第二百話 心労をおかけするようですが
アイナの機嫌は無事に治ったようである。彼女の笑顔が見えるようになったことにほっとしつつも、あの気難しい猫のような彼女はそれはそれで可愛くて好きだったのはここだけの話。当然、本人に聞かれたらまた機嫌を損ねてしまいそうなので胸の中にしまっておく。
一方で、ミカゲの様子は相変わらずだ。
当人はおそらく普段通りに過ごしているつもりなのであろうが、一緒に暮らすようになってそれなりの時間が経過しているのだ。ところどころにらしくない所作が見えてきてしまう。明らかに何かの悩みを抱えているのは、ミカゲを除いた俺たち三人も分かっていた。
ミカゲは冷静沈着に見えて、案外と直情的であり、思うところがあれば下手に溜め込まずに共有する性質だ。そんな彼女が内心を明かさずに物憂げにしているのだ。どうしても踏み込んで問いかけるには躊躇われた。
だからといってこのまま放置する訳にもいかないなと頭では分かっていつつも、少しばかりの日数が経過した頃。
俺の元に組合から一通の手紙が届いた。
呼び出しである
「君宛に、指名依頼が届いている」
「俺に? ミカゲじゃなくて」
早速カランの仕事部屋に赴く。もう幾度も足を運んでいるおかげで、当初に抱いていた気後れや緊張はなくなっていた。が、別の意味で思うところはある。
ここに来るのは、ほとんどが事件の発端やら後処理の時であり、平穏無事で終わったことがないのである。最も、ギルドの幹部が個人を呼び出す理由なんて、仕事関係か傭兵が問題を起こした場合がほとんどだろう。
「まだ三級なんですがね、俺」
名の売れた傭兵個人に依頼が来るのは、おおよそが二級からというのが常識だとミカゲから聞かされている。組合──カランから直々に依頼を回してもらうことはあっても、依頼主から指名されるというのはまだ当分先のことだと考えていた。
「三級でも、実績を重ねた上位のものであれば指名は受けるさ。それに、忘れてはいないだろうが、君はすでに二つ名を与えられている立場にある。額面での階級は未だに三級に違いないが、実質的にはほぼ二級と同等の扱いだ」
二級傭兵への昇格は、当面の俺の目標だ。ミカゲやアイナ、キュネイと釣り合いの取れる男と名乗れるだけの肩書にはなるはずだ。昇格が現実味を帯びてきているようで嬉しいのだが、気になる点がある。
「知らない間に外堀が埋められている感覚なのは俺の気のせい?」
「安心しろ。外堀を埋めているのは紛れもなく君自身だ」
『上手いこと言うねこのおっちゃん』
愉快そうなグラムに舌打ちしたくなる衝動を堪える。
実際、おっしゃる通りなんだがな。やる気を出して仕事に赴く時よりも、軽い気持ちで過ごしている時の方が派手な騒ぎに巻き込まれているように思えなくもない。
「ユーバレストの件もある。時期が来れば二級昇格の通達が君の元に届くだろう」
「そういやぁユーバレストの件が一部の傭兵に漏れてたっぽいんだが。いくらなんでも早すぎだろう」
「残念ながら、貴族階級の情報収集能力というのは優秀だ。組合の目が行き届かない至る所に目と耳を持っている。君もこれからそういった権力者と関わり合いになる機会も多くなる。頭の片隅にでも留めておきたまえ」
ルデルのやつもそういった優秀な目と耳を持つ貴族様と繋がりを持っているのだろうか。今度会ったらさりげなく問いかけてみるか。
「忠告しておくが、指名依頼は傭兵としての実績を重ねる大きなチャンスではあるが、同時にリスクを背負うことになる。この意味がわかるかね?」
「…………責任を負う比重が組合じゃなくて個人に傾くからか」
「その通りだ。よくわかっているようでなによりだ」
もし仮に傭兵が依頼に失敗した際、傭兵は組合からお叱りを受けるが依頼主からの叱責は組合が請け負うことになる。なぜならその傭兵に仕事を任せたのは組合だ。
だが指名依頼となると話は別だ。仲介は組合だが実質的には傭兵と依頼主の直接契約だ。それだけに、失敗した時は依頼主からの信頼を大きく損ねる。
「指名依頼を出す者は、おおよそが貴族か商人上がりの金持ちだ。そうした者たちの横の繋がりは、平民からは想像できないほどに広く複雑だ。ユーバレストの事件が漏れた事を考えれば、君にも多少なりとも想像はつくはず」
一つの失敗が、連鎖的に先々にまで波及恐ろしさ。言われると確かに、空恐ろしいものを感じてしまう。
『貴族は人様の醜聞とか痴情の縺れとか大好きだからな。……後者に関してはもう手遅れだろうけど』
そんなはずはない……とはグラムの呟きを否定しきれないのが我が身の悲しいところである。誓ってやましい気持ちはなく本気だが、側から見れば大概に酷いもんだろうなと、今は他人事のように考えてしまう。
「脅すような事を言ったが、幸いにも君の仲間にはその手の話に通じている者もいるだろう。彼女たちの意見をよく聞いておくといい」
「……肝に銘じておく」
すでに二級傭兵として活躍しているミカゲに、元王族として貴族の世界に精通しているアイナ。二人がいてくれて良かった。少なくとも無意識に大失態を犯すような事はないはずだ。
「話を戻そう。指名依頼についてだが、内容は厄獣の討伐だ」
「依頼そのものは普通なんだな。てっきり秘境に行って珍しい素材を取って来いって話かと思ってたが」
「えてして仕事というのは地味なものだよ。君の場合はいささか異なるかもしれんが」
「好きで派手にしてるんじゃねぇよ」
気がついたら状況が派手なことになってんだよ。
渡された書類に、依頼の概要が記載されていた。
まず最初に目についたのは、依頼主の部分だ。
「ここって……」
「そうだ。君が以前に救った村だ」
王都を襲った魔族事件。その前哨として、王都近郊にある村が厄獣──ゴブリンの群れに襲われたのだ。
やたらと数が多い上に武器を扱える程度には知能が働くゴブリンは、一般人からすれば脅威だ。田舎の村育ちの俺はゴブリンの恐ろしさいやというほど味わっており、その危機感から迅速に討伐に向かったのだ。
残念ながら村民に犠牲者を出してしまう結果になったが、後の騒動を加味すれば被害を最小限に留めることができたとは思う。
事件が終わってからは、村から復興支援の依頼が出ていたので受注し、しばらくは家屋の立て直しやら怪我人の治療やら、そして奇しくも付近の洞窟に仕掛けられた厄獣を召喚する魔法陣を見つけるやらと色々あった。
「付近にあまり見慣れぬ厄獣が出没したから討伐して欲しいとの事だ。そこで、縁のある君を頼って依頼を出したらしい」
「指名依頼っつーよりかは、顔見知り依頼みたいな感じだな」
最初、話を聞いている最中は肩に力が入ってしまったが、蓋を開けてみれば依頼主は過去に交流があった人物ときた。言い方は悪いが、肩透かしを食らった気分だ。ただ、仕事相手として指名してくれた事自体は非常に嬉しく思う。
「君もどうせなら、名も知らぬ貴族よりかは多少なりとも縁がある相手からの方が仕事もやりやすいだろう。とはいえ、以降は初めて顔を合わせるような者からの依頼も増えてくる。君の現状を伝える意味でもこうして呼び出した次第だ」
「そりゃぁお気遣いどうも」
カランも彼なりに色々と俺たちに気を回してくれているのは、これまでのことでもよくわかっている。それだけ期待を寄せられているという事だ。
『まぁぶっちゃけ、相棒がいつやらかすかどうか分かったもんじゃねぇからヒヤヒヤしてるってのも結構あるんだろうがな』
グラムよ、お前は本当に一言余計だな。
心労をおかけして申し訳ない、とカランに口に出さずだが内心で頭を下げるのであった。




