第二百六十一話 恋話と不安
「で、早速なのですがアイナ様。是非ともお聞かせ願いたいことがあるのですが」
「はい、なんでしょうか」
「あのユキナという殿方とは、どこまでいったのですか」
「えっ!?」
将来を有望視されている宮仕の天才魔法使いであろうとも、そうした立場や身分を取っ払ってしまえばマユリも年頃の娘。アイナはそうした女性たちが憧れる恋愛を実際にしているわけである。話を聞きたくなるのは至極当然であった。
今後についての話し合いが行われると思いきや、まさかの色恋沙汰が飛び出してきてアイナも驚いてしまった。
「先ほどははぐらかされてしまいましたが、実際のところはどうなのですか」
「じ、実際にどう……とは?」
目をキラキラとマユリにグイグイと迫られ、アイナは押され気味である。恋に恋する乙女の興味とは、時に恋愛経験者をたじろがせる勢いがあるのだ。
「あの殿方と相愛の仲であるのは確かでしょう。ただ、彼はあろうことか他の女性の方々ともただならぬ間柄であるのは見ていてもわかります。いえ、そのこと自体には、とやかく言うつもりはありません。アイナ様がお選びになったのであれば、それに足る器量の持ち主であるのでしょう」
「えっとその。マ、マユリさん……少し落ち着いて」
そのまま小柄な魔法使いは、恵体な魔法使いに問い詰める。
「ですが、万が一にでも、アイナ様を蔑ろにしあまつさえ悲しませているようであれば、私は今からアークスにも戻り、お父上であらせられる国王陛下への直訴も」
「ゆ、ユキナさんはちゃんと私のことも愛してくださってますから!」
いよいよ冗談にならない言葉が出てきたので、マユリの言葉を断ち切るようにアイナは顔を真っ赤にし豊かな胸を揺らしながら大声で叫んだ。
「あの人は本当に分け隔てなく平等に、そして毎回必ず全力で愛し抜いてくれています! それこそ、アークスを立つ前日は一晩中──」
と、そこまで述べてからアイナはハッとなる。捲し立てるマユリに乗せられる形で、余計なことまで口走ってしまった。恥ずかしさの余りに頬が朱に染まるが、いつの間にかマユリからの反応が薄い事に気がついた。
見れば、マユリは己の両頬に手を当てて、アイナ以上に顔を真っ赤にしていた。。
「多くの名門貴族の子息方が懸想を抱きながら、高嶺の花と諦めていたあのアイナ様が……本当に、あの殿方とあんなことやそんなこと、ましてやどんなことも」
熱に浮かされたように口から漏れ出たうわ言の中に含まれている『どんなことも』とは果たして──。
「…………鼻血が出てますよ、マユリさん」
「あ、これは失敬。はしたないところをお見せしました」
顔を真っ赤にしながら、目が怪しい風に決まっているマユリに、アイナは冷静に諭した。
天才的頭脳が描き出す桃色に染まり切った妄想に興奮し、血圧が高まりすぎたようだ。鼻から垂れた血を取り出した手拭いで、マユリはいそいそと拭う。恋愛に興味津々であると同時に、なかなかに創造豊かな娘であるようだ。明らかにアイナが口にした以上の事をこれでもかと想像していたらしい。
「なるほど……あの殿方とアイナ様がしっかり愛し合い、夜な夜なに逢瀬を重ねているのは理解できました。であれば、帰国した際には国王陛下に良いご報告ができそうです」
「しなくて結構ですから! あと夜な夜な──というか毎日ではありませんからね!」
毎晩頑張っているのはユキナだけで、女性陣は交代制である。そして週に一度か二度はみんな一緒に──なのだが、それを他人に話せるほどアイナも覚悟は決まっていなかった。
「ご安心ください。毎夜の逢瀬についてはちゃんと私の胸の内に留めておきますので」
「『毎夜』のくだりも忘れてもらって全然構わないのですけどね」
妄想で鼻血を漏らす醜態を晒したとは思えないほど妙に堂々とし、薄い胸を張るマユリ。好き勝手根掘り葉掘り聞かれ、アイナは意趣返しとばかりにマユリに問いかける。
「私のことばかり聞いてきますけど、マユリさんこそ勇者様──レリクスさんとはどうなっているのですか?」
「うえぇっ!?」
マユリは妙な声を発しながら飛び上がった。
「な、ななななな何のことでしょうかアイナ様? わ、わわわわわ私はべつにそそそんな」
わざとでは無いかと疑いたくなるほどに大きく狼狽えるマユリ。これほどわかりやすい反応というのも早々にお目に掛かれないだろう。
アイナとしてはカマをかけたつもりはない。先ほどの話し合いの際、合間合間で魔法使いが勇者に向ける眼差しは、仲間としてだけではなく女性が男性に想いを寄せるそれに違いなかった。アイナだけではなく、あの場にいた女性は全員気がついていたはずだ。
コホンとやはりワザとらしく咳払いをし、マユリは仕切り直す。
「純粋に、あくまで純粋にですよ? 私はレリクス様を人間として尊敬しています。ええそれはもう。誰にも分け隔てなく礼節を持って接し、弱きを助け悪きを挫く姿はまさしく勇者に違わぬお姿でして」
「頬が随分と緩んでいますね、マユリさん」
「そ、そそそそんなことありませんけども!?」
「はい、ご馳走様です」
意趣返しができて満足したのか、笑みを浮かべるアイナに対して、マユリはローブの裾を掴んでモジモジとする。えてして色恋というのは人に知られるのは不思議と恥ずかしく、だからこそ女性たちの興味を惹きつけるのかもしれない。
と、乙女ムーブ全開だったマユリだったが、不意に裾を掴む手に力が籠った。
「……あの、変な意味で聞くわけではないのですが、ユキナさんはレリクス様の事をどう思っていらっしゃるのでしょうか」
「そうですねぇ……同郷のご友人で、真面目で善人であるとはよく言ってます。気苦労が多くて心配になるとも」
しょっちゅう会話に出てくるわけではないが、勇者一行の旅についての話題が出てくると、ユキナなりにレリクスの旅路を案じているのが態度からよく分かった。冗談混じりにぼかしているが、友の安否は気になっているのだ。
ただそれを聞いて、マユリの表情は真剣味を帯びた顔つきになる。
「……実は、私たちは旅先で幾度かアイナ様──ユキナさんたちの活躍を耳にしています。そういう時は決まって、私たちが大きな事件に直面しているんです」
「いくつかは、心当たりがありますね」
アイナも彼女なりの人脈や伝手を使い、勇者一行の道程については情報を入手していた。ユキナに逐一報告しているわけではないが当然、彼の行動が周り周り回って勇者一行に関わっていることも把握していた。
その事を気に留めたことはなかった。あくまでも単なる事実として認識しているに留めていた。この時、マユリが『それ』に触れるまでは。
「……実は最近──いえ、思い返せば以前からかもしれません。そうしてユキナさんの名前を聞く度に、レリクス様がとても思い詰めた顔になるんです。私たちには誤魔化しているつもりかもしれませんが」
苦楽を共にし命懸けの場面をいくつも切り抜けてきた仲間だ。隠していたとしても、勇者の異変を見過ごすはずがない。普段通りに心がけていたとしても、ふとした瞬間に見せる物憂げな表情がマユリの心を騒つかせていた。
「エガワ城であなた方と出会った時、とても驚いたのですがそれと同時に不安にも思っていたんです。レリクス様をあのような表情にさせるユキナさんと一緒にいたら、果たしてどうなってしまうのか」
自身の小さな胸元の近くで、マユリは心細げに己の手を握りしめた。
アイナがレリクスと共に行動した時間はさほど多くはない。けれども短い期間で接した中でもレリクスが好青年であるのは良く分かっていた。勇者に選ばれるにふさわしい人物に違いないと。
しかし、マユリの吐露はアイナの豊かな胸中の中に言い知れぬ不安を芽生えさせるには十分過ぎるものであった。




