第29話 ドアマット幼女と初雪草
ヘンリーの背中は、思っていたように楽ではありませんでした。乗馬のように鞍がないので、首にしがみつくしかないのです。
握力と腕の力が試されています。もう、必死です。こんなことなら、日々鍛えておけば良かった……。ああでも、ドアマット生活では、余計な体力を使う余裕はなかったですね。
あと、たぶんヘンリーは軽く流している程度です。全然、本気で走っていない。
それでも景色は飛ぶように後ろに流れてゆきます。汽車の窓から景色を眺めた時より速い。風を切る音が耳元でするのが、走馬灯の中の“じぇっとこーすたぁ”のようです。
ハァハァという荒い息遣いが聞こえます。躍動する筋肉の動きが直に伝わって来ます。その力強さに、感動すら覚えます。
森を駆けるヘンリーは素晴らしく頼もしく、自分の貧弱さが情けないです。
あ、握力が……限界です!
「ヘンリー、ヘンリー! ちょっと止まって下さい。ヘンリー……!」
三度、名前を呼んだら、ようやく止まってくれました。走り出した時も急発進でしたが、止まる時も急停止です。もう少し、手加減して欲しいです……。
ヘンリーの背中から降りて、腕と手をぶらぶらと振ります。……ガクガクします。
「これが、“手が笑う”という状態ですかね……。上手いこと言いますね……」
独り言を口にすると、ヘンリーが「わふっ!」と答えてくれました。律儀です……。
本格的な冬を目前にして、森はしん、と静まり返っています。葉を落とした森の木々の間を、冷たい風が吹き抜けてゆきます。乾燥で、頬がピリピリします。
「ヘンリー、寒いですね」
「わふっ!」
ヘンリーは寒くないと思います。もふもふですから。でも、良い返事をくれます。なごみます。
牧場では、わたしとヘンリーがいなくなって、心配しているでしょうか。書斎の置き手紙に、すぐに気づいてくれると良いのですが。
息が白く煙のようです。ふと思い立って、警ら隊のジョンソンさんの真似をしてみました。ジョンソンさんは、タバコの煙で輪っかを作れるのです。ポポポポと、頬を叩くと小さな輪っかを、口を開けると大きな輪っかを作れます。
……出来ませんでした。
気を取り直して、先に進みましょう。
天気は悪くないです。雲は厚いですが、時折り日差しも見えます。これなら、初雪に先を越されないですみそうです。
「ちょっと失礼しますね」
マフラーを外して、ヘンリーの肩に斜めがけにして結んでみました。赤ちゃんに使う、おんぶ紐の要領です。
「よいしょ、よいしょ」
ヘンリーとマフラーの間に、身体を入れて、結び目をもうひとつ作り、ギューっと結びます。これで少しは、楽になるでしょうか?
「ヘンリー、苦しくないですか?」
「わふっ!」
「じゃあ、お願いします。お山まで、このまま行きましょう!」
「わふっ!」
また急発進です! でもマフラーおんぶ紐、いい感じです。長く編んでもらってよかったです! ちなみにボンボンはわたしが作りました。
おんぶ紐のおかげで、周囲を眺める余裕が出来ました。空を見上げると、鳥の群れが矢印のような形を作って飛んでいます。あれが“渡り鳥”でしょうか。暖かい地方へと、長い旅をするそうです。
あ、リスさんです! 尻尾がふわふわです! 確か、リスさんは冬眠しない動物です。動物図鑑に載っていました。
あー、もう見えなくなっちゃいました。ヘンリー、速いです……。
ヘンリーはしっかりとお山を目指して走ってくれています。小川も倒れた大木も、軽々と飛び越します。ヘンリーがジャンプすると、身体が浮き上がって、お尻がヒュンってなりますね。未知の感覚です。
地面がだんだんと上り坂になって、木がまばらになりました。露出した岩が目立ちはじめて、景色が少しずつ変わってゆきます。
「森を抜けたんですね。ヘンリー、ちょっと止まってもらえますか?」
今度は降りずに、ヘンリーの背中で植物図鑑を広げます。
「えっと、“下草のない乾燥した土を好み……”でしたよね。まだ初雪は降っていないから、葉っぱや茎は枯れていないはずです」
葉っぱは菱形で縁がギザギザしてます。手のひらみたいに五枚セットで茎の先っぽに茂っていますね。薄くて、艶のない葉っぱです。葉脈がくっきりと見えます。
「よし、覚えましたよ。行きましょうか」
少しスピードを落としてもらって、周囲を見渡しながら進みます。ヘンリーも地面の臭いを嗅いだり、茂みに鼻先を突っ込んだりして楽しそうです。
しばらく行くと、開けた場所に出ました。下草があまりなく、ゴロゴロと石ころが転がっています。
「ヘンリー、降ろして下さい」
おんぶ紐から抜け出して、地面に降り立ちます。ヘンリーから離れると、途端に寒いです。
「ちょっと見て来ますね」
ところどころに群生している植物を、ひとつひとつ確認します。ざんねん、ここにはありません。
ヘンリーと連れ立って、それらしい場所を歩きながら探します。
そうして、見つからないことで、少し焦りはじめた頃、初雪草の群生地を見つけたのです!
「ヘンリー! ありました! これです! 初雪草です」
ギザギザの葉っぱです! 手のひらみたいに五枚、薄くて艶のない葉っぱ……。間違いありません!
「掘りますね……!」
肩掛けカバンからシャベルを取り出し、慎重に掘ってゆきます。ヘンリーがわたしの真似をして、近くの地面を掘りはじめました。
「ヘンリー、そこには何も……。いいえ、楽しいならいいです。良かったですね」
慎重に掘り進めると、薄いオレンジ色の地下茎が見えて来ました。図鑑と同じです! 初雪草の地下茎は、ニンジンに似ていることから、『初雪ニンジン』と呼ばれるそうです。
辺りを見回すと、まだ四〜五箇所に同じ葉っぱがあります。
「確か野生の植物は、全部採ってはいけないんですよね? あとひとつくらいは良いでしょうか?」
振り返ってヘンリーに言ったのですが、ヘンリーは夢中で穴を掘っています。あまりに楽しそうなので、笑ってしまいました。
植物図鑑と初雪草の地下茎を、茂みの上に置いていた肩掛けカバンに仕舞おうと、手を伸ばしました。
すると、肩掛けカバンはスルリと滑り落ちたのです。
「あっ……」
落ちちゃう。わたしの宝物の、肩掛けカバン。ダグラスさんが、買ってくれた……。
滑り落ちた肩掛けカバンを、追いかけたわたしの身体がふわりと浮き上がって、お尻がヒュンっとなりました。
ヘンリーがジャンプした時と、同じです。
「あれ……?」
茂みの向こう側は、急な斜面だったのです。わたしの足は地面を踏みしめることはなくバランスを崩し、斜面をゴロゴロと転がり落ちてしまいました。
枝が頬を掠め、冷たい地面で何度も身体が跳ねました。
空がぐるぐると回り、どちらが上か下かもわかりません。
た、助けて、ヘンリー!
読んで頂きありがとうございます。
緊迫した場面であとがき書くの、むずいです笑
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