番外編 その頃、グリーンウッド邸では
エルシャの取り調べの前に行われた、グリーンウッド邸の取り調べの様子と、それからしばらくしたあとの三人です。
キャサリン・グリーンウッドは膝の上の扇子を、屈辱で強く握りしめた。応接室の対面のソファには、エバンス取り調べ官が座っている。
エルシャが警ら隊に保護されたことも想定外だったが、まさか自分が取り調べ対象になるとは、思ってもいなかったのだ。
何でよ! 継子の折檻なんて、当たり前じゃない! 自分の子供でもないのに……目障りなだけだわ! ましてやあの子、前妻にそっくりなんだもの!
『何で私がこんな目に……』という怒りは、理不尽にもエルシャへと向かう。
それもこれも、あの子のせいだわ! 帰って来たら思い知らせてやるんだから!
だがキャサリンの表情は、慈悲深い義母そのものに見えるのだ。内心を取り繕うことに長けているからこそ、この家の後妻へと収まったのだ。
「エルシャは……あの子は我儘で、手に負えませんでしたの。暴れて物を壊すことも多くて。わたくし、義母として当然のしつけしか、しておりませんのよ」
「食事を与えなかったというのは?」
「とんでもない! 与えても、あの子が口にしなかったのです。自傷の癖もあって……全部、後妻のわたくしへの当てつけなんですの……」
前妻の娘に辛く当たられる、哀れな後妻のふりはお手のものだ。今までも、社交のたびにこうして同情を誘っていたのだ。
エバンスは、『そうですか』とも、『信じられません』とも言わなかった。ただ、黙ってペンを走らせて、キャサリンの取り調べをすぐに終わりにした。
エドワード・グリーンウッドは、自身の執務室から動こうとはしなかった。エバンス取り調べ官を呼びつけて、聞かれる前からエルシャが保護された夜と同じことを口にした。
――アレのことは全て妻に任せてある。
――虐待の報告などは受けていない。
「奥方は、エルシャ嬢が反抗的で手に負えないと仰っていますが、その報告は?」
「それも聞いておらん」
エバンス取り調べ官は終始、表情を変えずにペンを走らせた。貴族が自分に都合の悪い証言などするはずがないのだ。
エバンスは無駄なことに時間を割くつもりはない。
だが、さっさと退室しようとしたエバンスの後ろ姿に、エドワードが声をかけた。
「アレを邸に戻すよう、手配しろ。妻と義娘には言って聞かせる」
エバンスは、『それは知っていたと言っているのと同じなのでは?』とうんざりしたが、それを口にすることはなかった。
エドワードの取り調べもすぐに終わった。
エミリー・グリーンウッドは、エバンス取り調べ官が入室した際には、すでに泣いていた。その後も『でも』と『だって』を繰り返し、要領を得ない。
だが、エミリーの証言は、胸糞が悪くなるものだった。
――お母様が楽しそうにエルシャを叩くから、わたしもやってみたくなって……。
――エルシャよりわたしの方がえらいんだから、叩くのも蹴るのも、当たり前なんじゃないの?
――誰にも叱られたことなんかない。お義父様だって見ていても、何も言わなかったわ。
皮肉にもまだ九歳の子供であるが故に、エミリーのこの証言がキャサリンとエドワードの嘘を暴いていた。エバンスは、この娘がこのまま育ったら恐ろしいなと思ったが、宥めることも諭すこともしなかった。
エミリーの取り調べも、そう時間を取られることはなかった。
長引いたのは、まとめて行われた使用人たちの聞き取りだった。
――奥様の命令で食事を用意しなかった。
――エルシャお嬢様がムチで叩かれるのは日常だった。
――奥様を止めようとした使用人はクビになった。逆らったら自分もクビになると思った。
――このままではエルシャお嬢様が死んでしまうと思って、本当は怖かった。
使用人たちは堰を切ったように口々に訴えた。
誰も止めなかったこと、誰も助けなかったこと。罪の意識から逃れるために発する声は、ずいぶんと薄汚く響いた。
保身に塗れた暴露は、エバンスが止めるまで続いた。書類の余白が足りなくなったのだ。
エバンスはため息をついて退室した。
ドアの向こうから『あんた、なに自分は悪くないみたいに言ってんのよ! 嘘ばっかりじゃない!』『あんたが仕事をお嬢様に押し付けてサボっていたのは本当だわ!』と、醜い争いが聞こえて来た。
エバンス取り調べ官は、もう一度大きくため息を吐いてから、グリーンウッド邸を後にした。
* * *
エルシャが叫んだ夜から、キャサリンの周囲は少しずつ不愉快になっている。
最初に変わったのは、近隣の住人たちだ。外に出るたびに視線が突き刺さるようだ。以前は愛想笑いを浮かべていた者たちが、今は明確な嫌悪の表情を向けて来る。
――前妻の娘を虐待していたらしいわよ。
――聞いたわ! 食事も満足に与えないで、物をぶつけたりムチで叩いていたんですって!
――人の心がないのかしら。恐ろしい……! 亡くなった奥様も浮かばれないわね。
――金遣いも荒そうよね。見て、あの品のないドレス……!
人に妬まれるのは慣れている。身の程知らずの囀りなどはあまり気にならなかった。
だが、徐々にお茶会の招待状が減りはじめ、とうとう昨夜は出かけた夜会の主催者に『今日のところはお帰り下さい』と、入場を断られたのだ。
キャサリンの評判は地に堕ちている。
何故こんなにも早く噂が広まったの? 継子虐めなんて世間には掃いて捨てるほどにあることでしょう?
「こんなことなら、声が出ないようにしてやれば良かったわ!」
キャサリンはどこまでも反省などしない。自分が悪いなどとは、少しも考えないのだ。
エミリーの通う貴族学校にも、噂が出回ったようだった。
ランチに誘われなくなったと思ったら、一気に周囲から誰もいなくなった。遠巻きに、聞こえるように陰口を囁かれる。
――まあ、やりそうよね。ご覧になって、あの意地悪そうなお顔。
――伯爵令嬢だなんて威張ってらしたけど、あの方、連れ子なんですってよ。
――あら、じゃあ平民なのかしら?
――義妹の持ち物を盗んでいたらしいわ。皆さま、持ち物にご注意あそばせ。
そのうちに、机の上にゴミを置かれたり、持ち物を捨てられたりという嫌がらせがはじまった。
エミリーはわからなかった。
ついこの間まで、何の不足もなく幸せだったのに。自分にだけは優しい母とお金持ちの義父がいて、学校は楽しくて、憂さ晴らしにはエルシャを嬲れば良かった。
自分より下の人間には気など使う必要はない。下の人間は自分たちのために存在しているのだから。エミリーの側にいる大人は、皆がそうしている。
――だからなの……?
「わたしは学校でいちばん下の人間なの? 誰がそんなことを決めたの? みんなには何もしていないじゃない! ただエルシャに……軽い気持ちで意地悪を……」
――エルシャみたいに……。
――エルシャはわたしに、悪いことなんてしていなかった。
――エルシャも……『どうして』って思っていたの?
エミリーは教室の片隅の席で、自分の膝を見つめていた。自分がエルシャにしたこと、言ったことを思い返していた。
『自分が同じことをされたら、どう感じるのか』。そんなことを考えたのは初めてだった。
胸が苦しくて、潰れそうになった。
エドワードの周囲にも少なくない影響があった。
――君の評判、ガタ落ちだよ。“人でなしの悪魔伯爵”って呼ばれてる。
――うちにも小さい娘がいてね……可愛い盛りだよ。許せないんだ。わかるだろう?
友人だと思っていた者たちが、簡単に離れていった。
――家族を守らない人間に、商売は任せられませんな。
――取り引きですか? しばらく様子を見させて頂きたい。
長年の商売の相手にも距離を置かれた。
エドワードは、途端にやることがなくなった。座り慣れた執務室の椅子がやけに居心地が悪い。
『グリーンウッドって、“悪党の棲家”って意味があるらしいの。うちのご先祖様、なんでそんな家名にしたのかしらね』
亡くなった妻が言っていた。あれはいつのことだったか。
その時の妻の顔を思い出そうとしたが、ぼんやりと霞んで、すぐに消えてしまった。
夕闇が部屋を満たしても、家令の声が遠く響いても、エドワードはただそこに座り続けていた。
明かりが灯されてゆく邸の中で、彼のいる執務室だけが、暗闇に取り残されていた。
読んで頂きありがとうございます。サクッとエルシャ視点へ戻りますよ! 『第13話 ドアマット幼女と蒸気船の旅 その壱』は10/17 19:10に投稿します。ブクマや☆での評価・応援、よろしくお願いしますね。とても励みになるのです。




