゃない、よね? 狐……?」
蓮とは違い普通の子狐にしか見えないが、二本の尾を持つこの子が通常の狐でないことは明白だ。
そしてやはり元気はなくぐったりとしている。
……私よりも詳しい彼は、今も私の家でぐったりしているだろう。
子狐を抱えたまま駆け足で家へと戻り、家へ着いて玄関に荷物を放り出して庭へ続く扉を勢いよく開く。
音を出して扉を開けた私に縁側であおむけで横になっていた蓮の気だるげな視線が向けられたが、その視線が私の抱える狐に移ったと同時に蓮は大きく目を見開いた状態で飛び起きた。




