異世界墜落
俺が目覚めたのは、この街から離れること十日あまり、広がる草原のど真ん中であった。
目を開いて最初に見たのは、剣の鋭い切っ先を突きつける女の姿だった。
彼女は、全身が血に塗れた凄惨な姿をしていた。
仰向けに寝転がっていた俺の胸に、突きつけた剣からは血が滴り落ちた。ぽたりぽたりと、シャツに真っ赤な染みが広がる。
この場合、当然抱くであろう感情、つまり恐怖にパニックを起こした。
悲鳴をあげることさえ、出来なかった。
俺に指先一つ動かすことを許さない、それほど彼女の双眸は冷たく鋭い。
女の顔に見覚えはない。
短めに切り詰めた髪は黒いが、細く高い鼻梁と整った顔立ちは日本人のそれではない。
身体を覆う革と金属で作られた鎧はどこまでも実用的で、彼女の日常を垣間見せる代物だ。
映画で俳優が着ているような作り物めいた印象はまるでない。
誰なんだ、この女は。
念頭に浮かぶのは、ただそれだけ。
今にも殺されそうな状況で、ぐるぐると疑問が脳裏に回転する。
お前は、誰だ。
そう、口にしたかった。殺されるのならば、相手の名前ぐらい知りたい。
目の奥に、小さな針を刺したような痛みが走った。
名称:カティア
年齢:二十七歳
スキル:剣術5
履歴:赦免(殺人×五十)
俺が驚きに身体を硬直させたことで、彼女は反射的に剣を引く。
刺される。俺は悲鳴をあげる寸前、ソレを見た。
上空から、落下するように迫る黒い影。
鳥ではない。いや、鳥に似た何かだ。ただの鳥ではない証拠に、それには四枚の翼を持っていた。
名称:ダイブラプトレス
年齢:三年
種族スキル:急降下突撃
怪鳥は、眼前の女を標的にしていた。
俺の視線に気が付いたのだろう。
彼女は背後へ向き直り、剣を構えようとした。
怪鳥は太陽を背にしていた。
眩しさに目がくらんだ彼女に隙が生じる。それは致命的なミス。
怪鳥が長く鋭いくちばしで突き刺そうと、目前に迫る。
ためらいは一瞬だった。
俺は右手に持っていた拳銃を怪鳥に向けて三連射。
青い空に、真っ赤な血飛沫が咲いた。
ひどく緩慢な動作で、彼女はふたたび俺に向き直る。
いまだ銃口から硝煙ただよう拳銃を、俺は遠くに放り投げた。
そうしなければ、彼女の刃が俺の喉を切り裂きそうな予感がしたからだ。
「*****」
彼女が、何か言った。
かろうじて言語だとしか認識できないぐらい、耳慣れない音の響き。
「********」
言語の成立以前から分岐したような、異質な抑揚を持つ調べ。
言葉というより、まるで歌唱のようだ。
ちり、とまた目の奥が疼いた。
疼きは収まらず、視神経をたどって脳髄まで達し、その奥深くをかき乱す。
「大丈夫か?」
いつの間にか俺は目を腕で押さえ呻いていた。
掛けられた声に、おそるおそる腕を外す。
彼女は俺の傍らで、片膝をついて俺を見下ろしている。
彼女がまとっていた剣呑さは霧散し、静かに俺を観察している。
「どこか具合でも悪いのか?」
淡々と尋ねる。心配、というほどではないが、感情のこもった声だ。
どうやら、すぐには殺されないようだ。
「なんともありません」
そう返答しながら、違和感を覚えた。
何かがおかしい気がする、それを確かめる前に、彼女は再び言葉を発する。
「なぜわたしを助けた?」
・・・・・ええ?
「あの魔術は、お前が発したものだろう? どうしてわたしを助けたのだ」
困惑する俺の表情を読んだのだろう、言葉を続ける。
「わたしが魔物に殺されれば、自分は助かるとは思わなかったのか?」
「・・・・やっぱり俺、殺されちゃうのか?」
そう尋ねながら、違うだろうなと思った。
こうして落ち着いて言葉を交わせば、彼女は俺を警戒していただけなのだ。
案の定、彼女は苦笑して首を振る。その表情と動作に、何かしらの安堵を覚える。
それは共通の表情とジェスチャーを見出し、彼女を同じ人間だと認識したからだと思う。
「いいや、だがお前からしてみれば、その危惧はあっただろう?」
拳銃を撃つ一瞬、見殺しにするという考えは確かに浮かんだ。
そうすれば彼女という危険から逃れられると。
だけど、彼女は美しかったのだ。
剣を向ける彼女に、心惹かれた自分がいたのは、紛れもない事実だった。
彼女を見殺しにする、という選択肢はなかった。
「俺はバカだ・・・・・」
自分の愚かさに、俺は頭を抱えた。恥ずかしさのあまり、地面を転げまわる。
「おい?どうした!?」
「どうしようもないバカモノだ!」
いくらなんでもアホすぎる。
呆れるという次元を超越している。
身悶える俺の顔の横に、ぐさりと剣が突き刺さる。
「静まれ」
「・・・はい」
「理由を聞いているのだ」
「はい、一目ぼれでした」
俺は簡潔に答えた。
空気が凍った。
彼女は俺の身体にまたがり、たこ殴りにした。
しばらくして冷静になった彼女は、俺を引き立たせた。
そのときはじめて、俺はこの異世界を見渡すことになる。
周囲には、無数の生き物が転がっていた。
緑の草原の上に、切り裂かれた大小様々な、異形の生物が散乱している。
風に漂う血の臭いに俺は胃の中のものを吐き出す。
何度もえずきながら、俺は叫んだ。
いったいここはどこなんだ、と。
あきらかに地球には存在しない生物の死体の群れを前に、俺は意味のない問いかけを叫んだ。
俺の無意味な問いに、スキルが的外れな答えを返す。
探査が、発動した。
拡張する認識力の拡大。
いままで感じたことのない第六の感覚。
俺の理性は脳に負荷を掛け、正気を失う前に意識を途絶させた。
街に帰還する彼女に連れられ、俺はこの異世界を歩いた。
異世界の洗礼は、容赦なく俺に降りかかった。
スキルのことを知った。
自身の異常性に気が付いた。
俺の記憶には欠落があった。
なぜ俺が拳銃を所持していたのか、覚えていなかった。
あの草原で目覚める前の一定期間の記憶がなかった。
看破が読み取った年齢が正確なら、俺の記憶している年齢と一年間ほどの齟齬がある。
記憶にない一年間に何があったのか。
しかしそんな不安が瑣末になるほど、異世界の出来事は衝撃だった。
一日、また一日と、自分の中にある常識が、破壊されていった。
魔物に襲われた。
盗賊を殺した。
弾を撃ちつくした拳銃を、俺は地面に埋めて墓を作った。
元の世界の自分の墓のつもりだった。
そうしなければ、この世界で生きていけないような気がしたから。
「ヨシタツさん?」
俺の目の前に、二人の顔があった。
意識が、数ヶ月前の記憶から戻る。
クリサリスとフィフィアの表情は、心配そうに曇っていた。
ふと予感がしたので、看破を発動する。
スキル:看破2、探査3、射撃管制1、射撃2
隠蔽1、剣術1
射撃管制1が増えていた。それに探査が3、射撃が2になっている。
そしてポイントは96のままで変化がなかった。
俺は、クリサリスとフィフィアを見詰めた。
「えっとどうしました?」
「なにかあったの?」
声に出そうとして、止めた。
震えずに声を出せる自信がなかったからだ。
だが、涙腺の方はどうしようもなかった。
あわてて上を向き、涙をこらえる。
しばらくにじむ視界で空を眺めていた。
ふと、両手に温もりを感じた。
左右それぞれの手が、ひとまわり小さな手に包まれている感触がした。
人を殺し続け、磨り減ってしまった自分の価値を、少しだけ取り戻せたような気がした。
もしかしたら、この異世界での自分の生き方を、やり直せるかもしれないと思った。
ちがう、そうじゃない。
やり直すんだ、もう一度。




