第二百六十六話 オハシを使いねぇ!
サンモトに赴く際に、まず最初に考えなければならないのが『食事』だと、ロウザとミカゲから告げられていた。土地が違えば食べ物が変わるだろうし、同じ食べ物であろうとも今度は食べ方が変わる。その辺りについては覚悟していた。
ただ一番の問題は料理を食べる際に使用する『食器』だ。
「この箸ってのは未だになれねぇな。サンモト人はよくもまぁこんなのを器用に扱えるもんだ」
コウゴ城に足を踏み入れた翌日。宿で一夜を明かした俺たちは、日が昇ってから宿の料理人が用意した朝食を堪能しているのだが、俺はサンモト独特の文化に悪戦苦闘していた。
この国で使われる食器は、フォークやスプーンではなく、たった二本の細い棒を片手で握って使うのだ。これで料理を摘んで口元に運ぶのだが、また絶妙に難しい。油断をしているとすぐにポロリと先端から転げ落ちるのだ。
「ですが、言う割にはユキナ様もだいぶん慣れましたね」
「船の中で散々と練習させられたからな。おかげでめっちゃ指が攣ったけど」
俺を褒めるミカゲといえば、右手で掴む箸で焼き魚の解し骨を取り除き、切り分けた身を口に含んでいる。見ての通り、ただの二本の棒であるはずなのに非常に多芸な食器である。サンモト人は物心つく頃からこれを使って飯を食っていると言うのだから驚きだ。
サンモトで食事はこの『箸』を扱う前提の食生活が待っていると言うことで、船旅の最中は猛特訓させられたのだ。おかげでミカゲほど万能に扱うのは難しいが、どうにか料理を掴んで食べるまでは習得できた。
「そこいくとキュネイは器用だな」
こちらは、サンモトの主食である米──穀物を炊いたモノ──をパクパクと食べていくキュネイ。他の更に守られた料理も澱みなく摘んで食べていく。
「手術で細かい器具とかを使うこともあるしね。……あぁ、このスープが胃に沁みるわぁ」
片手で持てる器を持ち上げ、注がれた茶色のスープを飲み込むとキュネイが「ホッ」と熱っぽいを漏らした。味噌と呼ばれた食材を溶かして作るもののようだが、彼女のお気に召したようだ。ただ、朝っぱらから妙に色気を振りまかないで欲しいとは思う。
「゛うぅぅぅぅぅ……ぎぼちわるい…………あだまいだい……」
昨夜は勇者一行の戦士と酒場に行ったらしい二人であるが、リードは朝食にろくに手もつけず真っ青な顔で呻いていた。完全に重度の二日酔いである。
「珍しい酒だからと言ってバカスカ飲むからです。自業自得としかいえません」
「今は正論じゃなく優しい言葉が欲しいぜ……いだだだだ……」
ミカゲが半眼で冷たく言ってやると、リードはシクシクと涙しながら、ちょっとずつ料理を食べ始める。なんだかんだで出されたものは食べる程度の気持ちは残っているようだ。
「それでユキナさん。これからどうするおつもりで?」
国が変わり食器が変わろうともアイナの所作は実に上品だ。箸を扱う仕草も非常に様になっている。この辺りはまさしく王族教育の賜物だなと思わされる。ただ朝食を食べるだけの光景にちょっと感嘆していたのは胸の内に隠し、程よい塩加減と歯応えの漬物を咀嚼し飲み込んでから俺は口を開く。
「しばらくはサンモト観光とさせてもらおうぜ。どうせすぐに事が進むわけないからな」
当然の話ではあるが、相手はサンモトの将軍様──つまりはこの国を文字通り収める最高権力者であり最終決定者。素人が考えるまでもなく日々多忙を極める立場にあるのだ。そんな相手に、多人数の面前ではなく少人数かつ内密での会合を取り付けるとなれば、息子からの要望だからと言ってそう簡単に予定を作るのは難しいだろう。
そもそも、面会の要望自体が通るかすら不明だ。
サンモト将軍家が非常に不安定な時期であるのは、将軍当人とて把握しているだろう。そんな中で、ロウザと内密の話を設ければ他の兄弟がどう動くのか分からない。
アークスでは、俺は王様にとっての半ば身内同然として扱われており、ほとんど顔パス状態だ。
たまに忘れそうになるが、一国の長と面を向き合わせて話すと言うのはそれほどまでに大変な事なのである。
「父上はその辺り、非常にやり手なお方でしたから」
とはアイナの談。アークス王は俺にとっては気さくで頼り甲斐のある恋人の父親であるのだが、実際には物凄く優秀なお方であるとか。常に緊急時の為の時間を設けているようで、俺が会う時はその空白を当てているらしい。
ともあれ、サンモトの王に対しても『それ』を求めるのは贅沢を通り越して不遜だろう。
ロウザの見立てでは一週間、長ければ二週間は待たされるとしていた。
「そんだけあれば、コウゴの名所は大方は見回れるんじゃねぇのか?」
「些か不謹慎な気もしてしまいますが……宿に引き篭もって心労が貯まるよりはマシですか」
ほんのり後ろめたさを感じつつだが、ミカゲも賛同してくれた、どうせ状況が始まってしまえば派手に慌ただしくなるのはほとんど確実なのだ。そうなる前に、コウゴの都各所を巡って英気を養った方が前向きかつ健全だ。
「でしたら、レリクスさんたちも誘いませんか? 今後のことを踏まえても、彼らと親睦を深めておいて悪いことはないと思いますし」
「あぁぁ……まぁ良いんじゃね?」
俺はよろしくないと分かっていながら曖昧な声で答えてしまう。明瞭な返事か帰ってくると思っていたのか、アイナは頭に疑問符を浮かべる。事情を多少なりとも分かっているキュネイは苦笑していた。
昨晩にちょっとやらかした手前、レリクスと顔を合わせるのが気まず過ぎる。俺も言い過ぎたかなと思うが、それを素直に認めるのがどうにも躊躇われる。
ただここでアイナの提案を無碍にするのも憚られるので、ああした微妙な返事が出てきてしまった。




