74話【婚約者の悪評】
◇婚約者の悪評◇
ドスン!と椅子ごと倒れて、肩や背中を強打するサクヤ。
それでも、攻撃してきた相手に文句を言う事だけは忘れなかった。
「――な、なにをするのだサクラ!……わたしは寝ていないぞっ、断じて眠ってなどいない!少~し、ほんの少~しだけ目を瞑っていただけではないか!」
話は聞いていたと主張するサクヤ。
親指と人差し指で輪っかを作り「これくらい」と言うが、勿論サクラは却下する。
「ど~見ても寝てたわよっ……!」
もう一発ぶってやろうと、大きめのハリセンを構えるサクラ。
しかし、意外な事にローザがサクヤを庇った。
「――それくらいにしてあげなさいサクラ。サクヤは暫く寝ていないのよ……エドガーを見張っていたから」
「……え?エド君を?」
構えたまま固まり、スイング待機する。
「――そ。あの子、無茶をするでしょう?身体が動かないとはいっても、変に根性があるから……気が抜けないのよ」
ローザも【消えない種火】を使って、エドガーの状態は常に確認していた。
それは当然、現在も変わらない。
「それなら言ってくれればいいのに……」
「……た、叩かなかったか?」
「――いや、叩いたけど」
「何故だっ!?理不尽であろうがっ!……というか、その構えを解かぬか!……怖いだろうがっ!」
一縷の望みで、サクラが謝ってくれるかと思ったサクヤは「理不尽だっ!」と叫ぶ。
「これでも、【心通話】でローザ殿から聞いてはいたのだぞっ!?」
涙目でサクラに詰め寄り訴えかけるサクヤ。
その割には、サクラが構えたハリセンをまともに受けていたが。
「分かった分かった……あ、あたしが悪かったわよ……近い近い、近いって」
拳一つの距離まで顔を近付けるサクヤに、サクラは顔を逸らす。
「あ、あのぉ……そろそろいいですかぁ?」
「む……」
「――あ、ごめん」
若干引き気味のナスタージャが、痺れを切らして声をかけてきた。
サクラもサクヤも、大人しくなってローザの言葉を待つ。
「……――期限まであと7日、先ずはエドガーの魔力を回復させることを優先するわ。私達異世界人は、エドガーが居ないとまともに行動できないもの。エミリアの結婚、婚約を破談させるにしても、エドガーが居ないと何もできない。それはこの二人も同じよ」
エドガーがまともに動けない以上、異世界人であるローザ達が自由に出来る事は限られてしまうし、かなりのリスクがある可能性が高い。
「いいわね。まずは……そうね、2日後にまた来て頂戴。エミリアにも来てもらいたいけれど、恐らく無理でしょうから二人が何とか話をしてくれると助かるわ。あとは……婚約者である、えっと……誰だっけ?」
「セイドリック・シュダイハですよ、ローザさん」
「そう。その男の事を知りたいわね……サクヤ、出来る?」
ローザは【忍者】と言う職種を知らないが、サクヤが最も諜報活動に適していると判断して問う。
「む……?多少の時間をくれれば調べよう……しかし、主殿から離れてもよいものなのか?」
「この王都から出なければ大丈夫のはずよ……長い距離を試したわけではないけれど、おそらく少しの能力低下で済むわ」
「……それでも能力は下がるのか。まぁいい……任せよ!」
ローザは告げる。“契約者”のエドガーと離れるのは、確かに危険だが。
その時は身体が反応すると。距離が離れれば離れるほど、違和感を感じてくる筈だ。
ローザは一度、エドガーがマークスと会っているときに、少し試している。
「……にしても、随分と自信満々じゃない。【忍者】……」
自信満々に言うサクヤに、サクラは疑心の目で見る。
「それはそうだろう……隠密は、シノビの専売特許だからな……して女中殿、その男はどこにいるのだ?」
「え……あ、すみません。シュダイハ子爵家は、【貴族街第四区画】の西、【下町第五区画】の外壁に近い場所に屋敷を持っています。長子セイドリック殿は、【元・聖騎士】です。怪我が原因で引退していますが、【貴族街第四区画】の……娼館の経営を任されていると聞きます」
サクヤに振られるとは思っていなかったのか、フィルウェインが意外そうに驚いて返事をした。
「娼館……?」
ローザはピンときた。初めの頃に、エドガーが貴族街を案内しなかった理由、それがきっとその一つだろうと。
(エドガーが【貴族街第四区画】を案内したくなかった理由が分かったわね……)
「はい。【貴族街第四区画】は、娼館や酒場が大半を占める快楽街となっています。もちろん子供は立ち入れません。そしてそのセイドリックには、黒い噂もあるらしく……それが結婚を破談させたい理由でもあるのです……」
「黒い噂……?」
あからさまにダークなワードに、サクラは顔を顰める。
内心「貴族なんてそんなもんでしょ」とも思ったが、自重して口を噤んだ。
「セイドリック・シュダイハには、複数の女性との関係が確認されています。そしてその女性たちは……」
フィルウェインは嫌そうにするも言おうとする。
しかしローザが、フィルウェインが口を開く前に代わりに答えを出した。
「働かされているのでしょう……?その娼館で」
「……はい、そのようです」
「最っっっ低っ!!そんな奴がエミリアちゃんの結婚相手……?ふざけてる!」
「自分の女子に身体を売らせるか……虫唾が走るな」
「よくあると言えば語弊があるけれど……それも一つの商売なんでしょ、その男からすればね」
サクラもサクヤも、険しい顔で嫌悪感を露にする。
ローザも、口では軽く言っているが表情は固い。
「……」
しかしそれが分かっていても、勝手気ままに行動することはできないのが現状だ。
「世知辛いな……不動というものも」
動けるのに行動できないと言うやりきれない思いに、サクヤが呟く。
どうやら、寝ていてもエミリアを思う感情は持ち合わせていたようだ。
「仕方がないわよ。私達は本来この世界、この国の内情に口出ししていい立場じゃない。別の世界の常識や理念を持ち込むのは、世界そのものを変えるわ……そんなもん知るか……って言えたら、簡単でいいけれどね」
「そ、そっか……そうですよね……」
ローザの言葉に一番納得したのはサクラだ。
サクラの世界【地球】は、ローザの世界よりも、勿論エドガーやエミリアのこの世界よりも、最もテクノロジーが盛んな世界だろう。
【地球】だって戦争がなかった訳ではない。
サクラが生まれる前の大昔には、日本を二分する戦いだってあった。
ただサクラの生まれた時代は、現代機器や政治、世界情勢に歴史。
争いのない時代で生まれ育った事で、考えが尖らずに済んでいるだけで、異世界の中では特異中の特異なのだ。
――しかし、だからこそサクラは思う。
(あたしの世界の物や情報を、むやみやたらにひけらかすのは……良くないんだ、きっと)
サクラの学生鞄の不思議な能力で、サクラはいつでも自分の世界の物体を取り出す事ができる。個人で使うのは良しとしても、もし誰かに悪用されたら目も当てられない。
「お主の考えも分かるが、味方内なら大丈夫なのではないか……?」
そのテクノロジーに泣かされたサクヤが、表情を暗くし深刻に考えるサクラを何故かフォローする。
「……あんたねぇ、そんな簡単に……――いや、でも……そうかもね。今考えてもどうしようもないし、まずはエド君、そしてエミリアちゃんのことだけ考えることにするよ」
サクラは柔軟に対応し、考えをすぐさま切り替える。
「二人の世界は時代が違うだけでしょう?……なら、似たようなこともあるのだから、協力しなさいよ」
「――えっ!?……ロ、ローザさんにその話しましたっけ……?」
「確証を持つような会話はしてはいないはずだけれど、二人を見ていれば……何となく、ね」
意表を突かれた言葉に、サクラはぎょっとする。
「むぅ……やはりそうか。思っていてもそれらしいことは言わずにいたのだが、お主はやはり未来の人間であったか……」
サクヤも目を大きくして驚いてはいるが。
何を考えているのか、どうやら色々と一人で納得していた。
「いやいや……気付いてたんなら言いなさいよっ!――ってか過去とか未来とか分かってるの!?……と言うか、話が脱線してないっ!?」
セイドリック・シュダイハの話から何故かサクラとサクヤの世界の話になっていた。
「いえ……あなた方がいつも通りにしてくれているおかげで、何だか気も紛れました。ですが……お嬢様の事、どうか切に願います」
「……あっ。ますっ!」
フィルウェインは笑顔を見せつつも、ローザやサクラ達に頭を下げる。
ナスタージャもフィルウェインを倣って頭を下げた。
「分かってます。あたしたちもエミリアちゃんを助けたいですし……急ぎつつも順序を追って行きましょう。エド君の回復と、エミリアちゃんの意思の確認。それにセイドリック・シュダイハの情報……7日で何とかしないとね」
「お~。言うではないかサクラ。わたしも、その男を調べてみるとするか」
そう言うと、サクヤは椅子から立ち上がり後ろを振り向いた。
――その瞬間。
シュンッ!と消えてしまったサクヤ。
まさしく【忍者】な現象に、サクラは目を擦る。
「……こ、ここって室内……だよね?」
室内を見渡してサクヤがいないことを確認すると、深いため息を落として呟く。
「……やっぱ深く考えるのは無し。基準が違いすぎ……」
「サクラ。貴女も《石》を所持している事、忘れていない?」
「――あっ」
サクラの《石》、【朝日の雫】は、サクラの額に埋め込まれるように付けられた“魔道具”だ。
その効果で【心通話】が使えていたりしているのだが、どうも慣れていないのか、自分の能力だとは思えなかったようだ。
そんなサクラの心に、今し方出ていったサクヤから【心通話】で連絡が入った。
<……す、すまぬ。どこに行けばよいのだっただろうか……>
物凄く申し訳なさそうに、ごくごく小さな声で聞こえた助けに、サクラもずっこける。
よく見たら、ローザも椅子からズルッと肩を透かしていた。
<まったく、馬鹿【忍者】……貴族の街の第四区画よ。名前は【サファラス】。この前、【下町第四区画】に行ったでしょ?……その北の門から入れるから、そっから行きなさい)
本当は、【貴族街一区画】から直接行けるが、腹が立ったので遠回しを教えるサクラ。
(このくらいは大丈夫でしょ)
サクヤに聞こえないように、心の中で呟く。
<す、すまぬなサクラ。くれぐれもローザ殿には内密だぞ?>
<全部聞こえていたわよ……>
<……っ!>
ローザが肩を透かせたのは、サクヤの【心通話】がローザにも聞こえていたからだったらしい。
まずいと思ったのか、サクヤはそれ以降話さなかった。
気まずかったのかやばいと思ったのかは分からないが。おそらくセイドリック・シュダイハを調べに行ったことだろう。
「ホント疲れる……」
「それじゃあ。貴女達も屋敷に戻って、エミリアを探ってみてくれる?エドガーの事も、それとなく伝えてみてくれればいいわ。少しでも反応すればいいでしょう」
「かしこまりました」
「分かりましたぁ」
甲斐甲斐しくローザに頭を下げるロヴァルト家のメイド二人。
(まるで、ローザさんがご主人様みたいだよ……)
サクラは、見事に指示を出すローザこそが、メイドの主なのではと錯覚しそうになった。
「さぁ、私達もエドガーのところに行きましょうか。サクラ、そろそろ限界そうよ、あの子」
「……はい。何となく分かります」
こうして、それぞれ行動を開始する。
悪童貴族・セイドリック・シュダイハとエミリアの婚約まで、あと7日だ。




