第二百十五話 なぜ谷間なのかはあえて問わない
田舎であれば陽が地平の彼方に沈めば誰もが家に帰り、夕食を食べてから寝静まるものだ。 王都でも基本は変わらない。油や蝋燭の代わりに魔法具の灯りが普及しているために、夜も結構明るいが、夜になれば思い思いの棲家に帰るのは同じだ。
だが、表通りから一歩外れた裏へと足を踏み入れれば、本番はここからだと言わんばかりに賑やかになる場所がある。この辺りは、旅行先で訪れたユーバレスとも似たようなものか。
俺たちが足を運んだのは、そうした裏道の一角である。
雑多に並ぶ酒場や怪しい商品が並んでいる出店。扇情的な装いをした美醜様々な女性が
キュネイが先導し、俺とミカゲ。そしてロウザとゲツヤ。諸事情により、アイナはお留守番である。申し訳ないが今回は我慢してもらおう。
やがてたどり着いたのは、あたりの晴れやかさから一転して、少し寂れた建物の入り口だ。
「……え、ここであってるのか?」
「『一見さん』が入ってこないように、あえてこうした趣なのよ」
俺が建物を指差しながら問いかけるも、キュネイは迷わずに中へと入っていった。ロウザは期待に胸を躍らせた様子で彼女の後に続き、ゲツヤも無言で従う。「我々も行きましょう」とミカゲに促され、足を進めた。
中に入り通路の角を一つ曲がると、周りの古ぼけた具合から一転して品のある扉が現れた。しかもその前には屈強な男が佇んでいた。険しい顔つきでじろりと俺たちを睨め付ける。
『三級傭兵の下位辺りなら、相手が武装してても素手で追い返せそうだぜ』
男の放つ威圧に構わずキュネイは近づくと、自身の豊満な胸の谷間に手を差し入れ、取り出されたのは一枚のカードだった。
どうしてそこに入れていたかは問うまい。キュネイだからとしか言いようがない。
「はいこれ。結構前に貰ったものだけど、まだ使えるかしら?」
男はカードを受け取ってから目を通し、次に俺たちを一瞥する。
「……どうぞ。ただし、お連れ様の武器は『下の入り口』で預けてもらいます」
「わかっているわ。ありがとうね」
カードを返却した男は、一歩身を引きながら扉を開く。覗き込めば、下へと続く階段だ。
再び胸の谷間にカードを仕舞い込んだキュネイの後に続いて、俺たちは地下へと降っていく。
感覚的に一階分と少しを降りたところで、今度は少し開けた場所に出る。向かって右側にはカウンターがあり、奥には両開きの扉が待ち構えていた。ここにも門番代わりなのか、男が二人構えている。
ただこちらは上の男と違って明るい雰囲気だ。
「ようこそおいでなさいました。申し訳ありませんが、武器の類はこちらでお預かりさせていただきます。持ち込みが発覚すれば、強制的に退場させていたで開きますので、そのおつもりで」
男の片割れがカウンターの方を示すと、キュネイはこちらに向けて頷いた。俺たちは各々が持つ得物を外し、カウンターの上に置く。最後に、ゲツヤが非常に渋い顔で躊躇っていたが、ロウザの命令で渋々と腰から剣を外した。
とはいえ、俺──そしておそらくはロウザもだが──は、手元に得物がないことはさほど問題ではない。あえて口にする必要もないだろうが。
武装の解除を確認した男たちは笑みを浮かべると、両の扉を開いて恭しく一礼する。
「では皆々様、今宵は心ゆくまでお楽しみください」
そして、扉の奥に広がっていた光景に俺は息を呑んだ。
まるで昼間と見紛うほどに照らされた晴れやかな空間。人の数も多く、どこからともなく活気と怒号が響き渡っている。上品な身なりをした者たちばかりでなければ市場と勘違いしていたかもしれない。
市場と大きく違うところといえば、並べられているテーブルの上に載っているのは、カードやサイコロなどのテーブル遊びの道具。他にも見慣れぬ物がいくつもあり、それらを前にして客が白熱しているのが伺えた。
「おおぉぉぉっっ!? ここが王都の『賭場』か! いいのいいのぉ! 盛り上がってきたのぅ!」
目を輝かせたロウザは、真新しい玩具を前にした子供さながらに興奮していた。
そう、ロウザがキュネイに求めた遊び場というのは『賭場』であった。




