異世界の友人達【6】
騙し打ちみたいで気が引けるが、私よりも蓮の方が柊との付き合いは長い。
柊とも仲良くはなったがそれはつい最近で、まだまだ彼のことでわからないことがたくさんある。
だったら今回は蓮の時間がない、という言葉を信じてそれに乗ろう。
すでに承諾してしまった以上は悩む時間すら無いのだけれど。
あっという間に夜は訪れ、少し早く来た蓮から受け取ったお酒を徳利へと移し、お酒が進みそうなつまみをちゃぶ台の上に置いてから座布団も三枚用意しておく。
暗闇に包まれた外は霧雨で、耳を澄ませばサアサアと静かに雨の音が聞こえてくる。
こうして天気が悪い夜は、本当に真っ暗だ。
「天気崩れちゃったね、柊は来るかな」
「……来るだろうな」
手ぬぐいで頭を拭きながら部屋に入ってきた蓮に問いかけると、確信を持った声で答えが返ってくる。
今は霧雨だが少し前までは本降りで、戦場で雨に降られてびっしょりになった状態でお酒を買ってきた蓮を風呂へ突っ込んだのが少し前。
蓮の服は店の作業場を駆使して乾かし、ようやく少し落ち着いたところだった。
「しかし良いな、お前の家の風呂。個人の家で湯船に浸かれるとは思わなかった」
「お城にも大きい温泉があるんでしょう?」
「あったところで俺が他の人間と共に入れるとでも?」
「だめなの?」
「禁止されてはいないが、お互いに気を使うせいでゆっくり出来ない」
「ああ、なるほど」
普通にしていてもお互いに距離がある状況で一緒に温泉に浸かるのは難しいだろう。
蓮だけが入れる時間を設けられるほどお城に暮らす人数は少なくないだろうし。
「普段はどうしてるの?」
「戦場近くに温泉が湧き出しているところがある」
「露天風呂ってこと? いいなあ」
「今日みたいに土砂降りだと何の意味もないがな」
「蓮に恋人がいない間なら家で入っても良いよ。掃除してくれるなら」
「掃除はわかるが……恋人がいない間?」
「恋人がいるのに他の女の家でお風呂に入るとかありえないでしょう。というか蓮に恋人が出来たらこの飲み会も無理でしょうね、恋人さんに悪すぎるし。その人も一緒とか、そういうのを気にしない人なら構わないけど」
「……そこにお前に恋人ができるまで、という条件は付かないのか?」
「作る気がまったく無いからね」
「…………」
なにかしらつっこむ言葉が返ってくるかと思っていたのだが、蓮は少し気まずそうに目を逸らした。
そんな彼の態度を不思議に思ったところで、玄関ドアが軽く叩かれる音が響く。
外へ通じる戸の前に行くと、外から予想通り柊の声が聞こえて来た。
扉を開けば、落ち着いた色の番傘から雨粒を落としている柊が微笑みかけてくる。
暗闇の中に柊の持つ提灯の明かりがぼんやりと浮かんでいた。
「こんばんは、いらっしゃい」
「こんばんは、今日もお邪魔いたします」
眼鏡の奥で穏やかに細められた瞳。
この落ち着いた表情がお酒の力で崩れるというのがまったく想像できない。
「今日は縁側が濡れてしまっているから、部屋の方で飲もうって話になったんだ。どうぞ」
傘を畳んだ柊を案内しながら、感じ始めた緊張感を押さえるように部屋の襖を引いた。
色々とたくらみはあったとしても、柊にお酒がまわるまではいつもの様に楽しい飲み会だ。
蓮がつまみを一つ口に含んでいるのを咎めつつ、三人でちゃぶ台を囲むように座布団の上へ腰を下ろした。
「……蓮、食べ過ぎ」
「いや、これ美味いな。酒が進む」
「紫苑のこういう料理は基本すべて美味しいですからね」
「何の工夫もせずに焼いたり煮たりしてるだけだけど」
今日のつまみはネギ味噌を塗ってカリカリに焼いた油揚げと、塩を振っただけの焼き鳥、焦げ目をつけた厚揚げに大根おろしをかけたもの、という単純で簡単な料理だ。
確かにお酒は進むが、これは柊にどんどん飲ませる為であって蓮の飲む量を増やす為ではない。
蓮にこっそりと視線を送ってみるが、一切気にせずに油揚げをどんどん口に放り込んでいる。
やはり狐の妖怪に油揚げを我慢しろというのは難しいのだろうか。
「……材料の選択を間違ったかな」
「次も頼む」
「私は厚揚げの方が良いです。今度はこちらも味噌でいただきたいですね」
「ちょっと」
しれっとした顔で当然の様に次のつまみを指定してくる男二人はとても楽しそうに見える。
二人が色々と持ち込むことも多いし、私が負担してばかりというわけでは無いので、つまみの指定くらいは別に良いのだが。
そんな風に飲み進めつつ、一度徳利が空になった時に蓮の買ってきたお酒と入れ替える。
ちょうど柊のお猪口も空だったので、彼は何の疑いもなく新しい徳利から注いだお酒に口をつけた。
やはり飲むペースが速い、柊は自分のお猪口が空になったからといって、すぐに次の酒を注ぐタイプではないのに。
彼が数口飲んだところで一度だけ蓮と視線を交わし、すぐに逸らす。
そのまま先ほどと変わらず雑談を続けながら柊の様子を伺うことにした。
効果は凄まじいようで、柊の濡羽色の瞳は普段と比較する必要がないくらいにトロリとしている。
……お猪口一杯でこんなに変わる事ってあるの?
つまみを食べる速さも上がり、それに比例して飲む速さも上がっていく柊を心の中でハラハラしながら見守る。
話を振っても言葉が返ってくるまで時間が掛かるようになってから少し経ち、どこかぼんやりとした目になった柊の体がわずかに斜めになったところで、蓮が突然大きな声を出した。
「そういや、祝言も間近に迫ったな。色々あったし、俺が言える事でも無いが、あの二人には幸せになってもらいたいもんだ」
大きな声もそうだが、祝言という内容は今までの話題とはまったく掠ってもいない。
急な話の振り方に驚いて蓮の方を見れば、じっと柊を観察しているようだった。
蓮の言葉を聞いた柊の肩がびくりと跳ね、俯きがちだった顔が上がる。
見開かれた目からはいつもの落ち着いた雰囲気は感じられない。
「祝、言……そう、ですね。幸せに、あの二人に、ずっと、夫婦として……」
ぽろっ、と柊の瞳から涙が零れたのを呆然と見つめる事しか出来ない。
蓮は唇を引き結んで苦虫を噛み潰したような表情をしている。
誰も声を発しない異様な空気が場を支配したまま、少しの時間が流れた。
しゃくりあげる訳でも声を出すわけでも無く涙を流し続けている瞳が私の方を向いて、今度は私の肩が跳ねた。
「紫苑」
「は、はい、何?」
「あなたは、あなたはどうして、どうやって……」
声の抑揚はいつもの様に落ち着いたもので、よけいに違和感を覚えさせられる。
蓮は少し俯いたまま声を発しない。
「あなたはどうして、前を向いて笑っていられるのですか」
「え、ええと」
「どうすれば、そうして……愛した人を、恋心を過去に出来るのですか」
「…………え?」
予想すらしていなかった質問に驚いて声がかすれた。
まるで順番でも決まっていたかのように今度は蓮の肩が跳ね、小さく声が漏れたのが聞こえる。
苦しそうに顔をゆがめながら涙が止まらない様子の柊と、気まずそうに下を向いたままの蓮。
愛した人を過去に?
何のことだろう、本気で思い浮かばない。
私は柊に何か話しただろうか?
いやでも、恋愛なんて私には無縁で……ん?
まさか、と思いついたと同時に堰を切ったように柊が声を発しだした。
「藤也、という人物については報告を頂いております。あなたが愛おしそうに名前を呟いていた、その男性の名を呼びながら頑張ると言っていた、会いたいと言っていた、と。私が未練はないのかとお聞きした時も小さくその方の名前を呼んでいました。あなたが元の世界に想い人がいるとわかったからこそ、今までの来訪者とは違うのでは、という声が上がり始めたのです」
「それはきっかけに過ぎないだろ。今のこいつの信用に関してはこいつの今までの働きによるものだ」
「わかっています」
蓮が私を庇う様にそう告げたことも柊がそれを肯定したことも嬉しい、けれど冷や汗が止まらない。
確かにこの世界に来てから藤也さんの名前を呼んだことはあるし、来訪者への警戒が強かった頃なら監視が付いていてもおかしくはないだろう。
視線を蓮の方に向ければ、小さな声ですまない、と謝られた。
そういえば蓮と初めて会ったのは藤也さんの名前を呼んだ後だった気がするし、もしかしたら監視ではなく蓮が柊に報告したのかもしれない。
いや、監視についてはどうでもいい。
監視されているのはとっくの昔に想定していたことだ。
そんなことよりまずい事になった。
「あ、の……」
「私はっ」
言葉を探してぎこちなく口を開いたところで、それを遮るように柊が荒い声を出した。
初めて聞いた彼の大きな声に、ただでさえ見つからなかった言葉はさらに遠くへ飛んで行ってしまう。
「私は、忘れられないのです。忘れなければいけないのに、捨てなければいけないのに。幸せになって欲しいのに……あの二人を見るたびに、祝言の話が出るたびに、祝福の気持ちの奥に苦しさが湧き上がる。どうして、どうして彼女の隣にいるのは私ではないのかと。わかっているのです、私は彼女に想いを告げもせず、並び立つ覚悟も親友と正々堂々戦う覚悟も決められなかった。諦めなければならない立場にいる、と」
先ほど柊が涙を流し始めたきっかけになった蓮の言葉、そして今の柊の言葉。
そうか、と思いついた事がすとんと心の中に落ちる。
ゲームでは主人公の影響を受けて、そして彼女と仲良くなって、時には恋をして変わっていく攻略キャラクターたち。
この世界で主人公である楓さんが結ばれたのは城主様だ。
ゲームでは一人とエンディングを迎えてしまえば他のキャラは出て来ないし、そもそもゲーム自体が終わってしまう。
そうして何事も無かったかのように二周目という名の次の恋が始まるのだから。
だがここは現実、選ばれたたった一人以外の想いは叶わないまま、けれど生まれた想いはそのままに時間は進んでいく。
……柊は、楓さんのことが好きなのか。
「幸せになってほしいのです。あの二人が微笑み合っているところを見るのが好きなのです。祝福の気持ちも強いのに、まるで染みのように心の中に嫌な感情が残っていて。この恋は叶わない、叶えたくない恋なのに……どうしても、捨てることが出来ないのです」
変わらず涙を零し続ける柊は、普段の彼の姿とはかけ離れていて。
この姿を見てしまうと、彼はこうしてだまし討ちでもしない限り絶対にこのお酒は飲まないだろうという事はわかる。
人の失態を本人の意思を無視して強引に引き出している、そんな罪悪感で胸の奥がきゅっと痛くなった。




