第二百八十二話 飲み会の面目は途中からどうでも良くなる
「それでは、黒刃ことユキナとシラハ・ミカゲの婚約を祝して──乾杯!!」
ロウザの意気揚々とした音頭から、盛大な歓声が巻き起こって始まった酒宴。
行われているのは格式ばった遊郭ではなく、下町場末の酒場。派手に騒ぐのであればこちらの方が良いとのことで、言わずもがなここもロウザの御用達。店主とは慣れ親しんだ様子。すでに入っていた客たちもロウザの顔を見ると歓声を上げていた。
「民衆からの人気が高いってのは、こういうのを見ると本当だって良く分かるな」
『しかも、大半の顔はしっかり覚えてるみたいだぜ。そりゃ将軍様も期待したくなるわ』
すでに酒宴が始まってしばらくが経過しているが、本来であれば主賓の俺は今は酒場の片隅で酒をチビチビと煽っている。ロウザの方を見やれば、他の客と肩を組んで景気良く歌声を奏でている。明らかに最初より人数が増えているのは、愉快な騒ぎを聞きつけた誰かしらが後から勝手に混ざっているからだ。もしかしたら宴に参加している半分以上は、すでに建前も知らずに愉快に酒を飲んでいるかもしれない。
「ロクノスケではないか。嫁のカナエとはどうだ」
「お恥ずかしい限りですが、相変わらず尻に敷かれておりまして」
「実に結構。あの器量良しに敷かれるのであれば喜ぶべきよの。とまれ、時には尻の下からはいてで好きに飲むのもまた一興。今日は無礼講だ!」
「怒られるのが怖くて酒は飲めませんなぁ! 後が怖いですけども!」
驚くのは、何気なく声をかけてくる誰かしらがいても、ロウザはしっかり名前を呼んでから近況を聞いているのだ。つまりは、一人一人の顔を覚えているだけではなくその身の上までちゃんと把握しているのである。
博打好きで破天荒なロウザではあるが、何気ない一瞬から垣間見える優秀さにはいつも舌を巻く。こうしたさりげない所作が民に慕われる所以であるし、将軍からも期待される理由の一端なのであろう。
それは良いのだが。
「『祝して』ってのは口実で、ただ酒が飲みたかっただけじゃね?」
『まぁ良いじゃねぇか。今日は緊張続きだったんだろうしよ』
本来は日を置いてこなすべき出来事が三件も発生して、確かに俺も疲労気味である。内二件の渦中はロウザであり、精神的にもかなり疲れたのだろう。羽目を外したくなる気持ちは分からなくもなかった。
俺としても、個人的には一大イベントをどうにか終えられた事で一息は入れたかったのが正直な気持ちだ。もっとも、ロウザのように馬鹿騒ぎをするつもりもなく、一人で酒を味わうのがちょうど良い。
と、そこで酒の容器──サンモトでいう所の『徳利』が空であることに気がついた。店主に新しいものを頼もうと辺りを見渡すと
「前、良いか?」
「構わないぞ」
断りを入れてから俺の正面席に腰を下ろしたのはゲツヤだ。ご丁寧に新しい徳利を持って来ており、俺に差し出してくる。お猪口と呼ばれる器を寄せると、少量の酒が注がれる。
器が小さく一口程度しか注げないが、サンモトの酒は酒精が強いものが多く、このくらいの量をちょっとずつ飲むのが程よいのであろう。
俺は徳利を受け取り、今度は逆にゲツヤのお猪口に傾けながら問いかけた。
「ロウザの方は良いのか」
「店の中に護衛衆が紛れている。問題はない」
言われてロウザの方に目を向けるが、俺には陽気に騒いだり楽しんでいる民衆しか見えない。
『本当だぜ。ちらほらと覚えのある奴らが混ざってらぁ』
グラムが言うのであればそうなのであろうが、簡単に主君から離れる男ではないだろう。
「……ロウザになんか言われたのか?」
「ああ。主君に気を使わせるなど、私もまだまだ未熟だな」
一息に酒を煽ると、ロウザは酒精の混じった吐息を苦笑の中で漏らした。
シラハ道場での件は俺とミカゲの間の話だが、ゲツヤは他ならぬミカゲの兄だ。当事者により近い立ち位置にいることもあり、ロウザなりに配慮したのだろう。
「おたくとこうして二人で面を合わせて──ってのはなかったな」
ゲツヤと言葉を交わした回数はいくらでもあったが、必ずロウザや他の誰かしらが間に挟まっていたり介在したりだ。酒宴の喧騒只中ではあるが、落ち着いて話す機会はこれが初めてかもしれなかった。
「そう言うお前は常に女を侍らせている印象だがな。女に酌をさせて愉悦に入っていると思いきや、一人で寂しく飲んでいるところは意外だった」
「悪代官とかマフィアのボスじゃねぇんだから……」
アイナたちは全員、着物から普段着に着替えて、離れた場所で過ごしている。
リードは最初は酒を飲んでいたが、慣れない着物姿や化粧で疲れたのか、すでに机に突っ伏して寝息を立てていた。キュネイやアイナはそれに寄り添って談笑中だ。ミカゲはいつの間にか参加していたツクヨと久方ぶりの会話を楽しんでいた。
「可愛い彼女がお酌してくれた酒を飲むのは確かに美味いかもしれねぇが、そういうのはさせるんじゃなくてしてくれるのを待つものじゃないだろうか」
「…………なるほど、私には理解できない世界だ」
「冗談だから間に受けないでくれ。真面目な話をすれば、一緒にいる事だけが愛情表現じゃないってわけよ」
アイナたちと一緒にいると確かに楽しいし、かつ心が安らぐ。大切な人と共に時間を過ごせるというのは得難い幸福には違いない。けれども、もはや己の一部と呼んでも過言ではない彼女たちではあるが、やはり別の考えを持つ人間であるのもまた事実だ。
「たまには離れて思い思いに過ごすのも必要で。そうした時にふと感じる人恋しさが、再び触れた時の愛おしさを強く再確認させてくれるってね」
誰かと一緒に騒ぐのは楽しいが、一人でゆったりと過ごす時間というのも悪くはない。落ち着いて考えに没頭できたり、あるいは何も考えず無心でもいられる。




