第30話 卒業アルバム
「えっ、ちょ……なんですかこれ……美味しすぎますっ!!」
落合さんは、紅茶を一口飲んだ瞬間、目を見開きながら取り乱したように叫んだ。
その姿は大げさに見えても、彼女の驚きは本物だった。
正直、私もここまで美味しい紅茶を飲んだ経験はそう多くない。
頼んだのは温かいミルクティー。
ティーポットには三〜四杯分の紅茶がたっぷり。茶濾し器を使って自分のティーカップに注ぐスタイルだ。
このお店のミルクティーは、少し変わった――いや、こだわり抜かれた作り方をしている。
チャイのように、茶葉と牛乳を一緒に鍋で煮出すインディアンミルクティーというスタイル。そのため、ミルクと茶葉の風味が溶け合い、驚くほど濃厚な味わいになる。
使用している茶葉はスリランカ産のセイロンティー。
さらに牛乳は、低温殺菌されたものを使用しているから、よくある牛乳特有の硫黄っぽい臭みがまったくない。
そうした一つひとつのこだわりが、このミルクティーに奥深い味わいと飲みやすさを与えている。
口に含んだ瞬間に、心まであたたかくなるような紅茶だ。
「でしょ? 私の大好きなお店なんだから」
「……こんなお店があるなんて……知らなかった……」
やっぱり、どこか引っかかる。
落合さんは函館に来たことがあるような言い方をする。
食に関してはかなり詳しい落合さんが、初めての味に驚いている――その事実が少しだけ、彼女の過去の謎を深めていく。
「あわわわわわ……これも美味しい……! 何を食べても全部美味しいなんて、最高すぎますっ!」
彼女が夢中になって食べているのは、アイスチョコバナナワッフル。
こんがりと焼かれたワッフルの上に、冷たいアイスとチョコソース、バナナがふんだんにトッピングされている。
焼いている時から漂ってきた香ばしい匂いに、私までつられてよだれが出そうだった。
せっかく来たのだから、おすすめのスイーツも食べたいと彼女が言ったので、私が勧めたものだ。
もうすぐ夕食だというのに、落合さんの食欲はとどまるところを知らない。
「――あのっ! 絶対にまた来ます! ファンになりましたっ!」
「そうですか。ぜひまた来てくださいね」
帰り際、落合さんは鼻息荒く、マスターにそう宣言した。
「橘さんもまたどうぞ。いつでもお待ちしてます」
「はい、もちろんです」
学生時代から通っているからもう十年近くになる。
それでもマスターは、年下である私にも丁寧に敬語を使ってくれる。その姿勢が昔から変わらず、私はこの接客がとても好きだ。
つまり――紅茶も、デザートも、マスターも。ここは、まるごと私の好きな場所なのだ。
◇ ◇ ◇
「はい。これで足りる?」
「わああああああっ! すごいです!」
紅茶専門店から帰宅すると、お母さんが準備してくれた夕食がテーブルいっぱいに並んでいた。
事前に言っておいた落合さん仕様のボリュームだ。
あれだけスイーツを食べたばかりなのに……よくまあ、食欲が続くものだ。
いただきますの声とともに、三人で食事をはじめる――と、その前に学生時代にもやっていたことがあった。
リビング横の部屋には大きな仏壇。
そこには祖父母とお父さんの遺影が祀られており、お母さんに渡したお土産のお菓子がお供え物として置かれていた。
私はいつもご飯の前にこうして仏壇の前に座って、両手を合わせていた。
――お父さん。久しぶりになったけれど、ちゃんと生きてます。
辛くて、やってはいけないようなこともあった。
でも、今は生きていてよかったと思ってます。
歳はとったけど、お母さんはまだまだ元気そうだよ。
それと、私を助けてくれた後輩を連れてきたんだ。明るくてうるさいお父さんとは気が合ったかもしれないね。
これからも私たちを見守っていてください。あとでちゃんとお墓参りにも行くから待っててね。
昔の日課を終わらせ、私は二人と一緒にテーブルについた。
「美味しい……」
「そう? それならよかったわ」
お母さんの豚汁。
ホームから飛び降りたあの日の翌朝、落合さんが作ってくれた料理も豚汁だった。
味そのものは違う。でも、どこか雰囲気が似ている。どちらも温かさがあって、優しい。
ふと落合さんを見ると、驚異的なスピードで料理を平らげていた。
母の味も、彼女の味も、私の心に何かを残してくれる。
それは、懐かしさに似た優しさだった。
「本当によく食べるのね〜。足りなかったら遠慮せず言ってね?」
「ふぁいっ! もぐ……もぐ……おかわりお願いしますっ!」
まったく、どこにいてもこの子は変わらないようだ。
◇ ◇ ◇
夜になり、お風呂を済ませると、就寝の時間になった。
ベッドの横には敷布団が敷かれ、そこが落合さんの寝るスペースだ。
彼女は、以前私がプレゼントしたルームウェアを持ってきてくれていた。
よほど気に入っているのか、毎日のように着ている。
「あ、これ先輩の……見ていいですか? 見ますねっ!」
私が返事をする前に、落合さんは書棚から卒業アルバムを手に取っていた。
まあ、別に見られて困るようなものはないので、私はそのままにしておいた。
布団に座る彼女の隣に腰を下ろし、私も一緒にアルバムを覗き込んだ。
「わぁ……この頃の先輩、すっごく美人で明るいな〜」
「今とは別人みたいでしょ」
思わず自嘲気味に言う。
だけど、確かにあの頃の私は輝いていた。
クラスの中心にいて、友達と肩を組んで、笑顔で前を向いていた。
「あ、ユニフォーム姿の先輩……じゅるり」
「おい。変な妄想するな」
アルバムの中にはテニス部時代の私の写真があった。
中学時代はユニフォームはスコートだったが、高校に入ってからはハーフパンツになった。それでも落合さんにとっては、何かしらのご褒美なのだろう。
「……着てあげよっか?」
「せせっ、先輩っ!?」
「やっぱり、やめとこうかな」
「着てください! ぜひ! ぜひともっ!!」
そんなに興奮するなんて……まあ、ちょっとだけならいいかなと思った。
「あっ、もしかして制服も残ってたりします?」
「うん。クローゼットの中にそのまま」
「じゃあ、着ましょうっ!」
「それは絶対にイヤ!」
ユニフォームなら大人でも着てプレーする人は大勢いる。
でも制服は違う。年齢的にも、痛い人に見えるのがオチだ。
落合さんくらい見た目が若ければまだしも、私は無理。
久しぶりにクローゼットを開いてみると、懐かしい服たちが綺麗にたたまれて並んでいた。
お母さんが整理してくれたのだろう。
ハンガーには制服が、引き出しの中にはユニフォームがきちんと収められていた。
……少しだけなら。そう思って、私は着替えてみた。
「……先輩。襲ってもいいですよね?」
「今までで一度も許可したことないでしょ!」
「いだっ」
ギラギラと目を輝かせ、パシャパシャと写真を撮っていた落合さんの頭を軽くチョップした。
ラケットを持ち、髪をポニーテールにし、サンバイザーをかぶってみる。
――案外、悪くない。少し照れるけど、鏡に映る私は、少しだけ昔に戻ったようだった。
「先輩……これで米三十杯はイケます!」
「勝手にイケてなさい」
まったく、食欲も妄想も底なしだ、この後輩は。




