第二百五話 意識を手放したい時って人生に何度かはある
問題は、俺が離れた際にまたもや孤立するアイナだ。
「アイナ。お前一人で少し耐えられるか?」
「……攻撃はできませんが、防御結界でしばらくは」
俺の意図の全貌は掴めなくとも、俺が何かをするという意思は伝わり、アイナが魔力を練り魔法を唱え始める。こういう時、言葉数が少なくともある程度は考えを汲み取ってくれるアイナの聡明さはありがたい。
『んで、どうするつもりだい?』
(盗賊とやり合った時の手を使う。任せたぞグラム)
『あいよ了解。細けぇこたぁこっちでやるから、ぶちかましな』
グラムの返答に内心で頷きながら、俺はアイナの元から飛び出す。直後に彼女は魔法の防御を身の回りに張り巡らせ、外からの攻撃に備える。
ミカゲと剣士は激しい立ち回りの流れで、俺たちとは離れた位置まで移動していた。だが、俺としてはむしろ距離があったほうがありがたい。
重量増加を施しながら黒槍を逆手に持つと、力強く地を踏み締める。
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
露出している木の根ごと地面を踏み抜くと、一気に腕を振り抜く。手から離れた黒槍が斬り結んでいる最中の二人に向けて一直線に飛ぶ。
「────ッッッ!?」
位置的にはちょうど、ミカゲが背を向け剣士が彼女の背中越しに黒槍を確認できる形だ。外套の隙間から覗く顔が、黒槍を目にあからさまに強張る。
「ちぃぃぃぃっっっ!」
怒気にも近しい舌打ちをすると、剣士はなぜか強引にミカゲを横へと弾き飛ばし、黒槍の射線上から逃した。咄嗟の判断なのであろうが、その意図を読み取るにはあまりにも時間が足りない。
──ヒュンッ!
「なん──っっ?」
剣士は飛来する黒槍を打ち返そうと剣で振るうが、あえなく空を切る。仕損じたのではなく、俺が召喚で黒槍を呼び戻していたからだ。
さらに言えば、黒槍を投擲した直後に駆け出していた俺が、呼び出したグラムを握り直す手間を惜しみ、そのまま地面に落ちるに任せる。駆け出しながら腰の鞘から引き抜いていた大鉈を、剣士に向けて叩きつける。飛んできたはずの黒槍が消え失せ、かつ俺の追撃で流石に判断が追いつかなかったようで。ミカゲと互角以上の斬り合いを繰り広げていた剣士は、回避も迎撃もできずに剣を構えて防ぐしかなかった。
いくつかの運に恵まれた結果だが、正面から受け止めてくれたのは非常にありがたい。おかげで純粋な力勝負に持ち込める。
「っせいやぁっっ!!」
「ガハッ──!」
体ごとぶつかって行く勢いで大鉈を打ち込み、そのまま吹き飛ばす。剣士は玉付きのように水平に飛ぶと、その先にある木の幹に激突。背中を強く打ち付けた剣士は意識を手放すことはなかったが、こちらを睨みつけながらも動きが止まる。
剣士の正体は不明だが、調子を取り戻される前に一気に片をつける。大鉈を放り投げ再度召喚で黒槍を手元に呼び出すと、トドメを刺すために駆け出す。
「そいつは流石にご勘弁願おう」
──シャリンと、鈴のような音が聞こえてきたのは、足を踏み出す直前であった。
『相棒危ねぇ!!』
考えるよりも先に体が黒槍の僅かな動きに応じていた。反射的に前に翳した黒槍に、突如として現れた者が振るった何かが衝突する。踏み込みの出鼻を完全に挫かれた所で、鎧が覆っていない胸部へと衝撃。完全な不意打ちに踏ん張りが全くできずに今度は俺が吹き飛ばされた。
地面に転がり目を回しながらも、槍を支えにしながらしゃにむに立ち上がるも、吐き気を催す痛みに口端から唾液が溢れる。
「げほっ、げほっ……」
「ご無事ですか、ユキナ様ッ」
「朝食ったもんが出てきそうだ……うえぇ」
嗚咽を堪え追撃に備えようとするが、それよりも早くにミカゲが俺の前に立ち塞がり突然の乱入者に剣を向ける。
「貴様っ、何者だっ!!」
怒気を剥き出しにしながら剣を向けるミカゲであったが、当の本人は手にする長柄の棍のような得物を両肩に担ぐと、やれやれと言った具合に息を吐いた。
「儂に剣を向けるとは薄情な女だ。この顔を忘れたのか。随分と薄情よなぁ、ミカゲよ」
「────ッ、アナタはっ!? どうしてここに!?」
どことなく愉悦の混じった声を耳にするとミカゲが驚きのあまりに剣を下ろしていた。
俺はミカゲが驚いている事実よりも、驚きのあまりに構えを解いてしまった事実に衝撃を受けていた。戦いに対しては誰よりも厳しかった彼女がそんな対応を見せるとは思いもしなかったのだ。
ここでようやく、乱入者の姿を落ち着いて確認できた。
声と体格からして男なのはわかっていたが、一番に目を引くのは、頭の上部から生える二本の耳と、臀部から伸びる尻尾。どちらも間違いなく獣人の持つ特徴だ。ミカゲのそれらとは違って犬の部位であるようだが。
そして次に意識が向いたのは、男が担いでいる青色──どちらかと言えば澄み渡った『蒼色』──をした長柄。
俺の黒槍と似たような長さだが、先端に刃はなく代わりに幾つかの輪がついた装飾がある。
『この近辺じゃ見かけねぇが、異国の僧侶が持ってる『錫杖』ってやつだ。でもって──』
最後まで聞かずとも分かっていた。
なるほど、森に入ってからの妙な感覚はアレが原因か。
『ほぅ……どうやら目の前にある我に気付かぬほど、愚鈍ではないか』
頭に響くような、グラムとは全く別の声。あの獣人の男が持つ錫杖からだ。持ち主と同じく妙に偉そうな口ぶりである。
俺の黒槍やリードの持つ蛇腹剣と同じ意思を持った武器だ。
「あなたがいるということは、やはりアレは!」
ミカゲがハッとなり、木の幹に背を預けている剣士に目を向ける。衝撃で外套の頭部が取れると、やはり獣人の耳が飛び出す。
しかもそれは、ミカゲの耳と非常に酷似した、白狐のものである。
離れていても分かる程に整った顔たちをした白狐の剣士は、先ほどのミカゲ以上の怒気で俺を睨みつけてくる。吹き飛ばしたということ以外にも何やら思うところがある風だ。
ミカゲの口ぶりを見るに、どうやら犬耳の男も白狐の剣士も、ミカゲの知る人物らしい。問題は、どうしてそんな奴らが俺たちを襲ってきたかだが。
『ほら、ルデルの奴が言ってたのを思い出せ』
ミカゲを探していたという獣人の一行。それがこいつらか。
犬耳の男は手振りと共に目配せをすると、アイナを囲っていた者たちが得物を下げた。敵意が無くなったのを確認すると、アイナが防御魔法を解除する。
「油断をしたな月夜よ。あの状況で、考えもなく仲間を巻き込むような阿呆であれば、そもそもお前の妹が行動を共にするはずが無かろうに。久々の再会で視野が狭まったか」
「──っ、申し訳ございません。我が身の未熟を恥じるばかりであります」
ゲツヤと呼ばれた白狐の男は、痛みに顔を歪めながらも体制を立て直すと、犬耳の男に向けて傅く。その様口ぶりが、不思議とミカゲと重なって。
──って、今何か、聞き捨てならないセリフが飛び出したんだが。
「え、ちょっと待って。『妹』って──」
「……後ほど、必ずご説明いたします」
俺の問いかけに、ミカゲは苦虫を噛んだ表情を浮かべる。
こちらの混乱をよそに、男は錫杖で地面をつくとシャランと音が響く。
「自己紹介が遅れたな。儂の名は得河家嫡男狼坐。そして──」
ロウザと名乗った男は、こちらを一瞥してからミカゲに微笑みかける。
「そこにいる美しき女子、ミカゲの婚約──」
「違います」
「──者……なので……ある……のだ……がなぁ……」
意気揚々とした台詞を容赦なくミカゲに断ち切られて、ロウザはがっくしと肩を落とした。
俺は思わず天を仰ぐ。この短時間で受け入れるにはあまりにも情報量が多すぎる。腹も痛いことだし、このまま意識を手放したい衝動に駆られた。
『現実逃避をするのはお勧めしないぜ。もっと事態が拗れるからな』
どことなく愉快げなグラムであった。




