第二百八十一話 褒め言葉を考えるのって大変だよなって
道場の壁に叩きつけられた俺は、そのままズルズルと足を崩して尻餅を付いてしまう。
一瞬のことで、何が起こったか最初は訳が分からなかった。
非常に大雑把な話をしてしまえば、ザンゲツの動きはミカゲやゲツヤの動きに酷似していた。それもそのはず、二人の剣の師匠はザンゲツに他ならない。そして、俺は暇を見てはミカゲと鍛錬を重ねており、少なからずではあるがその動きに慣れていた。
とはいえ、ミカゲには申し訳ないが、その動きのキレや鋭さ。振るわれる剣圧は明らかに彼女の格上。能力も魔法も抜きにした技量のみの戦闘でミカゲに全く勝ち越せていない俺が、同じ条件でザンゲツに勝てる道理もない。
ただし、ミカゲにあってザンゲツに無いものがあった。それは、俺と戦った経験。
常日頃からべらぼうに重たい黒槍を扱っているおかげで膂力にだけは自信があった。ザンゲツが俺の膂力に対応し切る前に、一気に畳み込もうとしたのだが。
最後の一撃。ザンゲツの発する圧が爆発的に増したと思った直後に繰り出された横薙ぎ。木刀で受け止め踏ん張ろうとしたが、気がつけば俺が吹き飛ばされていた。
「どういう理屈だよこりゃぁ」
『驚いたな。体の扱い一点に限れば、あのおっさんは相棒が出会った誰よりも抜群に上手いぞ。こりゃぁ同じ土俵で勝つのは、今の相棒じゃぁ逆立ちしても無理だぜ』
まるで巨大な流れに身を晒されたような問答無用な圧が襲いかかってきた。木刀を支えていた腕だけではなく、全身の至る所に強い痺れがまだ残っている。
『シラハの剣は感情の刃──って、ミカゲが言ってたな。ほんの一瞬だけ感情を爆発させて剣に込めやがった。手前の激情を完全に制御できてる証だ。サンモトは平和って聞いてるが、どんな修練を積めばああなれるのかね』
呆然としていた俺だが、ようやく現実に思考が戻ってくると慌ててザンゲツに眼を向ける。が、あちらは木刀を振り抜いたままの格好で制止。やがては構えを解き、ミカゲが戦闘が終わるといつもしている様に、木刀をさっと払うと腰に収める納刀の仕草を取り、全身から力を抜いた。
「力は申し分ないが技量はかろうじて及第点といったところ。ただの力自慢で済まぬ程度には己を磨いているらしいな」
「とりあえず、いきなり木刀で殴りかかってきた事について、一言くらいはねぇのか?」
「貴様も途中から分かっていただろうに」
「…………」
あの肌を指す威圧感もいつの間にか消え失せたザンゲツに、俺は顔を顰める。
最初の一発からしばらくは無我夢中で木刀を振るっていたが、ふとした拍子にザンゲツから殺気の類がほとんど感じない事に気がついた。だから、愛用の黒槍ではなく、あえて渡された木刀を使い続けていたのだ。
こいつは実戦ではなく、ただの腕試し──あるいは稽古なのだと。
「馬鹿娘とはいえ、血を分けた娘には違いないからな。連れてきた男がろくでなしであれば、手足の三本や四本ほど折って道場から叩き出してやろう思っていたが、その必要はないようだ」
「怖っ!」
奇しくも、ゲツヤが言っていた話は完全に的中しており、普段から鍛えておいて良かったと本当に心底安堵した。
そのまま俺を見据えていたザンゲツは、やがては踵を返した。
「どちらへ?」
「少し出てくる。夕食は先に食べていろ」
「分かりました」
深く聞かないツクヨの問いに短く答え道場を去っていく師範の背に、ロウザが意気揚々と声をかけた。
「ザンゲツ。伝え忘れておったが、そやつは一対一の立ち合いでこの儂に勝った、紛う事なき益荒男よ。道場剣術の範疇で全てを計れると思わん方がよいぞ」
「ほほぅ……それは実に興味深いですな」
そう言って、ザンゲツは道場から出ていった。
「……ぶっはぁぁぁぁぁぁっっ──」
完全に姿が見えなくなってから、俺は体から力を抜き木刀を手放した。
ザンゲツが得物を下げてからも今の今までずっと緊張しっぱなしであったのだ。敵意殺意は無かろうが、気を緩めたら一瞬で首元に刃が迫るような気がして仕方がなかったのである。
「ごめんなさいね。あの人ったら久々に粋の良い子が来たからってはしゃいでたみたい」
「あれではしゃいでたのか?」
ツクヨの夫を補足する発言に、俺は首を傾げた。最初から最後まで渋く険しい面のままでしたが、おたくの旦那さん。
壁際で状況を見守っていた他の面々も、ぞろぞろと集まってきた。
「素晴らしいです、ユキナ様! あの父上から認められるなんて!」
「認められたって言って、いいのか?」
いの一番のミカゲのはしゃぎっぷりに、俺はまだ体に力が入らず胡乱に応えた。やったことといえば、我武者羅に木刀をぶん回した挙句に、ただの一発で吹き飛ばされただけだ。それでも、妹と同じく俺の側まで来たゲツヤも頷いていた。
「剣については私やミカゲ以上に厳しいお方だ。おそらく、私の知る限りでは最大の賞賛を賜ったとみて間違い無いだろう」
「本当かよ。手加減に手加減を加えた甘々な評価じゃねぇか」
「いつもそうですが、ユキナ様は己を過小しすぎです。もっと自信をお持ちください」
ミカゲが言うが、褒められたと言う実感はあまり無い。明らかに手を抜かれているのは分かっていたからだ。もし仮にザンゲツが本気を出していれば、刃の無い木刀であろうとも腕の一本や二本は容易く胴体と泣き別れしていたのではと思えるほどだ。
ただ、身内であるミカゲやゲツヤが「そうだ」と言っているのであれば、少しばかりは自惚れても良さそうだ。
「とりあえずは、お許しを得たって事でいいのか?」
「だろうな。百聞は一見に如かず。されど百見は一刀に及ばず──を文字通り実践されるお方だからな」
「なんだよそりゃぁ……」
「父上は剣の腕に掛けては間違いなくサンモト一に違いないが、それ以上に口下手の御仁だ。数多の見聞を重ねるよりも、剣を受ければその者の道程を推しはかれるのだろう」
「私はまだその域に到底及ばないがな」と、ゲツヤは小さな悔しさを最後に付け足した。口下手なゲツヤが言うのであればあの親父はよっぽどだ。
世の中、上には上がいると、心底思い知らされる。井の中の蛙大海を知らずと、言葉を知っているつもりではあったが、まさしく海を隔てた先の地でより強く実感してしまった。
それはいいとして。
「綺麗だぜミカゲ。改めて惚れたよ」
「…………ふぁっ!?」
道場に入ってからザンゲツに睨まれるわ木刀を投げ渡されるわ殴りかかられるわで全く余裕がなかったが、最初に目についた時から思っていた感想をようやく伝えることができた。
「あらあら。私やあの人にはそんな顔、全く見せてくれたことなかったのに。やるわね、ユキナくん」
「は、母上……ユキナ様もそんな急に」
俺に向けてグッと親指を立てて笑みを浮かべるツクヨと、真っ赤になった頬に両手を当てて困り果てるミカゲ。あの旦那からは考えられないが、実は結構ノリがいい奥さんなのかもしれない。
「リードも。その着物、よく似合ってる」
「──ま、まぁな。ダーリンもか、格好良かったぜ」
俺が率直な褒め言葉を述べると、リードはそっぽを向いてしまう。それでも、頬が赤くしながら口元がどうしようもなく緩んでいた。最初見た時は普段とは全く別の様相で驚いたもんだ。もはや、俺とやり合った時以前の男勝りな頃が思い出せないくらい、どんどん女としての魅力を高めている様だ。
「あらぁ、私たちのことは褒めてくれないのかしらね、ユキナくん」
「………………」
キュネイはワザとらしく言うと、胸の下で腕を組むと、けしからない露出の胸元をさらに見せつける様に前屈みで迫ってくる。アイナはアイナで、色々と言うか否かで口を迷いつつも、実にいじらしい上目遣いでこちらを見やる。
「疲れてるから勘弁してくれ」と心の片隅では思いつつも、ここでへこたれていては男が廃る。サンモト衣装に着飾った彼女たちへの褒め言葉を、俺は必死で絞り出すのであった。
和気藹々に騒いでいるユキナたちを遠目で見据えるレリクス。いつの間にか握り拳に力が入り込んでいる事に彼は気が付いていなかった。
「混ざらなくて良いのか、勇者殿」
「……そう言うあなたはどうなんですか、ロウザさん」
「野郎がこれ以上混ざったところで、奴も面白くはないだろ」
腕を組み、満足げな笑みを浮かべユキナとその周りを見守るロウザ。そんな彼に、レリクスは気が付く。
「もしかして、あなたにはこうなる事が分かっていたんですか?」
「さて、どうだかな。しかし、あの益荒男であればどうにかするとは信じておったよ」
「………………」
万感の信頼を見せつけられ、勇者は黙り込んでしまった。口を開けば、押し込めたはずの感情が漏れ出しそうで怖かったのか。それとも──。
「レリクス様……」
少し離れた場所にいるマユリもまた、そんな勇者の姿を目に掛ける言葉を惑わせていた。




