第二百三十九話 激情の剣
ミカゲの持つ『銀閃』の二つ名は、目にも止まらぬ速度で振るわれる刀身が残した『銀の煌めき』からから取られたものだ。そして今、ミカゲとその兄ゲツヤの間では幾多数多の『銀閃』が放たれ、交錯していた。
ユキナとロウザの決闘にあった派手さはない。二級傭兵の本気の剣と、それと同等以上の実力を有した剣士の立ち合い。卓越した剣士同士の織りなす剣戟の嵐に、集った傭兵たちは揃って息を呑んでいた。
「随分と未練がましい男だな。死地に向かう配下の行く末を心配するとは情けない奴だ」
「その未練がましい男に負けたあなたの主君は、もっと情けないではありませんか」
「我が妹とて、その侮辱は聞き逃せんな!」
剣筋が入り乱れる中で一際に強く踏み出すゲツヤ。見舞われる斬撃を難なく防ぐミカゲであったが、前進の圧も加わった刃に堪えきれず、靴底で地を削りながら後ずさると、「けほっ」と体に残った衝撃を咳と共に逃した。
「売り言葉に買い言葉を返しただけにすぎませんよ。相変わらず兄者は頭に血が昇りやすいですね」
「挑発のつもりか! であれば愚策もいいところだぞ!」
ゲツヤは落ち着きを取り戻すどころかさらに怒気を高めると、一手前よりも更に鋭く速い斬撃をミカゲに放った。
「お前も知っているはずだ! 私はこうなってからの方が強いとな!」
その言葉に偽りはなかった。
ゲツヤは冷静沈着を装っているが、一皮剥けば荒ぶる激情を宿している。普段はどうにか取り繕っているが、内心には燃え盛る血潮が激っており、真剣の果し合いともなればそれが容易く溢れ出し吹き出す。
恐るべきは、そうして露わになった感情に流されるのではなく、怒りを剣筋に宿して放つ胆力。非常に高い水準で欠かさず続けている精神鍛錬の賜物である。
卓越した剣術はそのままに、感情の発露で圧が増す。平時の落ち着いた物腰は、有事における感情の爆発をより顕著に発揮するため。
──シラハ流剣術の極意は、怒りを抑え込むのではなく、手綱を握り矛先を操る事にある。
ゲツヤはまさしくその体現者であった。
再会してからのゲツヤが剣を振るっている間に怒りを発していなかったのは、それに足る相手がいなかったからに他ならない。
そして今、激情を剣に乗せた兄の本気を目前にし、ミカゲは場違いながらも少しだけ嬉しく思っていた。
故郷にいた頃の自分ではついぞ引き出すことができず、立ち合いを遠目で見ることしかできなかった。仮に兄の本気を前にしたところで、技量云々の前に気迫で心を潰されて一分も立っていられなかったはずだ。
己は成長できている。単に剣の技量だけに限らない。ユキナたちと出会ってからの日々は、確実にミカゲの心身の成長を促し、一振りの剣としても鍛え上げていたのだ。
──だが、成長していたのはミカゲだけに限った話ではない。
荒々しくも精錬された兄の一閃が掠め、ミカゲの頬に紅の筋が生じる。
「──ッ!?」
「お前の成長は認めよう。しかし、それは俺とて同じだ。容易く越えられると勘違いしてくれるな!」
実戦は鍛錬の数倍から数十倍もの経験に勝ると呼ばれている。十年の月日を鍛錬に費やした者を、一年間戦場で戦い続けたものが上回ると言うこともザラにある。
ミカゲはサンモトを出奔してから傭兵として活動を続け、ユキナと出会ってからはそれまで以上の修羅場を潜り抜けている。しかし、サンモトから一歩も出ていなかったはずのゲツヤは、ミカゲに勝るとも劣らぬ成長を遂げていた。
つまり、それ相応の激戦を潜り抜けてきたに他ならない。
成長度合いだけを評すれば、ミカゲの方が上回っている。それでもなお、彼女の剣はゲツヤの剣を上回るには至っていなかった。
(その兄者が側に居ながら、サンモトでのロウザ様の立場は危ういということか)
ガギンッ!
「くぅっ!」
力の受け流しが甘く、殺しきれなかった威力が刀越しに伝わり、ミカゲの体が弾き飛ばされる。即座に身を翻して受け身を取って立ち上がると、少しだけ息を切らせながら改めてゲツヤに剣先を向ける。。
その様に、ゲツヤが眼を細めた、
「変わったなミカゲ。技量は高まったが、以前のお前であれば、ここで更に踏み込んでいたはずだ。剣の腕は間違いなく上がったが、代わりに死中に活を見出す気概は失せたか」
妹の成長を喜ぶ言葉の直後には、失望の念を含んだ台詞がこぼれ出す。
「お前が黒刃に懸想を抱いているようだが、剣を振るう者にとって、それは致命的だぞ。特に女の身であればな。傷を避ける剣士など、まさしく恐るるに足らん」
「どうとでもおっしゃってください」
再び激しい剣戟が繰り広げられるが、その旗色は僅かずつであったが変わりつつあった。
「今のお前は剣士としてはあまりにも中途半端! 女であることを選んだお前が、一振りの剣である私に叶うが道理があるか!」
激情と冷徹を宿した斬撃を前に、ミカゲが負う傷が少しずつではあるが増えてきていた。ゲツヤが成長したミカゲの動きを見切り、適応してきたことの証左だ。
「私は──ッ」
「それでもなお、我が前に立ち塞がると言うのであればっ」
ゲツヤは大きく飛び退くと、刀を鞘に納め深く腰を下ろした。
「その未練と未熟を我が刃で断ち切ってくれよう!」
「……望むところです」
ミカゲも納刀し、兄と全く同じ態勢をとる。
二人が同時に踏み込めば、解き放たれるのは超速の抜刀。人の知覚の限界に近しい居合いが重なり合った。
瞬きの間に両者はすれ違い、場所を入れ替えて静止する。
時すら凍りつきそうな緊張感の後──地に落ちたのは刀を握った腕であった。
「残念だ」
刀にこびり着いた血糊を振り払い、息を漏らしながら刀を収めるゲツヤ。当然であるがその右腕は胴体と繋がっており、となれば必然的に断ち切られた腕の持ち主はミカゲであった。




