第二百三十七話 綱渡の先に
『非常に腹立たしいことではあるが……貴様の勝ちだ、黒刃』
腹に突き刺さった仕込み刀からの念話に、膝から力が抜けてその場にへたり込んでしまう。
「────って、いっででででででっっっ!?」
戦闘の興奮が少しばかり冷めてしまったせいか、改めて腹を貫かれていた事実を思い出し、痛みがぶり返してくる。
『……ロウザ様のお心遣いに感謝することだ。貴様らの読み通り、大事な臓器を避けた絶妙な位置を貫いている。その状態で下手に動いたり、仕込み刀を抜けば命の保障はできんがな』
「そりゃご丁寧にどうも……けほっ」
軽く言葉を紡ぐと、込み上げてきた口から血を吐き出した。
傍目から見れば、腹を貫かれたままへたり込んでいる姿は物騒か滑稽か判断に困りそうだな。急所を避けて刺さっているとはいえ重傷には違いない。これもトウガの忠告通り、動き回れば他の臓器にも傷が及び、抜けば一気に出血が起こる。
今の俺にできることは、大急ぎで駆けてくるキュネイの到着を待つだけだ。
「まったくもう!! ここまでやるとは聞いてないわよ!?」
「言ったらさすがに止めただろ?」
「当たり前でしょ!!」
怒り心頭になりながらも、キュネイはテキパキと処置の準備を進める。
実はキュネイには、ロウザにワザと腹を刺させる辺りの旨はボカして伝えていたのである。医者である彼女とっては半ば自殺行為に近い手立ては受け入れ難いと分かっていたからだ。当然、策が身を結んでからこってり怒られるまでも想定内であった。
「──いいわ。ミカゲ、お願い」
「承知」
キュネイと一緒に来たミカゲが、俺の肩に手を添えながら腹に刺さっている仕込み刀を掴む。
「ユキナ様」
「ああ、やってくれ」
「では……失礼します」
──ズリュンッ。
「ンギッ!」
刃が腹の内側を滑る感触に痛みがぶり返し、自分でも情けない声が漏れた。キュネイが自身ではなくミカゲに刀を引き抜かせたのは、その際に余計に傷口が開かないよう、技量のある彼女に任せたからだ。
栓を失い血が大きく噴き出すよりも早く、キュネイが傷に手を添えて回復魔法を施す。
徐々に傷口が塞がっていく最中、ミカゲは仕込み刀に付着した俺の血糊を、取り出した布で拭き取り、恭しい手つきで鞘に収めるとロウザの傍らに添える。
しばらくすると、傷口は表面上は塞がり出血も完全に止まった。服が血塗れでなければ、刀が刺さっていたとは思えない治り具合。さすがの技量である。
「……これで良いわ。大事な臓器は傷ついていないから、数日安静にすれば大丈夫。でも、それ以外もかなりの無茶したでしょ? 少なくとも今日一日は満足に動けないわよ」
キュネイのおかげで出血は最低限に収まったが、それ以上に全身が軋みを上げていた。
腹を刺される前にロウザが俺を閉じ込めた氷結の檻。あれを強引に脱出したわけだが、それこそ『大魔刃』を振るう時の馬鹿力が必要になる程だ。限界以上の力を瞬間的に発揮したおかげで筋肉や関節が悲鳴を上げており、腹の傷よりもこちらの方が俺的には深刻だ。
「帰ったらお説教だからね」
「……ところでアイナは?」
いつになく怒りを滲ませているキュネイの視線から逃れるように、俺は辺りを見渡す。駆け寄ってきたのはキュネイとミカゲだけで、アイナの姿がどこにもない。
「馬車の手配と、ユキナ君を運ぶ人手を集めてもらっているわ。勝手に集まって勝手に盛り上がっているんだもの。そのぐらいはしてもらわなくちゃ」
なるほど。人の扱いに長けている彼女なら適任か。
『今回はいつになく綱渡りだったなぁ。肝が冷えっぱなしだぜ。肝ねぇけど』
そばに転がっているグラムに、念話で言葉を返すのも億劫であったが、内容そのものには同意しかなかった。
特に氷結の檻に囚われてから以降は、どこか一手でも仕損じていたら負けていたのは俺だったはずだ。氷結を粉砕して脱出したあと、ロウザが切り札を使わずに消耗線に持ち込まれていたら、先に俺が力尽きていた。また、ロウザが俺を殺す気であれば、切り札を使われた時点でやはり俺の負けが確定していた。
ロウザの技量があれば、急所を外しつつ腹を刺す事も可能だと踏んでいたが、あくまでも推測の範囲は出なかった。
トウガの言葉通り、ロウザの甘さに漬け込む形であり、少しばかりの後味の悪さがあった。ただ、その苦味を飲み込んでもやはり、ミカゲを手放すなんて選択肢はなかった。
ともあれ、これでどうにか──。
『あ、これやっべぇな』
寸前のどこか気の抜けた様子が失せ、淡々としながら緊迫感を発するグラム。直後に、こちらに向かってくる、荒々しく地面を踏む音が近づいてきた。
ゲツヤが凄まじい形相でこちらを見据えて近づいてきていた。その目は一点に俺へと注がれており、顔だけではなく全身から空気が揺らめいて見えるほどの憤怒が溢れ出していた。
「キュネイ、俺は良いからちょっと離れてろ」
「……できるわけないでしょ」
キュネイもゲツヤのただならぬ様子に気がつき、息を呑みながらも俺を庇うように抱き寄せる。怒りを通り越した『殺気』を当てられながらも、体に力が入らない。
しかし──残り数歩で目前に迫るところで、ゲツヤの目の前にミカゲが立ち塞がった。




