第二百五十五話 異郷の地にて──
握手で握り合った瞬間に、ランガは俺の手を握りつぶし押し込もうとしてきたのだ。不意打ちの暴挙に抗ってしまうのも致し方がないだろ。
一見すると、俺がランガに何かしらをしたように見えたようで、当然ランガの背後にいた武士たちが一斉に殺気立つ。でもって、それに対してミカゲとゲツヤも険しい面持ちを浮かべる。
それを制したのは他ならぬランガだった。サッと手を挙げると、イキリ立っていた武士たちが渋々と従い荒れた気配を引っ込める。ミカゲらも険しい顔はそのままだが身構えを解く。
「いかがでしたかな兄上。我が盟友は」
ランガは二度三度と力を込めてから、やがて握手という名の力比べを止めて手を離した。
「って、いきなり何しやがる!」
「……なるほど。ロウザ、お前がベタ褒めするだけのことはあるな」
手の調子を確かめるランガに、驚きから抜け出した俺は荒げた声をぶつける。俺じゃなかったら押し返すどころか、掴まれた手が握りつぶされ骨がぐしゃぐしゃになっていたほど。厄獣を除いて、純粋な人との力比べに限れば俺の経験の中でトップレベルの怪力であったかもしれない。
「どうだ。ロウザの麾下などやめて、俺の元に来ないか。その力、遊び人風情の元に居させるのは実に惜しい」
「話聞いてんのか!?」
謝罪も無く、ランガの口から出てきたのは勧誘の言葉である。眉間の皺は特別に機嫌が悪いわけでも無く通常なのか。全く悪びれた様子もなくヌケヌケと言ってくれる。
「派閥にそれなりに腕の立つものはいるが、俺の『片腕』を任せられる者がおらんでな。お前ほどの猛者であれば、あるいは俺の右腕にもなりえるかもしれんぞ」
「おいロウザ! お前の兄貴どうなってんだ!! こいつ、挨拶がてら人の手を握りつぶしにきた上で、普通に勧誘してくるんだけど!?」
思わず『こいつ』呼ばわりで俺が抗議をぶちまけるが、ロウザは心底愉快そうに腹を抱えて笑っていた。
「ランガ兄上は腕の立つ者を見ると、ついつい腕試しをしたくなる性根の持ち主でな。悪気はないのだ、許せ」
「悪気がなきゃぁ何しても良いってわけじゃねぇぞ!? 無邪気ってのは案外残酷なもんなんだからな!!」
子供の頃は近所の草葉で捕まえた蜥蜴の皮を生きたまま剥いで、その後に〆もせずに焼いて食ったりもしたもんだが、子供の邪気のなさというのは今思えばちょっと怖いなって思うこともあるわけで。
俺が力極振りで無く、身軽を売りにする性質の傭兵であったら、この場は惨劇の場に成り果てていたな。俺はともかくミカゲがガチギレして収集がつかなくなっていたに違いない。
「しかし、力比べで負けたのは久方ぶりか。機会があれば、手合わせも願いたいところだ」
「あれって、将軍様に合わせた方便じゃなかったのか……」
生まれた時代を間違えたって、武芸云々以前に性根の部分じゃなかろうか。
呆れやら驚きやらで複雑な表情を浮かべている俺をよそに、ランガは頷いてから背を向ける。
「俺はこれで失礼させてもらう。黒刃と呼ばれていたな。ロウザに愛想を尽きたら、いつでも我が傘下に迎え入れよう」
そういって、派閥の武士を引き連れて去っていってしまった。
通路の奥へと消えて見えなくなったランガの背中と、割れた床を交互に見やり、
「言いたいことやりたいことだけやって颯爽と帰ってったぞ」
「私も久方ぶりでしたが……まるで嵐のようなお人ですね、ランガ様は」
母は違えどロウザの兄であるからしてどこかしらぶっ飛んだところがあるとは思っていたが、まさかこうまでとは思っていなかった。とてもではないが、知謀策謀を張り巡らせるような人間には見えなかったが。
「あの実直さに絆されるなよ。ランガ様は、気に入られた者にはとても寛容なのは違いないが、逆に気に入らぬ者や抗う者にはとことん容赦がない。無礼を働いた折に、あの剛腕にて振るわれた一太刀で両断されたものも少なくない」
「……それって物理的にか?」
「物理的にだ」
俺が自身の額を手刀でトントンと叩くと、ゲツヤは冗談一つ言わなそうな顔で率直に頷いた。つまりは文字通り脳天から股間にかけて実際に真っ二つに両断された者がいたということだ。
「とはいえ、ただの選り好みで大鉈を振るっているわけではない。武芸百班には違いないが、己の力を御する心得も使い時を見極める眼も持ち合わせている。ゆえに、ランガ兄上に付き従う者は、ただの恐怖では無く『畏敬』の念で従っておるのよ」
恐れを持って縛り付けるのでは無く、畏れながらも敬わずにはいられないと思わせる魅力の持ち主がランガという男なのだろう。
「ランガ兄上は人の好き嫌いがはっきりしているだけ、まだ分かりやすい」
蒼錫杖の柄で肩を叩きながら、ロウザがボヤく。
「シンザ兄上はあれに輪をかけて面倒な相手だ。くれぐれも油断してくれるなよ」
ランガもだいぶん癖が強かったが、まだ上がいるのか。
最初から分かり切っていたことだが、前途多難で先行きが全く見えないな。
『良いじゃねぇか! せっかく海を渡って異国くんだりまできたんだ! あっさり終わっちまったらつまらねぇからな!』
本丸の入り口で返却してもらった黒槍に端的に説明を終えると、野次馬根性で他人事じみた声が返ってきた。完全に、喧嘩を肴に酒を楽しんでいるノリだ。
『結局のところは、俺は相棒に振るわれる武器だからな。地獄の底までついていくことくらいしか出来ねぇからよ』
心強くはあるが、この先に待ち受けるのが地獄で確定みたいな物言いはちょっとやめてほしい。
それから俺たちはコマリに別れを告げてから、城の出口に向かう。当たり前だが本丸にはロウザの私室があり別の建物にも寝泊まりできる客間があったが、「こんな堅苦しい場所で横になっても休まるものも休まるか」と、ロウザが固辞。これからキュネイたちが先に向かった、ロウザ御用達の一軒に向かうこととなった。
正面門に到着すると、最初に応対した門番が改めてロウザに頭を下げる。
「いってらっしゃいませ!」
「おう、お勤めご苦労様。来たばかりなのに慌ただしくて悪いな」
「いえ! そのお言葉を頂けるだけで光栄であります!」
大仰な門が開かれる最中、俺は膝に感じる違和感に思わず顔を顰めた。
「あのセイザってのは慣れねぇな本当に。まだ足が痺れてやがる。もはや一種の拷問だろ」
「我らは幼少のみぎりより慣れていますから。棘のついた床に正座し、畳んだ足の上に重しを乗せていく拷問は確かにありますけど」
「なんでそれ教えたの? ちょっと想像して背筋がゾッとしたわ」
ミカゲのあまり聞きたくなかったサンモト豆知識にドン引きしながら、解放された門の向こう側に眼を向ける。
『あん? なんだぁ?』
『……これは』
グラムとトウガが何かに気がつくのとほぼ同時だった。
目に留まったのは、俺たちにとっては当たり前だが、この国の者にとっては慣れぬ意匠を纏った者たち。特に、そのうちの一人は強い存在感を露わにしていた。
「………………な、なぁミカゲ。俺の目が致命的に曇ってなきゃぁ──」
「ええ。見覚えのある顔がありますね」
ミカゲも驚きに目を大きく開いている。 どうやら俺の勘違いではないようで、あそこに立っているのは間違いなく俺のよく知る人物であり、その仲間だ。
俺の同郷であり友人であるレリクス──『勇者』とその御一行である。
まさか海を渡った異郷の地で顔を合わせることになるとは思ってもみなかった。
──いや、本当になんでいるんだ?
「ほほぅ……あそこにいる者達が、今朝儂らに言っていた『余所者』か?」
ロウザは心底面白そうに頬を歪ませていた。
勇者らがここにいる理由には未だ見当はつかないが。
エガワのお家騒動が、想定を超えた混迷を見せると俺は予想せざるを得なかった。でもって、同じものを感じでいるであろうロウザは、それすらも面白がっているのだから困ったものだ。




