第二百十三話 予定はないが気をつけよう
もっとも、そうした台詞を躊躇いなく口にできるのは、ゲツヤの腕を信頼しているからであり、当人にも心得があるからだろう。
こいつらのお眼鏡に叶うのは最低でも二級傭兵辺りの実力は必要か。今の俺も表向きの階級こそ三級だが、実質的には二級扱いだとカランから伝えられたしな。
「組合には『護衛』で話を通したが、護衛が堅苦しいとなれば『観光案内』と受け取ってもらってかまわん。土地勘がないのは確かだからな」
「随分と贅沢な観光案内役だな」
指名の依頼となれば結構な費用になる。こいつが迷惑をかけた村は、国からもらった復興支援金の残りを俺たちへの依頼に当てた形だ。結局は騒ぎを起こした慰謝料として、ロウザが全額を負担したわけなのだが。
「前にも言ったが、結構な金持ちだからな儂は。楽しむための金は躊躇わん主義でな」
「羨ましい限りだよ」
はっはっはと、ロウザはまたしても快活に笑った。
聞いていて気持ちが良いと思う一方で、どことなく胡散臭さが滲んでいるように感じてしまうのは、俺が警戒心を抱きすぎているからか。
「どうせ案内を頼むのであれば、顔見知りの方が都合がよかろうて。それでどうだ。儂の依頼、引き受けてもらえるのか?」
「……そいつは──」
俺は口を開きかけた時、扉の外が騒がしくなった。声までは判別できないが、足音が徐々に近づいてきている。
『相棒、ミカゲだ』
「は?」
寸分も置かず、扉が勢いよく開かれる。姿を現したのはグラムの予告通りにミカゲであった。
彼女は今日の夜明け前から、依頼のために診療所を出ていたはずだ。行き先は聞いており、返ってくるのは夕暮れ時になると聞いていたが。
「お前……仕事の方はどうしたんだよ」
「ご心配には及びません。滞りなく完遂してまいりました」
俺に向けて恭しく一礼をした後、ミカゲはロウザやゲツヤにそれぞれ仄かに切れ味のある眼差しを向ける。
「虫の知らせが疼き、急ぎ仕事を終わらせて帰ってくれば、受付の話を聞いて確信しました」
カランの使いが診療所に来たのは、ミカゲが出発した後。日が上ってからだ。俺が今日、組合に来ることは彼女は知らないはずなのだ。まさか本当に勘で予見したと言うのだろうか。
『女の勘って怖ぇな。相棒が浮気したらスグにバレそうだぜ』
浮気する予定なんぞないわっ──でも気をつけよう。
「これこれミカゲよ。お前は確かに組合内では名を馳せていようが、人様の部屋に断りの一つもせずに入るのは、いささか礼儀に反するだろうよ」
お前がいうのかよ、と喉奥まで出掛かった音を飲み込む。
「あなたの口から『礼儀』という言葉が出てきた事実に、驚きを禁じ得ませんよ、ロウザ様」
「お前が居なくなってからも、儂も多少は成長したという事だ。不本意ながらな」
くつくつと笑いを漏らすロウザ。
礼儀不礼儀のあたりはどうなのかと、俺は目でカランに問いかけるが、彼は疲れたように首を左右に振った。今は問うまい──よりも、なんでもいいから早く終わってくれと言わんばかりの悲壮感が漂っていた。
『中間管理職の哀愁を感じずにはいられない』
今度、爺さんだけでなくカランにも菓子折りを差し入れした方がいいかもしれない。
「それで、ユキナ様をわざわざ呼び立ててなんのおつもりで?」
「儂が黒刃を呼び出したのは他でもない。王都にいる間の身辺警護を頼もうと思ってな」
「身辺警護……ですか」
ミカゲは隠さずにロウザへ疑いの目を向ける。もし仮に俺に向けられたら、立ち直るのに物凄く時間がかかりそうな程には冷たいものだった。ロウザも狼耳が少し力無く垂れる。
「信用がないのぅ儂」
「ご自分の行いを振り返ってみてください。あなたと少しでも付き合いのある人間であれば、誰でも同じような反応をしますよ」
と、彼女がゲツヤに視線を投げると、彼は無言で顔を逸らした。それだけで、ロウザがどれだけこの二人を巻き込んできたのかがよく分かった。
「警護云々は建前で、どちらかと言えば観光案内の方が正しいだろう。その旨はすでに黒刃には伝えてある。で、返事を貰おうかというところでお前が乱入してきたわけだ」
「む──話の腰を折ってしまい、失礼いたしました」
声は柔らかくともほんのりと含まれた苦言に対して、ミカゲは謝を述べた。ロウザに対して思うところはあろうとも、主家の人間という立場は尊重しているようだ。
「兄者。あなたはどのようにお考えで?」
「……主の成されることだ。口を挟むのは従者の領分を超える」
厳格な声色で返すゲツヤに、ミカゲの視線がまたもや険しくなる。ロウザと違って話に冗談を混ぜる性質ではないにしろ、兄妹で交わすにしては冷たすぎる会話だ。
そのことに俺が気を揉んでいるというのに、ロウザはむしろ面白そうに状況を眺めているだけだ。ちなみにカランは物言わぬ彫像に徹して我関せずを貫いていた。
「さて、ミカゲがいるのであればちょうど良い。儂はお前も含めて黒刃に依頼を出すつもりだ。その辺りをどう考える?」
「私は──」
口を開きかけたところでミカゲは惑いを見せ、しばく黙り込む。
傭兵としての選択か、ミカゲ個人としての迷いか。普段の彼女からは考えられない曖昧な表情だ。やはりここ最近の悩みも重なって、頭で処理しきれていないようだ。
「いいよ。俺はあんたの依頼。引き受ける」
「えっ?」
俺のはっきりとした答えに、ミカゲがハッとなった。
別に考えなしで承諾したのではない。彼女が入ってきてタイミングを逃していたが、元々は承諾するつもりでいたのだ。今はそこに、少しだけ新たな考えも付与されているが。
「ただ、ミカゲの返事は保留にしておいてくれ。なんだかんだ、急ぎで仕事を終わらせてきたんだからな。疲れもあって判断も鈍ってるだろうし」
「ふむ……道理だな。その旨は承知した」
顎に手を当てたロウザが、意外そうな顔をする。
「いや、素直に頷いてくれるとはな。もうちょいとごねられる思っておったが」
「おたくらとは一度、時間を取って話がしたかったんだ。報酬も一緒にもらえるってんなら都合がいい」
「なんと。であればわざわざ依頼を出すまでもなかったか」
分かりきっていたことだが、やはり観光案内や護衛は建前。ロウザの目的は俺たちと改めて接触することだ。
俺としてもロウザが王都に来ることは予想できていたし、その時にどうにか接触できたらとは考えていたのだ。この状況は願ったり叶ったりだが、早々に事が進んで驚いている。
「ここにきて、依頼の発行を無しにするってのはやめてくれよ」
「勿論だ。金を払う以上、仕事は全うしてもらうからな」
おそらくお互いの腹の内には一つも二つも抱えているのは承知しながら、俺とロウザは契約の握手を交わすのであった




