第二百十九話 盤上返し
やはりただの道楽息子ではないらしい。思い返せば、ミカゲがロウザについて話す時は、口ぶりに悪感情を乗せることは一度もなかった。色々と手を焼く相手には違いなくとも、ただそれだけの男ではないようだ。
「ところで黒刃の。儂からも一つ聞きたい」
「ん、なんだよ」
酒を一口飲もうとする俺に、ロウザが問いかけた。
「ミカゲとはどこまで行ったのだ?」
何気なくであり極めて簡潔、けれども俺が杯を傾けたまま硬直するには十分すぎる一言であった。
「気の置けない仲とはいえ、若い男と女が一つ屋根の下で暮らしているとくれば、勘繰ってしまうのは仕方がないだろうに。とはいえ、まかさあのミカゲに限って恋人が一人も二人もいる男に現を抜かすとは考えにくい」
背筋に汗を流している俺に、ロウザはニヤニヤ実にいやらしい笑みを浮かべながら語りかけてくる。明らかに、諸々を確信している反応だ。
「どうした。酒が止まっているぞ。もう酔ったのか?」
油断していた。
ついさっき、改めて認識したばかりだろう。
こいつはただの道楽息子ではない。
王様から直々に跡継ぎを命じられるほどの男なのだ。
今の問いかけも、こちらの気が緩んだ瞬間を見計らってなのだと、ようやく思い至った。おかげで嫌というほど分かりやすい反応を見せてしまった。
「お前……性格悪いって言われないか?」
「面と向かって言われるのは、肉親以外では初めてだな。案外、悪くないものだ」
ロウザはどこまでも楽しげだ。こういう時、グラムが側にいないと相談も出来ないので困る。この男を相手に口で勝てる気がまるでしない。
可能であれば最後まで伏せておいてなぁなぁに済ませたかったが、相手から切り出されては観念するしかない。腹を括る意味で杯の中身を飲み干す。
「お察しの通りだよ」
「はっはっはっはっは! やはりそうか!」
「え?」と首を傾げる俺をよそに、ロウザは腹を抱えて大笑いしていた。
「まさかあのミカゲを落とす男が存在していたとはなぁ! この国に来て一番に痛快な話だ! わっはっはっはっは!」
想定していた反応とはまるで違って、俺は困惑する。元が付くとはいえ、結婚を約束した相手に男ができたのだ。こうも笑い飛ばされるのは予想外すぎる。
「いやぁ笑った笑った。ここまで派手に笑ったのはいつぶりだろう」
ロウザは一頻りに笑った後、拍子に目尻に滲んだ涙を拭った。
「知っての通りミカゲはあの顔と容姿だ。昔から言い寄る者もおったが、文字通りバッサリと斬り捨ておったよ。木刀でだがな。にしても、色恋沙汰よりも剣を握る方を優先しておった女がなぁ」
しみじみと呟くにロウザは、俺の反応に眉を顰めた。
「お? その様子だと、儂が怒りくるとでも思うておったか?」
「だってお前……一応は元婚約者だろ?」
「これでも将軍家──王家の血族であるからな。その辺りは一般人とは異なっている自覚はある。かくいう我が親父殿も幾人も娶っておるし、中には未亡人もいるしな。それについて怒りを抱く要因にはならんよ」
あっけらかんと答えるロウザに、俺は力が抜けてガクリと肩を落とした。
ロウザを診療所に連れて行った時から色々と気を揉んでいたというのに。あれやこれやが徒労に終わったように感じられてあまりにも肩透かしだ。
故に、
「だが、それだけに心苦しい。想い合う二人を引き離さなければならないとはな」
「──ッ」
次に告げられた言葉が重苦しく届いた。声色は変わらず調子も変えず、けれどもロウザの明るい気配が霧散し、張り詰めたように感じられた。
思わず息を呑んだ俺に、ロウザは杯の酒に映り込む自身の顔を覗き込みながら言った。
「儂らがアークスにやってきた目的は、ミカゲをサンモトに連れ戻すためよ」
「……そんなことだろうと思ってたよ」
「察していたのはお互い様、というわけだ」
むしろ、それ以外の理由を探すのは難しいだろう。
「ミカゲは儂との婚約が解消されていると思っているようだが、それは間違いだ。儂とミカゲの婚約は今も健在よ」
「本人はそいつが嫌だからサンモトを出たんだろうが」
「サンモトを統一し、情勢も落ち着いている今、両家の関係をより強固にするための婚姻だ。この話自体、儂らが幼少のみぎりよりエガワ家とシラハ家の間で交わされていたのだ。当事者の片割れが家を飛び出したとて、簡単になかったことにはならんということよ」
貴族同士での婚姻というのは、当人だけの意思だけでは済まされない。両家の実利が絡んだ取引である──どこの国、文化であろうともその辺りは変わりないというわけだ。
「……お前自身はどうなんだよ。さっきは俺とミカゲのことで笑ってたが」
「あれも本心ではあるが──」
言葉を途中で区切ると、ロウザは顎に手を当てて急に思案を始める。
少ししてポンと手を叩くと、相変わらずの胡散臭い笑みをこちらを向いた。
「なぁ黒刃よ。一つ賭けをしないか」
「唐突だな。……あいにくと、ここで遊べるほどに俺は稼いでねぇよ」
「心配をするな。賭けるのは金ではない。──ミカゲだ」
ざわりと、肌が騒つく。
今日中に渦巻く感情は恐れか──あるいは怒りか。
「せっかく賭場に来ているのだ。種目はなんでも良い。最終的に勝った方が総取りだ。お前が勝てば今のまま。儂が勝てばミカゲを連れてサンモトに帰る」
「冗談じゃない。絶対にお断りだね。女を賭けるなんぞ御免だ」
考える余地もなく、俺は即座に答えた。
俺の返答に、ロウザは失望を滲ませたため息を漏らす。
「なんだ、黒刃と呼ばれる男にしては腰が抜けておる。惚れた女を賭けた大博打。これでも燃えない男はいないと思ってたがな」
「それで燃えるのはお前だけだ。よく誤解されるが、俺は元々用心深いし臆病なんだよ」
傭兵としての階級が上がっても、仕事に赴く前の準備は欠かしたことはないし、装備の点検も入念に行なっている。回復魔法についてもキュネイから指導を今も受けているし、ミカゲとの鍛錬も継続している。己が得たものを失うのが恐ろしいからだ。
「自分のやらかしで財布が空になるなら、文句はあっても諦めはつくさ。けど、ミカゲについちゃ絶対に無理だ。死んだって諦めが付くかよ。運否天賦になんか任せてられるか」
情けない話だが、紛れもない本心でもある。惚れた女を大事にしたい気持ちと同じかそれ以上に、失うことへの恐怖がある。彼女たちはすでに俺の一部なのだから
「ならば、どうしても賭けを避けられない状況が来たらどうするのだ」
「もしそうなったら……」
ロウザの改めての問いに、俺は少し考えてから率直な気持ちを口にする。
「賭けを盤上ごと、ぶっ壊すしかねぇだろ」
俺の答えに、ロウザはしばし唖然となる。
が、すぐに心底可笑しそうに腹を抱えて笑った。相変わらず情緒の読めない反応に、
「はっはっはっはっは!! なるほどそうきたか! 賭けそのものをひっくり返すとは、実に痛快だ!」
あるいは、俺とミカゲの関係を吐露した時以上に派手に笑いこげている。あまりに笑い声が大き過ぎて、周囲の目が気になるほどである。
息を切らせるほどに笑った後、ロウザは杯をテーブルに置くと、膝に手を当ててこちらに頭を下げた。
「いや、先ほど腰抜け呼びしたのは失言であった、申し訳ない。なるほど、ミカゲだけではなくキュネイ殿やアイナ嬢までが惚れ込むのも納得よ」
「そう畏れると逆に怖いんだが」
「失礼な。これでも真面目に言っておるというのに。……お前は益荒男の類よ。サンモトの人間であれば、是非とも引き入れたいところだ」
そこで、ロウザはまたも妙案とばかりに手をポンと叩く。
「おおそうだ。お前もサンモトにくれば良い」
「はぁ!?」
「無論、キュネイ殿やアイナ嬢と一緒で構わんぞ。そうなれば、ミカゲと離れ離れにならずに済んで万々歳ではないか?」
「それだと結局、ミカゲがお前の嫁になっちまうだろっ」
「確かにっ。……うぅぅむ、ままならぬものよ」




