第二百二十話 兄妹の語らい
店内酒場でユキナとロウザが並んで座っているのを、遠目から見守るミカゲ。
当初はどうなることかと思っていたが、蓋を開けてみれば杞憂であったようだ。
ロウザが気さくな性格というのもあるだろうが、あるいはこれもユキナの人徳なのかもしれない。
空気を読まずに破天荒な面はあるが、つまりは常識に囚われずに固まった偏見を持っていないことにも近いものがある。相手側に悪意が含まれていなければ、大概のものと親しくなり縁を作ってきているのだ。もっとも、破天荒という点についてはロウザも大概である。その辺りもまた、ウマが合う一因なのかもしれない。
少なくともこの時点で致命的な仲違いが起こることは無いだろう。
問題はこちらだ。
ミカゲが護衛としてユキナを見守っているのと同じくして、すぐ側ではゲツヤもロウザを護衛として見据えている。意図したものではなく、全体を俯瞰しつつも過不足なく護衛対象を視野に収められる位置の判断が、両者共に同じであっただけなのである。
二人とも、幼い頃から父親から剣術を学ぶ傍らでエガワ家の人間を守る上での護衛術の指導も受けきたのだ。こうして同じ場所に陣取るのは自然な流れでもあった。
この国では珍しい獣人の、しかも見目麗しい男女の組み合わせ。服装もこの辺りでは見慣れぬものではなく、シラハ兄妹は周りからの注目を少なからず集めていた。おそらくこの中の幾人かは片割れが二級傭兵であると気がついており、尚更にもう一人の男性に興味を抱いたりもしていた。
もっとも、視線を集めている事に多少の自覚があれど、ミカゲにとっては些事以下である。不審な動きや気配が無いかは引き続き警戒しつつも、ゲツヤと同じ空間にいることに一抹の気不味さを感じていた。
と、そうしていると不意に、ゲツヤが溜息を漏らした。
「俺が近くにいる程度で集中しきれないとはな。少しは成長したかと思っていたが、まだまだ甘いなお前は」
まさしく図星を突かれて、ミカゲは「うっ」と声を漏らしてしまう。
しまった──と思った時点でもはや遅い。チラリと兄に目を向ければ、呆れ果てた顔つきである。「これで動揺するとはやはり未熟」と視線からありありと読み取れた。
小さく咳払いをし、気を取り直してからミカゲも口を開く。
「護衛の最中に説教は止めてほしいですね」
「この場にいる者たちであれば、さほど危険はない。仮に我ら以外の全員が武器を持って襲いかかってきても、私一人で対処できる。無論、ロウザ様ご自身でも容易かろう」
さらりと述べる自信過剰とも取れるゲツヤの発言。けれどもこれは誇張ではなく、歴然とした事実なのであろう。故に、世間話をする余裕もあるということだ。
「勇者の仲間になると勇んで家を飛び出したと思えば、まさかあのようなどこぞの馬骨とも知れぬ男に尻尾を振っているとは。知らせを聞いた私がどれほど落胆したか分かるか?」
誰がどう聞いても分かるほどの侮蔑に、ミカゲはムッと眉を顰めた。
「兄者といえど口が過ぎます。私の未熟を誹るのであれば、甘んじて受け入れましょう。ですが、我が主を侮辱するのは止めていただきたい」
普段のミカゲであれば、ここまで言われた時点で剣を抜いていた。手元に得物が無かろうとも、拳を振り翳していたであろう。主への侮辱は、それほどまでに彼女にとっての逆鱗であった。
それができないのは、単に兄の実力を知るが故に。考えなしに手を出せば容易く返り討ちに合うのが目に見えていたからだ。
「意外だな。以前のお前であれば、このくらい挑発をすれば私相手にも問答無用で掴みかかって来ただろうに」
「私も成長したという事です。サンモトを出てから、私もそれなりに場数は踏んでいるのですから、あまり侮らないで頂きたい」
「精神面ではともかく、剣の腕については侮ってなどいない」
前半分はともかく、後半のセリフについては驚いた。
「先日の一戦も、不意打ちではなく正面から始まっていればもう少し結果は違っただろう。実家を飛び出してからも鍛錬を怠らなかったというのは認めざるを得ないな」
言外に、ミカゲの成長を認めるゲツヤの口ぶりは、故郷に居た頃では考えられないものであった。少なくとも出奔する以前で、ミカゲはロウザの口から己の剣を褒めるような言葉はほとんど聞いたことがなかったのだ。
「だからこそ、理解ができん。昔からお前は頑固ではあったが愚かではなかったはずだ。たかだか傭兵の一人に入れ込むのが不思議で仕方がない」
「……兄者の気持ち、分からなくはありません」
「む?」
思っても見なかった返しに、ゲツヤが小さく反応を示す。
ミカゲの中にあった先ほどまでの気まずさは、多少なりとも和らいでいた。なんのかんのと理屈を連ねても、結局のところは久々に会った肉親に対して、緊張していただけなのだろう。
「以前の──サンモトにいた頃の私が今の私を見たら、さぞや驚くでしょうね。勇者の仲間となる──その初志貫徹を通すには確かに至りませんでしたが、私は己の選択を後悔はしていませんよ」
迷いの渦中にあったとしても、これだけは確実に断言できた。
酒場の席でロウザと言葉を交わしているユキナ。彼の姿を視界に収めれば、胸の奥にはほのかな温もりが広がる。
「兄者には理解できないかもしれませんが──私はユキナ様が勇者に勝るとも劣らぬ『英雄』になられるお方。我が忠誠を捧げるに相応しいと信じています」
この温かさを、過去の自分は知らない。ユキナに出会わなければ決して抱けなかったものだ。これが間違いであるはずがなかった。
ユキナを見据えるミカゲの横顔は、まさしく愛しさを内包した微笑みであった。
──それを見たゲツヤは、より一層に険しく鋭い眼差しをユキナに向けていた。
「この際だからはっきり言っておこう。ロウザ様がわざわざアークスにやって来た理由はミカゲ、お前をサンモトに連れ戻すためだ」
「やはりそうでしたか。ということは、ロウザ様との婚約関係も解消されていないのですね」
「武家同士──しかも片割れは将軍家だ。そう簡単に『無かったこと』にはできん」
兄の口からはっきりと告げられて、ミカゲは額に手を当てて肩を落とす。
ミカゲ自身、許婚の件については強く否定していたが、ロウザが目の前に現れた時点で『もしかしたら』という予感はあった。出来ることなら外れて欲しかったが。
「だが、素直に帰るつもりは──無いのだろう?」
「将軍家──エガワ家への恩義はありますが、私の忠誠はすでにユキナ様に捧げております。はいそうですかと応じるつもりは毛頭ありませんよ」
「それとも」と、ミカゲはゲツヤを見返す。
「ここでユキナ様も私も叩き伏せて、力づくで連れ戻しますか?」
「……それを決められるのはロウザ様だ。私が判断するところではない」
言葉を剣のように突きつけ合う二人が揃って視線を向ければ、ユキナとロウザは先ほどよりも意気投合している風であった。一方的にロウザが盛り上がっている様にも見えるが、ユキナの方も嫌がってはおらずまんざらでは無さそうであった。




