第百九十九話 漏れ出す色香の被害
あけましておめでとうございます、
それと、コミケに来てくださった方、ありがとうございました。
ミカゲが一人稽古で悩みを抱いている頃、キュネイとアイナは日常品の買い出しへ市場に赴いていた。普段であれば荷物持ちをユキナが買って出るところではあったが、キュネイはあえてその申し出を断り、アイナと二人で赴いたのである。
巡るのは細かな日常の消耗品や、薬品の調合材料。ユーバレストでの一件で何かと消耗したのでその辺りの補充が中心であった。
しばらくはただ買い物をしていただけであったが、ふとした拍子にキュネイは隣を歩く少女に声をかけた。
「ねぇアイナちゃん。そろそろ機嫌は治ったかしら?」
その問いかけにアイナはピクリと肩を振るわせるが、ほどなく僅かに顔を逸らした。
「……別に、最初から機嫌を悪くした覚えはありません」
普段の明朗な彼女からはいささか外れた、歯切れの悪い口ぶりだ。今のアイナを見て、その言葉をそのままに受け取るのはかなり難しかった。
あらあらと困ったふうに頬に手を当てるキュネイ。ユキナの同行を断ったのは、アイナの機嫌を落ち着かせる為であったが、これはまだ長引きそうだ。
と、アイナはキュネイに流し目を向けてから、やがては小さく息を吐いた。
「ゴメンなさい。ちょっと嘘をつきました」
小さな謝罪にキュネイは微笑み、肩を落としているアイナの頭を優しく撫でた。
二人は市場から少し外れると、手頃な段差に腰を下ろした。
やがて訥々と、アイナが呟く。
「ここ最近は、私のせいで皆さんにご迷惑を掛けてしまって申し訳ありません」
「迷惑だなんて誰も思っていないわ。女の子としては至極真っ当な感情よ。むしろ、私としてはアイナちゃんのそういった一面を見れて嬉しいわ」
これまでは王族の一員として。施政者側の人間として育てられてきた。万人に公平であるということは誰か一人に特別な感情を抱かないということ。アイナ自身、一国の王女として優秀かつ聡明であり、生まれ持った身分の義務に特に不満を抱いたことはなかったのだろう。
「でも、ユキナ君と出会って、王族としての義務からも解放された。きっと、ユキナ君も内心ではアイナちゃんの嫉妬が嬉しかったはずよ」
「そうで……しょうか……」
「好きな女の子に嫉妬心を抱かれて嫌になる男はいないわよ。女の嫉妬は想いの強さそのものよ。アイナちゃんがむくれてる間、むしろユキナ君はいつも以上にアイナちゃんを構ってたでしょ?」
「それは……はい。確かにそうです」
最近の己の行動を顧みて、アイナは頬を赤らめる。以前の彼女からは考えられないくらいにユキナに甘えっぱなしであり、ユキナたちと一緒に暮らし始めた頃よりもさらに密着度が近い日々であった。冷静に思い出すと頭を抱えたくなる。
「驚いてるんです。自分がここまで嫉妬深い性格だったなんて。しかもそれをまるで制御できなかった。頭ではこれでは駄目だって分かってたのに」
「本当にもう可愛かったわよ、嫉妬心丸出しのアイナちゃん。側で見ていた私の方が甘酸っぱい気持ちになってきちゃうんだもの」
キュネイは目を瞑り、アイナが無言でユキナに擦り付く場面を思い返すと自身の両肩を抱きしめながらクネクネとしなを作って悶えた。
「キュ、キュネイさん落ち着いてください。色気が……あと被害が出ちゃってますから」
異様なほど艶のある表情と妖艶な色気を撒き散らす様に、付近を通りかかる男性たちがもれなく前屈みになりかける事案。恋人連れらしき青年もあえなくキュネイの色香に惑わされ、鼻の下を伸ばしかけたところで耳を掴まれ千切れそうなほど伸ばされながら引っ張られていく事故も発生した。
「あら、私としたことが」
周囲の状況を把握したキュネイは、こほんと咳払いすると溢れ出していた色気を引っ込めた。普段は皆のまとめ役のような役割の彼女だが、時折にこうした妖艶さを撒き散らしたりするのは、お茶目で済ませて良いのか考えものである。
「もう……そもそも、キュネイさんがリードさんを焚き付けたのが発端なんですからね」
経緯は、一夜を共にした翌朝のユキナとリードから聞かされていた。告げられた当初は心中穏やかではなかったし、落ち着いた今でも完全に受け入れられてはいない。
「いいんですか? ユキナさんがリードさんに取られてしまっても」
「じゃぁ逆に聞くけど、ユキナ君がリード君にかまかけて私たちを蔑ろにするって本気で思ってる?」
「それは……」
質問を質問で返される形になりながら、アイナは言い返すことができなかった。ありえないと、分かりきっていたからだ。
「私たちが惚れたのは、そんな器の小さなじゃ無い。あの人は分け隔てなく平等に、それでいて全力で私たちを愛してくれる。でしょ、アイナちゃん」
「ですね……。これじゃぁユキナさんのことを信じてなかったみたい。駄目ですね私」
「いいのよ。アイナちゃんの反応の方が至極真っ当なんだから」
キュネイは己の恋愛観が一般常識から離れている自覚があった。娼婦としての経験に加えて、淫魔としての生い立ちがある。愛する男の良さを理解する己以外の女性がいることは、むしろ歓迎すべきであると。
この辺りの認識の差異を自覚できているからこそ、キュネイの存在はユキナたちの中にあって良い纏め役になっているのである。
「それに、あまり気持ちの良い話じゃ無いけど、少しだけ打算な面もあるのよ、今回の場合は。この辺り、リード君も薄らは把握しているかもしれないけれど」
「え?」
キュネイが口にした意外な言葉に、アイナが首を傾げる。
先ほどまでの軽い調子をなくし、キュネイは続ける。
「私はユキナくんやミカゲの負った傷は直せるけど、傷そのものを防ぐことはできない。私は医者であって戦士では無いから。隣に立って戦うことはできないわ。でもリードくんがいれば、二人がひどい怪我を負う場面も少しは減るんじゃ無いかって……あまり聞いてて気持ちの良い話じゃ無いわね、これは」
「いいえ。私も立ち位置は似たようなものですから」
アイナは魔法使いだ。キュネイに比べれば前に立って戦うかもしれないが、それも最前線でユキナとミカゲが立ち塞がることが前提だ。援護はできても、剣を持って隣で戦うことはできないのだ。
けれども、リードは違う。彼は戦士だ。それもミカゲが認めるほどの凄腕であり、彼女が共に戦うのであれば、ユキナも心強いはずだ。
「キュネイさん」
「何かしら?」
「ユキナさんは多分、この先もたくさん怪我をしてしまうんでしょうか」
「…………そうなんでしょうね」
二人とも、言葉なくとも察していた。
きっと、ユキナはこれからも戦いに巻き込まれるのだろう。多くの苦難と共に多くの傷を負うのだろう。
誰かが言ったように思う。
世の中にはいるのだ。本人の意思に関わらず、戦いを引き寄せる類の人種が、と。
ユキナが傭兵だからではない。
ユキナがユキナである限り避けようがない必然。
だがそれは運命では無い。
ユキナが自ら選んだ選択の果て。
そして選択したのは彼だけでは無い。
彼女たちも選んだのだ。ユキナという『英雄』と共にある事を。
「だからこそ私がいて、キュネイさんがいてミカゲさんがいて……あとリードさんも」
最後に小声でありながらも付け足したのは、なんだかんだでアイナもリードを受け入れ始めているからか。
「どれだけ大変な目に遭っても、ユキナさんがちゃんと帰って来れるように、支えるなくちゃいけないんです」
「それがあの人を愛すると決めた私たちの役目なんだもの」
顔を見合わせた二人は笑みを浮かべていた。
「さて、お買い物の続きをしましょうか。午後からは診療所を開ける予定だしね」
「分かりました」
買い物袋を抱え直し、アイナとキュネイは再び市場へと歩き出した。




