第二百四十四話 濁を飲む度量
「──ってなのが舞台裏でのお話ってわけよ」
ゲツヤのことが二の次三の次と繰り上げていたのは、リードが今語った魔族の件があったからだ。ぶっちゃけた話、治療を終えて落ち着いた頃に彼女からその話をされて、少しばかり気が遠くなりかけたのはここだけの話。
『相棒の抜け目のなさにゃ、本当に脱帽するばかりだ。帽子脱ぐ頭もねぇがな』
俺の心労を察してか、グラムがいつもの冗句を囁いた。
「…………………………」
と、話を聞き終えたゲツヤの肩がさらに縮こまっていたが、こればかりは仕方がなかった。
今のところ、ゲツヤへの擁護が見つからない。リードがいなかったら最悪の場合、ここに居合わせている人間の中で誰かが欠けていたかもしれないのだ。
「これまでは本当に、そうなる前にミカゲが最後の砦として控えててくれたのだが──まぁいいだろう」
もしかしたら、信頼できる人間という点もあるが、何よりも暴走気味なゲツヤの舵取りをする意味でもミカゲを必要としていたのかもしれない。ゲツヤとミカゲが揃ってこそ、ロウザの身辺が盤石となるのだ。
ともあれ、彼を責め立てるのは後でもできる。まずは先にある程度の話を固めておく必要があった。
「話を聞いた限りですが、擬態した魔族が語っていた依頼人というのは──」
「おそらくは兄上たちだろう」
アイナの見解を先回りしたのはロウザだ。
「『雑魚ども』のくだりは、キュネイ先生の診療所を襲った輩たちを指しているんだろうよ。口ぶりからして足並みが揃っていなかったようだが──結果的には幸いした」
「幸い」と嘯きながらも、どことなく嘆息混じりの声色だ。リードの口から『魔族』の単語を聞いた瞬間にわずかに驚きながらも、ロウザはどこか納得している風であった。もしかしたら。
「お前──最初から、どこかしらのタイミングで魔族が絡んでくるって分かってたのか?」
「……当たらずとも遠からず、といったところだ」
ほんの小さな躊躇いを経て、ロウザが言った。
「いつかは仕掛けてくるとは踏んでいたのは確か。しかし、兄上の膝下ではない異国の地で仕掛けてこようとは思うておらなんだよ」
「おいおいマジかよ。これってもしかしなくてもナリンキの野郎と同じ構図じゃねぇか?」
リードにも、ロウザたちから聞いた限りの事情はあらかた伝えてある。仄かに戦慄した声でぼやくも、俺も全く同じ心境だ。
俺たちがユーバレストで巻き込まれた騒動は、町を仕切る古参と新参マフィアの抗争。その新参マフィアを仕切っていたナリンキは、戦力として二人の魔族を抱えていた。
町のマフィアと一国の支配層とでは規模が違うが、構図そのものは似通っていた。
ただでさえキナ臭さが強かったのに、ここにきて輪を掛けて臭いが強くなる。
「サンモトにいた頃、一度だけだが魔族の襲撃を受けてな」
その時は完全な不意打ちというのもあり、最初に迎え撃った護衛の何人かが殺された。どれもが信のおけるもの達であり、また手練れと呼んで良い腕達者たちであった。最初に刃を交えるのが彼らではなく己であれば、己の身も危うかったとロウザは言った。
「その後に儂とゲツヤが二人がかりでどうにか倒したがな。生け捕りはどうあっても不可能だった。あの時ほど肝を冷やしたのは裏賭博の真剣勝負で、片腕を賭けた時以来だ」
真剣な空気の最中にツッコミづらい要素をぶち込んでくるんじゃねぇよ。
「安心しろ。一番に心底痺れたのはお前との勝負で更新された。あれほどの立ち合いは一生に何度も味わえるもんではないだろうさ」
「絶妙にツッコミづらいって、この空気で!」
非常に深刻な様相であるはずなのに、ロウザは笑う。けれどもその表情にはどことなく力が含まれていないこれは、ロウザなりに空気が重くなりすぎないようにとの配慮かもしれないとも思えた。護衛をただの『壁』と断じれるほど薄情な人間ではないと短い付き合いだが分かる。しかし、護衛が殺された事実を思い起こして気が滅入るのを避けているのか。
「魔族というのを、その時に初めて拝んだのだ。特徴はサンモトにも伝わってたからな」
額からツノが生えて血の色まで違うのだ。判別はすぐについたらしい。
「そこから儂なりに色々と調査をしようと動いたのだが、まるで手がかりも掴めんかった」
そうこうしている内に、保存していたはずの魔族の死体がいつの間にか保管場所から消え去っていた。これについて調べたところ、辿りに辿ればロウザの兄の息が掛かった可能性のある者の指示によるものだったと判明した。
「『可能性』止まりにするあたり、さすが兄上たちの手腕よ。儂の中ではほぼ確信に近いが、あくまで勘の領域。これ以上の追求すること不可能だった」
魔族の足跡にまつわる手掛かりも、ロウザの兄達が裏で手を回して隠滅していたと推測できる。こちらに関してもやはり直接繋がる要素は存在せず、どこまで行っても『仮定』の範疇だった。
「儂が魔族に襲われる前後で、兄上たちのそばに妙な輩が控えるようになってな」
と、ロウザが俺とリードにそれぞれ目配せをする。
『そこの下品な刃毀れがいう『妙な気配』を奴らから感じていた』
『誰が刃毀れだくらぁ! バキバキにへし折ったろか!!』
『なんでそういちいち煽るかね』
蒼錫杖が念話で語りかけてくるが、蛇腹剣が激情し、黒槍が冷静に諭す。念話が聞こえる持ち手たちは揃って顔を顰めた。
『死んだ魔族からも似たような気配を感じた故、おそらく彼奴等も姿を偽った魔族であろう。確かめる方法は正体を明かさせる他ないがな』
だが、ロウザの中では、兄陣営の中に魔族が入り込んでいることは確定した。
「──つまり、魔族がロウザさんのお兄さん達に取り入って、何かしらを企んでいると?」
トウガたちの話は聞こえていないだろうが、それより前にロウザが口にした話で、推測には十分だった。アイナの見解にロウザが頷く。
「兄上達の事だ。魔族が腹に何を抱えていようとも、諸々は織り込み済みの上で囲んでいるのだろう。未熟を晒すが、汚濁を飲み干す度量に関しては、あの二人の方が儂よりも明らかに上手だからな」
以前に、アイナが話したことがあった。
──清らかすぎる水には魚も住まない、と。
水とはつまり国であり、魚とは人を指している。
清廉潔白すぎる世界に人は住めない。どこかしらに歪みや過ち──つまりは『濁』があるのが自然であると。為政者とはつまりこの『濁』をいかにうまく飲み込むかであると。アイナはそう国王から教わったのだと。
『もっとも、汚濁を腹に抱え込みすぎてあまり良い噂も聞かないがな』
兄を認めるロウザに、珍しくトウガが苦言を付け加えた。主君が己を卑下するところをは見たくないといったところか。
「でも。お前も裏賭博やらなんやらで派手にやってるじゃねぇかよ」
「儂のは、真剣勝負には違いないが、所詮はお遊びよ。もっとも、親父殿はそうした兄上たちが儂の元について、『濁』を請け負うのを期待しているようだ。当人達にとってはあまり嬉しくない話だろうさ」
汚れ仕事を任されるようなものだ。気の良いものではないのは俺でもわかる。




