第二百八十八話 謀をサラッとチクられたらそりゃ誰だって頭を抱える
正体を隠してただの武家として参上したのであればともかく、将軍家であることをまるで隠しもせずに伝えれば、村人達が慌てるのも致し方ない。
(ランガ兄上の欠点は、ちと庶民目線が欠けている事よな)
市井の意見を逐一取り入れていれば、国としては成り立たない。
しかし、市井の感情を無視すれば、国が立ち行かなくなる。
求められるのは、市井の言葉に耳を傾けながら、国の行末を案じる裁量だ。
「して、ソウザとは何を語り、何を吹き込まれたのだ」
「前置きも無しですか。相変わらずのお方だ」
「その惚けた顔は好きではないと、再三に伝えているはずだぞ」
「申し訳ないが、この顔は生まれつきでして。外そうにも外しようもないんですがなぁ」
ソウザは頬に両手を当てて『顔』を取り外す仕草をするが、ランガの重厚感ある視線を浴びせられて「やれやれ」と少しだけ居住いを正す。
「ソウザ兄上と会っていたのは知っておいででしたか」
「ああも堂々と彼奴の屋敷に行けば、嫌でも耳に届くわ。元々、将軍様と話した件も含めて、隠すつもりも無かったであろうに」
「ははは、左様で」
この時期に、他者を交えずに将軍と直に話をしたとあれば、事情を知る者にとって内容を察するのは容易い。それだけに、上の兄弟たちが接触を図ってくるのは時間の問題であると、ロウザが予期するのもまた当然の帰結だ。
変わらず惚ける様を見せるロウザ。一方で、側に控えるゲツヤや外周を囲っている護衛衆たちは、表情こそ落ち着いているが内面ではハラハラしっぱなしだ。快刀乱麻な気質のランガとロウザでは、まさしく水と油。主君に長く支えているだけあって、その感情はおくびにも出ていないだけである。
そもそもの話、方向性の違いはあれど優秀なエガワ三兄弟ではあるが、兄弟仲は決して良いとは言えない。それでも血で血を争うような後継争いが勃発していないのは、エガワ将軍の器量がまず第一と、兄弟たちそれぞれが非常に理性的であることに他ならない。
あるいはまだ『その時』では無いのだと、静観の段階であると考えているからだろう。
もしかすれば、こうして対面している二人のどちらかが、今が『その時』と最後の一線を越える可能性もあり得るのだ。程度の差はあろうとも、ランガ側の配下も似たような空気を味わっているに違いない。
「実のところ、ランガ兄上はもっと早々に接触してくるとばかり」
「ソウザが先走っただけのことだ。して、なんと?」
ロウザは盃に注がれた地酒で唇を湿らせてから口を開いた。
「己を取り込み、ました勢力でランガ派を飲み込めと、そう提案されました」
「思いの外、あっさりと喋る。少しは躊躇ったり間を設けたりするものだが、存外にするりと語るものだ。らしいと言えばらしいか」
「ランガ兄上が相手であれば、腹の底とまでは行かずとも、内側程度は晒しておいたほうが与し易そうですからな」
「物言いは気に食わんが、概ねは正しいと評価はしてやろう。……この場にソウザが居れば、頭を抱えて叫んでいそうだ」
くっくっくと、想像があまりにも愉快であったのか、滅多に釣り上がらない口角を上向きに歪めると、ランガも口元に酒を運んだ。気質はまるで似ない兄弟ではあるものの、笑い方にはやはり血縁を感じさせるものがあった。
「しかし、実に奴らしく小賢しい提案だ。もちろん断ったのであろう」
「今は良くても、後に難題や貧乏くじを押し付けてくるに決まっておりますからな」
ソウザの提案に乗れば、つまりは彼に大きな『借り』を作ることになる。将軍になるには最短の道筋に違いなくとも、問題はその後だ。作った『貸し』を理由に、どんな無理難題を差し向けられるか分かったものでは無い。最悪の場合、また新たな『借り』を作った挙句に傀儡政治の完成である。
「こちらからの申し出であればともかく、あちらからというのがどうにも」
自身の意思で清濁を飲み干す覚悟はできている。ただし、勝手に背負わされるのはごめん被る。己を担ぐものは己の意思で選び取り形作る。
「理想であれば六と四。欲を言えば七と三でこちらが優位に関係を結べれば良いかと」
「丸ごと、とは言わなんだ」
「全てを力づくで平伏させたとあらば、余計に反発する者も出てきましょうよ。それに、政は異なる意見を交えてこそ。違いますかな?」
「支配者としての道理は弁えているか」
ロウザとて生半可な気持ちでランガの前にいるのでは無い。それは十分に伝わった。
「では、ソウザの提案を断ったとして、この俺をどうやって平伏させるつもりだ」
「そうですなぁ……」
顎を撫でながらロウザは考えるそぶりを見せる。
「ランガ兄上であれば、やはり『力』を示すのがよろしいかと」
ピンと、緊張の糸が張り詰める。あるいは一触即発とも取れる剣呑な空気。
「今すぐにでも斬り合うか? お望みとあらば付き合うのもやぶさかでは無いぞ」
ランガの側には、身の丈にも迫る刃の『大太刀』。ロウザが頷きの一つでも返せば、その手は迷いなく柄に手が伸びる。そう確信させるだけの圧が将軍家長男からは滲み出ていた。
「いやいや。それでは単純すぎて面白味に欠ける。我ら二人が斬り合ったところで、喜ぶのはこの場に居ない者だけでしょうし」
「む……彼奴の一人勝ちは、確かに俺も面白くもない」
仮にこの場で果し合いが始まったとして、どちらか一方でも排する結果ともなれば、得をするのはソウザだ。あるいは双方が深手を追って動きが取れなくなればそれを機に激しい猛攻を企てることも考えられた。
「かと言って、臣下らを競い合わせるというのも嫌ですな。我らが兄弟の諍いに身内を巻き込んでは禍根を残す」
「ではなんとする。あれも嫌、これも嫌では話にならん」
ロウザの言葉に一定の理解は表しつつも、ランガは難色を出す。末弟は『力』の示しと宣言しながらも、この後に及んでその方法を曖昧にしている。
だが、ランガは無知蒙昧な男では無い。ロウザという男については、他の者よりは少なからず知っているつもりであった。




