エピローグ 明けの明星
夜明け前の、まだ暗い時間帯に、わたし達は西の門の前にいた。
周囲には門の開放一番に旅立つ人々が集まり、ざわついている。
日暮れ前に隣街へ到着するためには、このぐらいの時間に出発しなくてはならない。
早立ちは、旅をする者の心得である。
検閲の順番待ちをしていると、後ろでヒソヒソと囁き合う声が聞こえてくる。
「どうして定期馬車で行かないんだ?」
「駄目なんですよ。お嬢さん、馬車に乗ると酔っちまうんで」
「あんなに貧弱なのに歩きで大丈夫なの?」
「泣き言やら休憩ばかりで面倒ですが、もう諦めてます」
「つまり、大丈夫ではないと?」
うるさいぞ、お前達。
検閲を受けた後、門を出る順番待ちの行列に並んだ。
「世話になったな」
王都へと帰還するわたし達を、見送りに来てくれた面々に挨拶する。
タヂカに、クリサリス嬢とフィフィア嬢だ。
宿屋の女将と娘御には、宿を立つ時に挨拶を済ませた。
わずかな期間だったが、彼女達は本当に世話になった。
娘御が抱きついてきて、涙を浮かべて名残を惜しんでくれた。
実に可愛い娘だ、こんな妹がいたらどんなに楽しいだろうか。
…………王都に連れて帰りたい誘惑に、ちょっぴり駆られた。
門番の兵卒が声を張り上げた。どうやら開門の時間らしい。
「ちょっと待ってください!」
冒険者ギルドの制服を着た女性が、こちらに走って来る。
セレス嬢だ。何事だろうか、挨拶は昨日済ませたはずだが。
目を凝らすと、彼女の背後に二人の男が従っているのが見えた。
近寄ってきて、男達の正体が分かった。霊礫を密輸しようとした、あの二人組だ、
二人組はわたしの前に立つと、なにやらモジモジと手足をすり合わせる。
訝しく思っていると、セレス嬢が二人を小突いた。
「「助かった! ありがとう!!」」
姿勢を正し、彼らは叫んだ。よく見れば、その顔は真っ赤である。
わたしはびっくりして、どう反応していいのか戸惑う。
笑い出したタヂカが、解説してくれた。
騎士団に捕らわれた彼らの無実を訴えたことが、功を奏したらしい。
牢には入れられたが拷問などをされずに済み、その礼を言いに来たらしい。
「見送りをしたいと言っていたくせに、寝坊したんですよ」
セレス嬢が肩をすくめ、二人は面目なさそうに頭を掻く。
「あんたのおかげで、五体満足でシャバに出てこれた」
「ありがとうよ! 感謝している!」
彼らの言葉に、嘘はなかった。
どうやら本気で感謝して、礼を言っているらしい。
理解不能な事態に頭が混乱し、しどろもどろになる。
冒険者は面子にこだわり、滅多に礼などしないと聞いている。
それに密輸の件で、ギルドは彼らに重い罰金を科したそうだ。
とうてい払いきれる金額ではないので、ギルドへの借金となる。
つまり彼らは長期間、ギルドにこき使われる羽目になったのだ。
彼らがわたしに恨みを抱いても、不思議ではない。
だけど、彼らの感謝の言葉は真実にあふれていた。
これからさっそく仕事だと、セレス嬢が二人を連れて帰った。
わたしは呆然と立ち尽くしたまま、彼女達を見送った。
タヂカの顔が、こちらを心配そうにのぞき込む。
「アステル、大丈夫か?」
「…………どうしてあの二人は、わたしに感謝したのだろう」
両親に不幸をもたらし、罪人に恨まれ、上層部からは煙たがられている。
初めて心を許し仲間となったタヂカ達さえ、危険にさらすような人間なのだ。
そんなわたしに、感謝する価値があるとは思えない。
誰にともなく問い掛けると、タヂカは考え込んだ。
「ちょっと待っていてくれ。もう少し先まで見送ろう」
そう告げて、彼はクリサリス嬢達を引き連れ、門番のところへと行った。
◆
タヂカ達の街出許可はすぐに下りた。
ギルドの証明札を提示すれば、冒険者は割と簡単に外に出られる。
彼は王都へと続く道を指差し、あそこの丘まで一緒に行こうと提案した。
丘の上に到着して振り返ると、街が一望できた。
あの街では色々なことがあったと、感慨深くある。
出来れば今度は、仕事抜きで訪れてみたいと思った。
東の空がほのかに染まり始め、夜明けが迫る。
タヂカはわたしの手を握り、仲間達から少し離れた場所へと誘った。
彼はわたしに向き直り、こう告げた。
「きみのスキルは、嘘を見抜くスキルではない」
タヂカが、ぎゅっとわたしの手を握る。その大きな掌が、ひどく熱い。
「何を言っているのだ、このスキルは他者の嘘を暴き、罪人を裁くための」
「違う、それは副次的なものに過ぎない」
タヂカが、わたしを見詰める。
その瞳は深く澄み、わたしの全てを呑み込みそうだ。
「きみのスキルは真実を守護し、貫くための力」
彼は東の空に目を向ける。つられてわたしも、同じ方向を眺めた。
あかね色が広がり始めた空の上に、ひとつだけ輝く星が残っていた。
「理不尽な運命を切り裂く、真実の剣だ」
彼がさらに言葉を紡ぐと、くらくらと目眩がしてきた。
「罪無き者が乞う、最後の救いの手。冤罪に陥れられ、絶望の闇に囚われた人々に、あの星と同じように夜明けをもたらす希望の輝きだ」
脚が震え、自分が信じていた大地が崩れるような気がした。
「≪星の乙女≫」
タヂカは息が掛かるほどに顔を寄せ、その名を口にした。
「それがきみのスキルの、真の名だ」
天空から落ちてきたように、何かがわたしの身体を貫いた。
その名を知ることにより、ずっと自分の中にいた存在を初めて知覚した。
目を背けていたもう一人の自分の姿を、心の鏡が映し出す。
星の乙女、それがそなたの名前なのか?
言葉なく問い掛けると、その存在がほほ笑んだ。
手を伸ばすと、互いの指先が触れる。歩み寄ると、相手の中に溶け込でいく。
そうしてわたし達は、ひとつの存在になった。
「だけど、そのスキルには…………」
「いいのだ、いま分かった」
言いよどむタヂカの言葉を遮る。
完全な融合を果たしたわたしには、≪彼女≫の欠陥が理解できた。
その真の力は、わたし自身のためには発動しない。
だから自分の嘘にも反応しない。
自分以外の誰かのために働く、そういうスキルなのだ。
確かにわたしは、自分自身の利益のために、この力を使ったことはない。
思い当たる節がある。
前回、このスキルが惨状を引き起こした時も、今回と同じような状況だった。
わたしの力を欲した貴族が、人質をとって脅しをかけてきたのだ。
だが、当の貴族は半死半生となり、その身柄は国に捕らえられた。
そしてあまりの惨状にショックを受け、わたしに嫌悪感を抱いたのだろう。
人質にされた令嬢は、わたしに何かと絡むようになってしまった。
だけど彼女は今も、毎日を平穏に過ごしている。
あの時、わたしの身を守るために≪彼女≫は発動したのではない。
危機にさらされた令嬢を救うためだったのだ。
「たぶんそのスキルは、きみに辛い人生を強いることになる」
それもまた、理解できる話だ。
わたしのスキルは公式には認められない。
たとえ冤罪に陥った人々の無実を訴えても、取りあげられることはない。
無実の人々を救おうとすれば、苦難の道を歩むことになるだろう。
だからこそ、タヂカはわたしのスキルの意味を明かすことをためらったのだ。
だけど、それでも、今までよりもマシな人生を得ることができる。
あの日、タヂカが行方不明になった時、クリサリス嬢達は倒れた。
しばらくして様子を伺いに行き、扉の隙間から中を覗き込んだ時だ。
彼女達が、自決しようとしているのが見えた。
あまりの衝撃に、止めることもできずに息を呑んでいた。
しかし最後には凶器をしまい、抱き合いながら泣き出した。
タツは生きている、その歓喜の叫びは今でも耳に残っている。
正確には何が起きたのか、いまだに分からない。
ただ大きな過ちを犯したことだけは分かった。
自分という存在が、他人に災いをもたらす害悪なのだと悟った。
全てを元に戻そう、そう決意した。
彼らの前から消えようと、襲撃の際に物陰から招くヘイメルに身を投じた。
そんなわたしが、誰かのために成し得ることがあるのだ。
タヂカの嘘と同じように。
彼の嘘には、不快感を覚えない。
自分のためではなく、他の誰かのための嘘だからだと思う。
「この力に意味があるのなら、わたしは戦える。前に進むことができる」
今までずっと、暗い夜道を歩いてきたのだ。
夜明けの星は、わたしにも道を指し示してくれるだろう。
「ありがとう、教えてくれて」
わたしは素早くタヂカの頬に、唇を押し当てた。
きょとんとした彼の顔を見て、一矢報いた気分になった。
「行くぞ、ベリト」
わたしは監視人の青年に声を掛ける。
はいはいと、彼は軽い調子で返事をした。
わたしはクリサリス嬢、フィフィア嬢に手を振った。
二人とも笑顔だが、微妙に顔が引き攣っている。
しばらく歩いて振り返ると、タヂカが手を振っていた。
クリサリス嬢とフィフィア嬢も、片手で彼の頬をつねりながら、手を振っている。
わたしはもう一度、東の空に目をやり、夜明けの星を眺めた。
その輝きを胸に宿し、王都への道程を進んだ。




