王都_その4
【前回までのあらすじ】
シルビアの命を救うため、《霊薬》を求めて王都に潜入したヨシタツ。
貴族令嬢のレジーナ、パーティーメンバーのクリスと共に、行動を開始する。
*
*
翌日、俺は着せ替え人形にされた。
今日はレジーナと一緒に出掛ける予定なのだが、今の服装ではダメだと言うのだ。
「この野暮ったい男を、どこに出しても恥ずかしくない格好にさせてみせるから!」
朝食の席で、クリスに宣言したレジーナ。期待して待っていてと、彼女は自信満々である。
引きずり込まれた衣裳部屋には男物の服や、ハンカチ、手袋、靴などの雑貨類で溢れかえっていた。
金に物を言わせ、急いで用意したらしい。庶民である俺は、彼女の金銭感覚がちょっと恐くなる。
レジーナが監修し、ヘレンに手伝ってもらい、着合わせが行われた。
次から次へと様々な組み合わせを試行錯誤し、着ては脱ぎ、脱いでは着るを繰り返す。
着飾る趣味のない俺にとっては、もはや苦行でしかない。体力は消耗し、気力が削られる。
しまいには意識は朦朧として、足元がふらふらになってしまった。
そしてようやく決まった服装は…………なんかピエロみたいに派手だった。
ぴらぴらとしたヒダ飾りがあしらわれた白いシャツに深い紅色のジャケット。
ぴったりと脚を包む細身のズボン、刺繍の施された手袋やハンカチに、先細りの靴。
襟元を飾る、蝶々結びのスカーフがおしゃれである。
「こっ、これは…………」
「…………お嬢様、力及ばず申し訳ありません」
苦しげに呻くレジーナに、打ちひしがれるヘレン。
「どうしてこんな風になっちゃうのよ…………姿勢かしら?」
「上背もそこそこ、体格も別に…………顔でしょうか?」
ヒソヒソと囁き合う主従。とても失敬なことを言われている気がする。
「着替えは終わりましたか?」
扉越しに、廊下の方からクリスの声が聞こえた。お披露目するまで待っているように言われたのだ。
「終わったよー、入ってもいいよー」
どうにでもなれと投げやりに答えると、レジーナが慌てふためく。
「ま、ちょっと待っ――――」
だが、手遅れである。がちゃりと扉を開けて中を覗き込むクリス。彼女は手で口元を押え、
「とても凛々しいです、タツ!」
「「「ええーっ!?」」」
「さすがです、レジーナさん! ヘレンさんも、ありがとうございます!」
声を弾ませるクリスに、俺とレジーナとヘレンが絶句する。
「いや、まあ、ね?」
バツが悪そうに頬を掻くレジーナ。礼を言われ、逆に不本意そうなヘレン。
クリスのファッションセンスについて、俺は深い懸念を抱くのであった。
◆
レジーナの提案で、俺は帯剣しても目立たない護衛役を務めることになった。
最初は男連れで、彼女に悪い噂でも立たないかと危ぶんだが、どうやら要らぬ心配らしい。
見栄のため、着飾った護衛を従えることは普通にあるそうだ。
貴族の奥方達が嗜みとして、若い男を騎士と称して身近に侍らせることも認知されているらしい。
「貴族の子弟を茶会や夜会などに同伴させて顔を売り、貴族同士の付き合い方を学ばせる社会勉強よ」
そう説明してから、レジーナは肩を竦めて補足する。
「まあ、中には一線を踏み越えちゃう人達もいるけどね」
それでも特に、問題にはならないらしい。その方が夫も自由を満喫できるから、だそうだ。
「その辺はそれぞれの家風なのよ。うちの一族は違うから、そんな目で見ないで」
気付かぬうちに渋い顔をしていたのか、レジーナに苦笑されてしまった。
「政略結婚を優先する新興貴族は、どうしてもね?」
家の都合による結婚と、当人達の恋愛関係は別物。公然とでなければ、割り切って考えるらしい。
貴族というのは、相当に複雑な生き方をする人達のようだ。
クリスもまた、着替えさせられた。彼女はレジーナの奴隷という役柄である。
貴族の家内奴隷ともなれば、どこに出向いても無下には扱われることはないというのが理由である。
クリスに肩身の狭い思いをさせたくないので、俺も受け入れざるを得なかった。
しかし、本当に理由はそれだけなのだろうか?
そんな疑問を抱いたのは、ヘレン達によって着替えさせられたクリスが姿を見せた時である。
お手伝いさん三人とは色違いの、白を基調としたお仕着せ姿になったクリスを見た途端、
「可愛いわ!」
歓声をあげたレジーナが、いきなりクリスに抱き着いたのだ。
「あ、あの!?」
「とても似合っているわ! ねえあなた! うちの子になっちゃいなさいよ!」
レジーナは感極まったように、クリスをぎゅうぎゅうと抱き締める。
頬ずりまでされて、クリスが目顔で助けを求めてきた。
「そういえば、トルテちゃんがちょっとご機嫌斜めだったね?」
取り敢えず二人を放置して、気になっていることを隣にいるサーシャに尋ねた。
お手伝いさん最年少のトルテちゃんは、リリちゃんよりも少し年上ぐらいだろうか。
ショートカットでつぶらな瞳の少女なのだが、今朝から口をへの字に曲げているのだ。
「お嬢様のお供は本来、彼女の役目なので」
簡潔に答えたサーシャは、クリスにじゃれつく自分の主人を、生ぬるい眼差しで見守っている。
なるほど。自分の仕事を盗られたと思って、面白くない訳か。
後でご機嫌取りをしなくちゃなと思いつつ、さらに尋ねる。
「ところで君のご主人様、いったいどうしたの?」
いまだにレジーナは、クリスに抱きつくのを止めようとしない。
なんだか呼吸が乱れているし、目付きもいささか尋常ではない気がした。
彼女の過剰なスキンシップに、クリスは今にも泣き出しそうである。
「ご病気です。お嬢様は可愛い女性が大好物なので」
「へえ、そうなんだ? じゃあ普段は、君やトルテちゃんにもあんな感じなの?」
「……いいえ。お嬢様はちょっとズレた性格の方が好みなので」
サーシャは、けっこうな毒舌の持ち主のような気がする。
しかし、キリッとした印象が強いレジーナだが、今の彼女は同級生とじゃれ合う女学生のようだ。
そこに割り込むのは気が引けるのだが、このままではらちがあきそうにもない。
レジーナの襟首を掴んで引きはがし、クリスを腕の中に収めた格好でかばう。
「ちょっと! なにするの! 返しなさいよ!」
憤慨したレジーナが、ぐるぐると周りを移動し、隙あらばクリスを奪い返そうとする。
まるで獲物の横取りを狙うハイエナみたいだ。
「嫌がっているんだから止めなさい」
怯えて身を縮こまらせるクリスを慰めながら、レジーナをしっしと追い払った。
◆
「やあねえ、ちょっとした女の子同士のじゃれ合いじゃない?」
俺に聞かれても、ちょっと分からない。
正気に戻ったレジーナと共にアパートを出たのだが、クリスは警戒心剥き出しになっていた。
俺の後ろに隠れたクリスが、外套の裾を掴んで離さない。まるで巣穴に隠れる小動物みたいだ。
そんな彼女を見て、レジーナも気まずそうである。ご機嫌取りを試みるが、上手くいかない。
どうやら反省したようなので、後で仲直りするコツをアドバイスしてあげよう。
まあ、クリス相手なら基本、餌付けなんだけど。
「それで、その学院というのは遠いのか?」
「…………そんなに時間は掛からないわ」
関係修復を一旦諦めたレジーナは、肩を落としながら先へと進んだ。
カティアに与えられた指示は、霊薬を精製できる人物を探し出すことである。
どうやって霊礫から霊薬が作られるのか、その方法は一般に流布していない。
それどころか、精製方法を知っている人物さえも不明な状況なのだ。
幾つかの情報をカティアから与えられているが、レジーナにも心当たりがあるらしい。
王都で暮らし、貴族令嬢としての人脈もある彼女からの情報は貴重である
霊薬について知っていそうな人物を、これから訪問することになっていた。
「マグダレス学院の薬学部教授で、わたしの恩師に当たる方なの」
年は六〇を越え、元は貴族の当主だったそうだ。一〇年も前に家督を息子に譲り、ライフワークだった薬学研究を続けるため、マグダレス学院の教授になったらしい。
確かに薬学の先生ならば、霊薬の精製方法について知っている可能性は高そうだ。
仮に本人が知らなくても、他の人物を紹介してもらえるかもしれない。
それがレジーナの目算であった。
レジーナの説明によれば、王都には貴族の子弟のための教育機関である学院が幾つかあるらしい。
学院は国の機関ではなく、貴族の寄付で創立されるものだそうだ。
基本的に貴族の子弟は、家庭内で教養や知識を学ぶ。そのための職業的な家庭教師もいるが、資金力のある貴族は国外から学識豊かな奴隷を購入する。
そして奴隷の自身の優秀さや才能を示すと、年季明けを待たずに解放して側近として雇ったり、後援者となって活動の場を与えたりするらしい。
自家の元奴隷が有力者のサロンで活躍し、元主人の人徳や寛大さなどを称賛してくれれば、貴族としてのステータスが向上するからである。
優秀な人材の確保、宣伝活動への投資など、この国の奴隷制度は様々な側面があるみたいだ。
そして貴族子弟が、さらに専門知識を学び、研究活動をする場として学院がある。
将来のための人脈形成の場としても活用されているそうだ。
その一つ、マグダレス学院は、俺のイメージする学校とは、だいぶ趣が異なっていた。
校庭も講堂もない、例によって白い建材だが装飾の類もない、ひどく無骨で厳めしい外観だった。
「まあ、元は刑務所だったからね」
学院の建物を前にしたレジーナの説明に、俺とクリスはギョッとする。
「マグダレス学院の創立は、王都の歴史でも後半にあたるの。その頃にはもう適当な土地がなかったから、城壁の外に移転した後の刑務所を使ったらしいわ」
「それにしたって刑務所はないだろ。仮にも貴族の子弟が通うんだから」
「庶民なのに、保守的な貴族みたいに考えるのね? この学院の創立者に言わせると、教育で重要なのは容れ物じゃなくて中身だそうよ?」
彼女の言葉に、素直に感心する。確かにその通りだ。
「創立者はとても立派な、尊敬できる人物だったみたいだね」
「――――ありがとう。そう言ってもらえて、ご先祖様も墓の下で喜んでいるわ」
俺とクリスが驚くと、レジーナは照れ臭そうに笑うのだった。
頑丈そうな鉄柵の門扉は開かれていて、そこを潜ると中庭に出た。
中庭を歩きながら、レジーナは懐かしそうにあちこち指差しながら説明してくれる。
「あの染みは何度洗っても浮き出てくる、《囚人の血痕》。あちらが有名な《首吊り窓》で――――」
元が刑務所だったせいか、怪談話に事欠かないらしい。ビビったクリスが、俺の外套にすがりつく。
しかし一歩、建物の中に入ると、清潔で品の良い内装が施されていた。
奥にある事務局に立ち寄り、件の教授に面会しに来たことを告げる。事前連絡は済ませていたらしい。
あっさりと許可が下り、勝手知ったる気楽な足取りで、二階へと上がるレジーナ。
その後ろを、俺とクリスは物珍しく辺りを見回しながら付き従った。
◆
「ご無沙汰しています、リフター教授」
教授に与えられている部屋にしては、ひどく狭い印象だった。たぶん、元は独房だったのだろう。
しかし、陰惨な面影は微塵もなく、壁一面に棚が据えつけられ、資料が無造作に突っ込まれている。
あまり几帳面な性質ではないらしい。微かに異臭が漂うのは、彼が薬学部の教授だからだろうか。
研究室はまた別の場所なのか、部屋には薬剤や機材の類は見当たらなかった。
「やあ、レジーナ君。久しぶりだね」
今年で六〇を越えるらしいが、本当だろうか? わずかに灰色が混じる髪は、豊かでさえある。
思わず看破を掛けそうになったのは、レジーナの情報を疑った訳ではない。ちょっと妬んだだけだ。
レジーナとリフター教授は、向かい合った椅子に座った。
俺はレジーナの隣に、クリスは後ろに立つ。狭い部屋なので、あまり距離が置けない。
レジーナが俺とクリスを簡単に紹介すると、教授は親しげに会釈した。
俺とクリスが同じ部屋にいることについて何も触れない。
貴族は従者の存在を、空気みたいに気にしないのだろう。
「こうしてここで君と再会すると、あの賑やかな日々が、つい昨日のような気がするよ」
懐かしそうに語る教授に、レジーナが恐縮する。
「学生の時分は、教授方にもたいへんご迷惑を」
「まったくだよ、君達にはどれだけ苦労させられたか…………」
「あの、教授?」
教授がしみじみと嘆くと、レジーナの口元が、ぴくりと引き攣る。
「レジーナ君が学院に君臨していた頃は、それはもう、うんざりするぐらい厄介事が続いたからね。参謀のサーシャ君と組んで引き起こした事件の数々は、今でも語り草だよ」
「教授、もうその辺で。供もおりますので…………」
レジーナがなんとか口を挟もうとするが、教授の饒舌は止まらない。
「わたしは自分の分だけでなく、他の教授達のためにも胃薬を毎日調合したものさ。被験者には事欠かなくて、結果的には薬効の高い成分の発見につながったからね。君のおかげで評価の高い論文が執筆できたよ、ははは」
乾いた笑いを漏らす教授の目は、どことなく虚ろである。
でもそれって、同僚達を実験台にしたという意味じゃないのか?
「ええと、それは、おめでとうございますと言いますか、申し訳ないと言いますか」
レジーナが横目でこちらを睨むので、素知らぬ顔を通す。俺は何も聞いてないよ?
「だけど、今にして思えば、あの頃が一番楽しい時間だったのかもしれないね」
口元を綻ばせた教授は、さてと仕切り直す。
「今日は何か用事があったのかい? 君が年寄りのご機嫌伺いをするような殊勝な人間とは思えないし」
「教授? その口、そろそろ縫い合わせてさしあげましょうか?」
レジーナが凄むと、何とはなしに教授と目が合った。
ほらね? そう言われた気がしたので、曖昧に頷いておく。
「実は、また学究生活に戻ってみようかと考えていまして。できれば学院に復帰したいと」
「うん、それはとても良い考えだね。優秀な君なら、どんな形であれ歓迎するよ」
教授の笑顔は、裏表なく嬉しそうだ。しかし無意識なのか、しきりに腹をさすっている。
「それでですね、霊礫について研究をしてみようかと」
「よしなさい、あんな下らないもの」
教授は笑顔を崩さぬまま、即座に切って捨てた。
「あれは、研究するだけ無駄な代物だよ」
レジーナは、意外そうな表情で教授を見詰める。
「お言葉ですが、霊礫には未知の可能性が秘められています。きっと医療の発展に大きな貢献を」
「もしや、霊薬のことが念頭にあるのかい?」
教授は、呆れたように首を振った。
「レジーナ君、わたしはね、霊薬は存在そのものを疑っているのだよ」
思わず、拳を握り締めた。この人は、何を言っているんだ?
「全ての病を癒す万能薬? もしそんなものが存在するのなら、薬学なぞ必要ない」
きっぱりと断言する教授。その言葉の力強さに、レジーナが動揺する。
「で、ですが教授? 霊薬を所蔵している王家が、貴族の当主に下げ渡しているのは、公然の秘密です」
「公然の秘密ではなく、噂話に尾ひれがついただけだよ。仮にもし、霊薬なんてものが存在するなら、どうして王家は大々的に喧伝して売り出さないんだい? 本当に効果があるのなら、きっと莫大な富を産み出すはずなのに」
レジーナが押し黙る。その顔にはためらいがあり、反論の言葉が思い浮かばないように見える。
「あれは一種のホラ話だよ。貯め込んだ貴族から金を巻き上げることを目的に、秘密めかした怪しげな薬を売りつけているのさ。ほとんどの貴族は本気にしないが、中には騙される人間もいるんだよ」
教授は、茶目っ気たっぷりに片目をつぶる。
「ほら、君のようにね?」
とうとう、レジーナは俯いてしまった。
教授は、膝の上で固く組まれたレジーナの手を、ぽんぽんと叩いた。
「そんなことよりも、その後の具合はどうなんだい?」
「…………はい、おかげさまで。すっかり良くなりました」
顔を上げたレジーナが、ぎこちなく笑う。
「そうか。それは良かった」
リフター教授は、優しく笑って頷いた。
◆
それから二人は世間話や昔話に興じ、時間を過ごした。
やがて教授に見送られ、俺達は学院を後にした。
帰りの道すがら、俺の思考は半ば麻痺して、同じことを繰り返し考える。
――――そんなことがあり得るのだろうか。
あのカティアが、荒唐無稽な与太話に踊らされるなんてことが。
もしも、あの教授の言葉が真実なら、シルビアさんは――――
「教授は、何かを隠しているわね」
レジーナの呟きで、我に返る。
「そうなのですか? そんな風には見えませんでしたが」
クリスは、俯き加減でとぼとぼ歩いている。彼女にも、先ほどの話はショックだったのだろう。
教授の言うことは、理屈が通っているのだ。
確かに万能薬なんてものが実在するなら、それを高値で売れば大儲けできるはずなのだ。
「あの方は元貴族の当主、腹芸だってできるはずよ。それに教授の態度は、明らかに不自然だったわ」
レジーナは振り返り、通りの向こうにある学院を眺めた。
「小さな疑問を大切に育てなさい。あの方が、最初の授業で生徒に告げる決まり文句よ」
それは、大切な思い出に耽るような口調だった。
「たとえどんなに愚かな発想だとしても、あの教授が他人の好奇心や探求心を頭ごなしに否定するはずがないわ」
彼女は、悔しそうに唇を噛みしめる。
「ごめんなさい、わたしの認識が甘かったわ。霊薬を入手するのは、予想よりもさらに困難なのかもしれない」
後悔するような口振りだが、逆に俺は安堵していた。
困難なのは、別に構わないのだ。それは最初から覚悟していたのだから。
そんなことより、教授が本当に誤魔化そうとしていたのなら、彼は霊薬について何らかの情報を持っていたことになる。
具体的な成果は得られなかったが、ヒントに繋がりそうな人物に遭遇できたのだ。
旅立ってからの五里霧中の状況からすれば、それは一筋の光明にも思えた
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【連載版】『わたしが見守る魔王な奥さま ~北の大地にて~』連載開始しました。
御用とお急ぎでない方はぜひ!
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