side braber(中編)
ユーバレストで魔族と戦った人間の話を、すでに勇者一行は知り得ている。
その顛末も、そこから勇者たちに及ぼした影響も。
けれども、知っていながらもレリクスは聞かざるを得なかった。
「もう一度聞く。誰の話をしているんだ」
「れ、レリクス様?」
マユリが思わず声をかけるが耳には入っていない。言葉こそ静かではあったが、剣から発せられる白焔が勇者の内面を表すように怪しく揺らめく。彼女の不安を掻き立てるには十分すぎであった。
「かの憎き黒槍を振るう男よ。名は確か……『ユキナ』とか言ったな」
「巷じゃぁ『黒刃』だの、どこかじゃぁ『英雄』だなんて呼ばれてるらしいな」
相方の思惑を察したのだろう。理屈はさておき、バエルに便乗してワイスも言葉を重ねる。
根拠はなく、けれども爪や鉄腕よりも、勇者の様子を顧みて今は『これ』が最も効果的だとバエルは判断を下す。
「ああ、ワイスの右腕はその時に失ってな、今は魔法具製の義手だ。かく言う私も、同じく右腕を失いかけた」
「なんでそこまでバラす必要がある!? 良いよなお前は、腕そのものは無事で。俺は完全に切断されたからどうしようもなかったのに」
敗戦の状況をバイスに語られてワイスがイキリたつ。その反応が、語られた内容の信憑性を増す結果となった。
「また……ユキナか──」
無意識に聖剣の柄が軋むほど、レリクスの手が強張る。魔族を相手に責めあぐねている自覚を得るよりも強い憤りが胸中を渦巻いていた。
「腕をやられた直後に奴らの諍いが起こらねば、我々の命運はあの場で尽きていただろうな」
「思い返すとありゃぁ怖かったぜ。一緒にいた『蹂躙』ってやつも大概だったが、黒刃はマジでヤバかった。よく生きてたな俺ら」
苦戦の記憶を掘り返す魔族らであったが、その言の葉一つ一つが、レリクスの白焔に要らぬ火種を焚べる。勇者にとって心強い焔は、今は彼の身を焦がさんと激っていた。
「無駄話をしてるんじゃぁ──ねぇっっ!!」
「むっ?」
「っとぉ!?」
大きく吠え猛りながら、レリクスの横を駆け抜けたガーベルトが大剣で薙ぎ払う。魔族らは油断なく飛び退き刃の間合いから逃れる。
「クソッタレがぁ!」
「まったく無茶をする。が、今の『アレ』では致し方もありませんか」
見た目は豪快だが鋭さが皆無であるのは剣を振るったガーベルト当人が一番に自覚しており、悪態を零さずにはいられなかった。だがその原因は、シオンからの回復魔法で傷が完治する前に動いたせいだ。治療を途中で強引に打ち切った影響は非常に大きい。
けれども、あそこで魔族らの声を断ち切らなければ、マズイ事が起こるとガーベルトは確信していた。それは今この瞬間だけではなく、後々に良からぬ影響を及ぼしかねないと。シオンもガーベルトほどでは無いほど不穏を肌で感じ、無理には止めなかった。
ユーバレスとの件で『黒刃』の名前が出た時から兆候はあった。思い返せばそれよりもさらに前からも。具体的にどの何が危ないかは分からないが、怪我を推してでも動く時だと、傭兵として培われた歴戦の勘が告げていた。
「おいレリクス! お前もぼさっとしてんじゃねぇ! 戦いの最中に余計なことに気を取られるなんぞ、ド三流でもしねぇぞ!」
「す、すまないガーベルト」
ガーベルトに怒声をぶつけられ我に帰るレリクス。叱咤激励は一定の効果を及ぼしたのか、不安定だった白焔も元に戻る。しかし、ガーベルトの中にある形のない不安は未だ残っていた。
怪我は完治していないとはいえ、戦闘に十分耐えうるほどには回復できた。ガーベルトが戦線に復帰したことでまた状況が動く。
誰もがそう思った時、異変が生じる。
最初に気がついたのは、最も背後で状況を見守っていたシオンであった。
仄かに伝わる空間の揺れと、こぼれ落ちる石の欠片。
「上からなにか来ます!」
この場は峡谷の間に設置された遺跡の最奥部。轟音を立てながらその天井を砕かれ、出来上がった穴から見上げるほどの巨躯が降り立つ。
降り頻る破片から腕で顔を覆うが、それを除けた際に視界に映り込んだのは、厄獣の中でも最上位に位置する『竜』。その禍々しき威圧からすれば『邪竜』とも呼ばれる災害級の獣。
そしてその背中には、また新たな魔族が佇んでいた。
「帰りが遅いからと来てみれば、なるほどな。手間取るわけだ」
納得気味に頷く魔族に、レリクスは覚えがあった。
「お前は──王城で戦った!?」
「久方ぶりだな勇者。あの時は慌ただしかった故に改めて名乗っておこう。我が名はニルス。以後見知っておけ」
王国の貴族と内通し、王族他国の重鎮の皆殺しを図り、かつブレスティアの大混乱を目論んでいた魔族。だがその目論見は、王女の為に動いた『英雄』によって崩れ去り、レリクスの健闘によってニルスはあえなく撤退することとなった。
「万全の身である今であれば、この場で再戦するのもやぶさかではない。新たなる我が僕『ヴリトラ』の力を発揮する相手に不足は無し──と言いたいところだが、今はそれよりも優先すべき仕事がある」
と、ニルスが胡乱げに呟いた直後、バエルとワイスは跳躍し竜の背──ニルスの両隣にそれぞれ着地する。
「例のものは?」
「ここにある」
竜の主人に促され、バエルが懐から取り出したのは、一振りの短剣。鍔も無ければ装飾もなく、よもすれば木製の棒切れにも見えかねないが、幾重にも貼られた『札』の存在が異様な気配を醸し出している。
これこそがまさしく、勇者たちと魔族がこの場で激闘を繰り広げた最大の理由であった。
「うぉおっせいっ!」
不意にワイスが飛び出し義手の右腕を振るえば、バエルへと向けて飛来する巨大な氷解と衝突。マユリの放った強力な魔法であるが、ガラスの破砕に近しい音を響かせながら砕け散った。
衝撃の反動で飛び、再度ニルスの隣に着地したワイスは身にこびり付いた氷片を払い落とす
「っぶねぇな! 油断も隙もねぇ! お前も分かってんなら無防備に取り出すんじゃねぇよ!」
「お前が防ぐのは分かっていたからな。しかし、幼く見えても勇者の仲間か。侮って良い道理は無いな」
バエルの一言に、マユリの目から光が「すんっ」と消えたが、それはともかく。
「ああも無駄口を叩いてたのは、時間稼ぎだったってわけか」
「理由の一端であるのは認めよう。ただ、どうやら勇者殿は英雄に多少なりとも思うところがあるのは間違いなご様子だがな」
ガーベルトの悔しげな言葉を肯定するバエル。と、その間にワイスに小声で囁き相方の考えを伝え、竜の主人は鷹揚に頷きを返した。




