第二百十六話 ウサギさんがいました
何を隠そう、ロウザは大の賭け事好きであり、昔から夜に城を抜け出しては城下の賭場に足を運んで騒ぎまくっていたとのこと。ミカゲとゲツヤもそれに付き合って夜半に連れ回されたらしい。で、お殿様に揃って叱られるというのが決まっての流れだったとか。
「初手で賭場って、どんだけ好きなんだよ」
しかもこの店は、表の入り口を守っていた男が口にした通りに一見さんはお断り。会員証を持っている者や、それらの同伴のみが入店を許される高級賭場だ。客の大半はどこぞの貴族や大商人。あるいは羽振の良い傭兵である。
キュネイが先ほど胸から出していたカードがまさしく会員証だ。以前の上客と一緒に訪れた際にもらったのだ。随分と久々らしいが、問題なく使えて何よりだ。
アイナを連れてこなかったのは、お偉方の中にアイナの顔を知っている者がいた場合に備えてだ。この店を訪れる貴族の中には、城へ出入りするものもいるらしい。その辺りを理由にあれこれ絡まれては面倒だからである。
店の中には酒を提供する酒場も併設しており、いかにも高そうな酒瓶が棚に陳列している。スーツを纏った男の従業員の他には、妙に露出の高い衣服となぜか頭の上にウサギの耳を模した飾りをつけた美女たちが、グラスを乗せた盆を片手に店内を歩いている。メインは遊戯だが、
──是非ともアイナに着てほしいなと思ったのはここだけの話である。
「いま、アイナちゃんにもあの衣装を着て欲しいって思ったでしょ」
「当然のように心の中を読むのはやめてくれねぇかな」
いつの間にか寄っていたキュネイが耳元で囁いてきた。
ふと、賭場側と思わしき人間が近づいてくる。店内を行き交う他の授業員と比べて、どことなく身なりが良い。
「このお店の現場責任者よ。支配人の次に偉い人。気をつけてね」
キュネイの小声に頷きを返し──何か妙なことを呟かれた気がした。問い返すよりも前に、男は俺たちの前まで来ると、恭しく一礼した。
「これはキュネイ様。お久しぶりでございます」
「私のこと、覚えていてくれたのね。前に来てから結構経ってるのに」
「キュネイ様のお美しさは、一度目にすれば忘れようもございませんとも。ただ──」
現場責任者の男は、一度俺たちを見渡した。
「少々意外なお連れ様方ですね。噂によりますと、仕事をお辞めになったと聞いておりますが──」
「ええ、実はそうなの」
そう言って、キュネイは売れりそうに笑みを浮かべながら俺の腕に抱きついた。
「彼がどうしても辞めて欲しいって言うから。愛しの彼に頼まれたら仕方がないわよねぇ」
豊満な胸の間に腕を挟まれる感触は、何度味わっても心臓が高鳴る。だが、照れてばかりもいられなかった。
「それはそれは」
第一印象は気さくな男の目が、鋭さを帯びて俺を見据える。
「これも噂ですが、若手の傭兵と懇意の仲になられたとも聞いております。なるほど、彼がその黒刃様でございますか。お会いできて光栄でございます」
人当たりの良さそうな微笑みの奥底に、冷たい刃が見え隠れしていた。俺の頭の頂点からつま先までを定めようとする鋭い眼差し。込められた圧の強さに限っていえば、地上の入り口で待ち構えていた男にも劣っていなかった。
生唾を飲み込むのをどうにか堪えていると、いつの間にか男は鋭利な気配を失せて笑う。
「では黒刃様。それとお連れの皆様方。存分に当賭場をご堪能ください」
もう一度礼をすると、男は離れていった。やがて客の間に姿が紛れて見えなくなってから、俺はようやく唾を飲み込んだ。
「なんなんだよあれ。そこらの傭兵より遥かに怖かったんだが」
「偉い偉い。よく我慢したわね」
ホッと胸を撫で下ろしていると、キュネイがよしよしと頭を撫でてきた。
「あの人、ここの支配人に勧誘されるまでは、裏社会でも結構なやり手だったのよね。ああした裏に近い人間には、簡単に弱みを見せたら駄目よ」
あまり馴染みのない、絡み付いてくるような圧力であった。あれなら、外で厄獣とやり合っていた方が気が楽かもしれない。
「傭兵稼業を続けるなら、これからああした人との接点も増えていくわ。今から予行練習しておいて損はないでしょ」
三級の上位からは指名の依頼が増えてくるが、その精査は傭兵個人が行うことが多い。中には後ろ暗いものを含んだ仕事もあるだろう。彼女が言っているのはそうした話だ。
「ならせめて、事前に教えてくれてもよかったんじゃねぇか?」
「抜き打ちでやるから練習になるのよ。まぁ、ユキナくんなら大丈夫だってわかってたし」
「お前なぁ……」
掛け値なしの信頼感は嬉しいが、実に心臓に悪い。
事前にキュネイに確認してあるが、従業員の過去の経歴はともかくこの店自体は国から許可を得て運営されているらしい。
そしてロウザのやつには秘密にしてあるが、国から許可を得ていない違法賭場も王都にはあるらしい。キュネイも行ったことはないが、場所だけは娼婦時代の客に教わったようだ。
それはともかく、楽しそうなキュネイに半目を向けていると、俺はあることに気がついた。
「──っておい、ロウザのやつはどこにいった?」
いつの間にかロウザの姿が消えていた。さっきまではすぐそばにいたはずなのに。




