第二百四十三話 決闘騒ぎのその裏で
とりあえず、これで兄妹間の蟠りはなくなるだろう。ゲツヤの俺に対する敵意の正体もお兄ちゃん心故とわかった。肝心であったミカゲの行く末についても、ロウザとの決闘で俺が勝利したので元の鞘に収まった。ゲツヤの暴走については今はいいだろう。
これで一件落着──とは行かないのが世の常である。
「なぁ、黙りを決め込むのも飽きてきたし、そろそろいいか?」
おもむろに言葉を発したのはリードだ。実は俺たちと一緒にカランの執務室に入ってきたのだが、今の今まで空気を読んでずっと沈黙していたのである。ただ、流石に痺れが切れてきたらしい。
「そやつは──確か『蹂躙』とか言ったか。黒刃と負けず劣らずの猛者とも聞く」
「お、一国の王子様にそう言ってもらえるとは、俺も有名になったもんだ」
豊かな胸の下で腕を組み、ふんすと満更でない鼻息を鳴らすリード。
「『蹂躙のリード』がユキナ君の仲間になったとは私も話に聞いていたが……そういえば、先日の決闘では姿を見なかったな。その少し前に王都には来ていたとの情報は入っていたが」
「その辺については……ウチのダーリンがちょいとね」
カランの言葉を受けて、リードが俺に目を向ける。
頷きを返してから俺が口を開いた。
「リードには、決闘の最中に万が一が起こらないよう、遠間から見張るように頼んでたんだよ。……まぁ、結果的には賭けで盛り上がってた傭兵どもの中に紛れる形になったらしいけど」
ついでに、ちゃっかりロウザが影で胴元をやっていた賭博にも参加していたようで。俺の勝利ににがっつり注ぎ込んで、きっちり稼いでたらしい。
「どうやら、ユキナ君の心配は杞憂に終わったと言うわけか」
安堵の息を漏らすカラン。ロウザを付け狙う存在は彼も知るところであり、ロウザとの決闘からゲツヤの乱入まで、それらしき者は現れなかった。
確かにその通りではあるが。
「ところがどっこい、事はそうスンナリはいかねぇのよ」
「なに?」
──時は、ミカゲの一刀がゲツヤを斬り伏せたあたりまで遡る。
『二つの決闘』の見届けた一人の男が、つまらなそうに溜息を吐いた。
「なんだ、随分と残念そうだな。山ぁ外したかい?」
胡乱な目つきで広間の二人を見据える男の隣にいるのは、軽装のリードだ。普段の鎧は脱いでおり、さっぱりとした装いで場に溶け込んでいる。もっとも、目利きのいる人間であれば、彼女が『蹂躙』の異名を持つ二級傭兵だとすぐに見分けられたろうが、この場で騒ぎ立てるものはいなかった。
隣の女性に、男は僅かに横目を散らして肩を落とす。
「まぁそんなところだ。あわよくば、どちらか片一方がくたばってしまえばいいと思っていたが、どうもやるかたない」
「はっはっは。俺は大勝ちをさせてもらったがね、さすがは愛しのダーリンだ。ミカゲのやつもよくやる。格上に大金星を上げやがった」
「俺も潔く、そちらに賭けておけば良かった」
心底愉快げに笑うリードに対して、男はどこまでも暗かった。
一頻りに笑ってから、リードは改めて男に声を向ける。
「んで、どうするんだい? 奴さんらの主力は軒並み戦闘不だ。今なら何人かは殺れるんじゃねぇの?」
「……考えなくもないが、お前のような手練れがこうも身近に構えているとな。有象無象は血祭りに挙げられようが、本命に届かなければ意味がない。まったく、面倒な者に目をつけられたものだ」
「お褒めに預かり光栄だね。オタクらに褒められて喜んでいいかはちょいとわからねぇがな」
まるで酒の場で偶然に同じ席に座った者たちの軽い語らい。けれども、含まれているのは剣の応酬を彷彿させる鋭さ。互いに牽制を繰り出しながら、周囲にはおくびにも漏らさない。
「……なぜ分かった。この偽装は手練れの魔法使いでもよほどに近づかねば検知するのは至難の業のはずだ」
「ちょっとした裏技みたいなもんだ。前に似たような事があったんでな。タネは内緒だ」
「ユーバレスの騒動か。バエルとワイスめ、雑な仕事を」
男の正体は、人間に化けた魔族であった。語る通りその偽装は非常に高度な魔法が使用されており、並大抵の識別能力では看破不可能であった。
しかし残念ながら、リードが腰に帯びている蛇腹剣は並大抵の代物ではなかった。元々、生物の気配への索敵能力は飛び抜けている上に、ユーバレストで偽装した魔族に対する『違和感』を記憶していた。
具体的には不明でも『違和感』の存在が要注意人物である可能性が高いと、スレイの誘導に従って男の隣までやってきたというのが真相だ。実のところ、スレイも指示されたリードも、男の正体に確証はなく、確証はなく『ハッタリ』を投げかけて解を得た形だ。もっとも、そこまでご丁寧に教えてやる道理はなかった。
(これを見越してって訳じゃねぇが……さすがは俺のダーリンだな)
ユキナから、決闘の最中は遠目から見守るように言い付けられて不満を抱いたものだが、蓋を開けてみれば見事的中。話には聞いていたが、ユキナの『万が一を想定』というのにリードは感心させられていた。
観客に紛れて歩き回っていたからこそスレイが感知できたが、己がアイナたちと一緒にユキナを見守る位置で構えていたら、おそらく気がつくのはほとんど無理だっただろう。完全に不意打ちで魔族が飛び出してくれば、初動が遅れていたはずだ。となると、犠牲者が出た可能性は非常に高かった。
『ひゃっはっは。ああ見えて堅実主義らしいからなぁ。リードにゃぁちょうどいい制止役になるんじゃねぇの?』
(うるっせぇな。お前にだきゃぁ言われたくねっての。つか、ああだからこそ、いざって言う時の思い切りの良さがとんでもねぇんだろうけど)
念話で揶揄ってくるスレイに、リードは内心で煩わしく返す。
実際、ロウザとの決闘でユキナが腹を刺された時はさすがのリードも肝が冷えた。だが、アイナたちをみれば動揺すら一切せず、万感の信頼を向けていた。そしてユキナは見事にそれに答えて、劇的な逆転を見せた。この辺りは付き合いの長さを思い知らされる。
思い返しを打ち切ると、リードがさらに言葉を掛ける。
「お、わざわざ変装して来たのに、何もしないで帰るのかい?」
「そもそも、依頼主が他に雇った雑魚どもが先走ったせいで、俺の仕事がやりにくくなったんだ。その尻拭いで身を費やすほど、俺は自身を安く見積もってはいない。……とはいえ、依頼主への言い訳を考えるのはどうにも億劫だな」
ぐちぐちも文句を溢しながら、男は人混みに紛れて姿を消した。
『やるかい?』
「いんや。下手に藪を突いて蛇だの竜だのが出て来たら厄介だ。素直に帰ってくれるなら見送るさ」
交戦的なスレイを抑え込み、リードは男が消えていった方向をしばらく見据えるのであった。




