第二百四十話 忠義の形──決着
主君の為とは言え、血を分けた妹の腕を切ったことへの感情は、いかにゲツヤとて割り切れるものではなかった。妹がどれだけ剣に人生を捧げてきていたがを知るが故に、それを最も間近で見てきたが為に。
だが同時に、これでミカゲがあらゆる闘争から遠ざかると思えば──。
「いいえ、まだです」
気配と声に、ゲツヤは無防備にも振り返った。
目前には右腕の肘から先までを失ったミカゲが迫っていた。
「るあああああぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
「な────にぃ!?」
驚愕を抱きながらも即座に身構えるゲツヤであったが、その動きがわずかに鈍る。ミカゲが発する咆哮と、目に宿った鮮烈に輝く意志の圧に、ほんの一瞬ではあったが飲み込まれたのだ。
──斬ッ!
ミカゲが振るう『銀閃』。
左手によって抜き放たれた居合き斬りは、ゲツヤの身を裂いていた。
「が……ぁぁあっ……っ」
ゲツヤは斜めに刻まれた赤い一線を掻き抱くように抑え、二歩三歩とミカゲの側をすれ違い、やがては膝を折って崩れ落ちた。
「兄者がおっしゃっていたはずです。腕の一本は覚悟しろ──と」
「まさか……最初からこれを……狙っていたのか……っ」
地に伏したゲツヤの横で、隻腕となったミカゲが佇む。
ミカゲは理解していた。ロウザが破れた際、憤りの末にユキナを殺そうとゲツヤが剣を抜くであろうと。同時に、今の己ではゲツヤの技量にはまだ及ばない。主君を守るために、怒り狂う兄を真正面から倒すのは不可能であると。
だから、ユキナと同じく、ミカゲも一計を講じたのである。
らしくもない挑発をミカゲが口にし、死に物狂いで兄の剣技に食いついていたのは、ゲツヤに本気を出させ、その上でシラハ剣術の中で最速を誇る居合いの『撃ち合い』に状況を運ぶために。交錯の末に腕を断ち切られるのは、織り込み済みであったのだ。
「それと、申し訳ありませんが、兄者の甘さに付け込ませていただきました」
ゲツヤにその気になれば、居合いのすれ違い様に、ミカゲの身体を両断するのも難しくなかったはず。それをあえて腕を断つに止めたのは、やはり彼の中に妹への情が残っていたからに他ならない。
そうして、ミカゲの利き腕を断ち切り、勝利を確信したゲツヤが気を緩めるであろうこの瞬間を狙ったのだ。
二本目の刀は、ユキナが懇意にしている鍛冶師の店で手に入れたもの。左の腰ではなく右に帯びていたのは、利き腕を断たれた後に、残された左腕で抜刀するため。利き腕であろうとも、体幹を左右均等に鍛えるため、普段から左の腕でも居合いの鍛錬は行なっていた。
策を成す下地は、十分に整えられていたのである。
激情を力に変ずるのがシラハの剣であるのなら、ミカゲはこの最後の一太刀に胸中に燃え盛る激情の全てを乗せた。それがゲツヤの気迫を飲み込み、動きを鈍らせたのだ。
ミカゲは刀を手放し衣服を引きちぎって即席の包帯を作ると、血が溢れ出す右腕の断面を左手と口を使って縛り上げ止血を施す。
「兄者。私はもはや、主君のために身を捨てる覚悟は持ち合わせておりません」
腕を失った激痛で表情を歪めながらも、ミカゲは言葉を紡ぐ。
「……なら、その腕はなんなのだ。剣士の命を捨ててまで主君に尽くす、覚悟に他ならない」
「違います。私にあるのは、愛する人の行く末に添い遂げる決意です」
「──!?」
忠義を捧げた主君に支える資格があるのかどうか、ミカゲは惑った。ユキナの隣にいたと思っていたのに、いつしか追い抜かれ先を進む彼と一緒にいて良いのかと。
「なんと愚かな迷いだ。そんなの、考えるまでもないというのに」
資格の有無など、最初からありはしないのだ。
必要なのは、共にありたいと言う意志だけ。この身がどうなろうとも、主の隣に最後まで立つという決意。剣の道と同じだ。そうあれかしと、己が望む強さを求め、ただひたすらに鍛え続けるしかない。
「きっと、ユキナ様は腕を失った私をも変わらず愛してくださる。であれば、私は残った左手を使って、彼の方の隣に立ちお仕えするまでです」
「……もしかすれば、それは命を賭すよりも過酷な道だぞ」
身を捨てて守り通すのではなく、果てなき道を共に歩き続ける。一瞬に全て燃やすのではなく、燃やし続けるために意志を貫き通す。どちらがより険しい道のりかは問うまでもない。
「だとしても、私は私の忠義を貫くまでです。……とはいえ、私はまだ剣の道も捨てるつもりはありませんが」
「なんだと?」
「私の仲間には、超一流の医者がいまして。腕達者の兄者が綺麗に断ち切ってくれたおかげで、おそらくは問題なく繋がるでしょう。傷が完全に言えるまでは、左での剣を磨くのも悪くはありませんしね」
悲壮感のまるでない、ハッタリすら含まれないミカゲの前向きさに、とうとうゲツヤは忍び笑いを殺しきれなくなっていた。
「くくく、なるほど。それまで織り込み済みであったか。あの剣だけしか頭になかった娘が、また随分と強かになったものだ」
「主の影響でしょうね。褒め言葉として受け取っておきましょう。それと、ギリギリですが急所は外しておきました。今すぐに応急処置を施せば兄者も助かるはずです」
体を斬られながらも、いまだにゲツヤが意識を保ち言葉を紡げているのがその証拠だ。
傭兵の仕事の中には人死をなるべく抑えるようにとの依頼を出す者もいた。そうした仕事の経験を重ねるうちに、相手を行動不能に追いやりながら命を繋げる人の斬り方をミカゲは習得していた。これもまた、サンモトを出たことで得た技術の一つであった。
「……一つだけ、訂正しておこう」
「──?」
「最後の居合いを放つ瞬間、私はお前が妹である事実を完全に忘れていた」
ミカゲは小さく息を呑む中、ゲツヤは痛みに顔を引き攣らせながら、笑みを浮かべる。
「正真正銘、殺す気で剣を振るった。腕の一本で凌ぎ切ったのは間違いなく、お前の実力だ。そして、そこまで俺を追い込んだ妹の成長を、今は悔しくも誇らしく思う。これは俺の未熟であり、お前の覚悟が掴んだ結末だ」
「兄者……」
「ミカゲよ。お前の忠義の形、この目と身でしかと見定めた。私は私の忠義を貫く。お前もお前の忠義を貫くがいい」




