第130話 ××××!/抱擁障壁
-××××!-
き、きゃああああああああああああああ!
ヴァリスが、ヴァリスと、ヴァリスに、あたしに、あたしと、あたしが……!
いったい何が? どうしてこうなったの? なんで? わけわかんない!!
「む、んむむむむむ!」
「む?」
目の前が真っ白だ。流せるだけの涙は流し切ったはずなのに、目の前が熱く潤んで、視界がぼやけて、なのに彼の顔だけがはっきり見えて……。
身体に力が入らない。全身が熱くて、溶けてしまいそうな感覚がする。ヴァリスに身体を抱きかかえられているせいで、倒れることはなかったけれど、一人だったら立っていられないほどだ。
あたしはギブアップをするように、彼の肩をぱしぱしと叩く。
「む?」
「ぷは!」
ようやく唇を離してくれたヴァリスの顔を、あたしはまともに見上げることができない。下を向いたまま、早鐘のように鳴る心臓を片手で押さえ、荒く息をつく。
「すまん。知識としては知っていたのだが、実践するのは初めてだったせいか、加減がわからない」
「じ、実践って……」
耳まで赤くなっているだろうことを自分で自覚しながら、あたしはどうにか息を整える。
「無論、接吻のことだ。愛し合う男女の儀式のようなものだろう?」
「あ、愛し合う……」
ほ、ほんとに? ……ようやく今になって、実感がわいてくる。ヴァリスが、あのヴァリスが、あたしのことを愛しているって言ってくれた。そ、それだけじゃなくて、キ、キスまで……。ど、どうしよう? 嬉しすぎて死んでしまいそう……。
こ、これであたしとヴァリスは、正真正銘、恋人同士なの? ううん、『つがい』ってことは、もしかして『夫婦』? け、結婚しちゃったんだ、あたしたち! あ、でもでも、人間の世界の結婚はまた別物なんだし、結婚式はちゃんと挙げないといけないし、……結婚式の後は……って、ううん、そうじゃないでしょ!?
「違うのか? たった今、アリシアは我に恋愛感情を抱いてくれていると感じたのだが……」
「え? あ、ううん! ご、誤解なんかじゃないよ? でも、その、いきなりキスなんかされたら、びっくりするじゃない……」
彼にしょんぼりとした声を出され、あたしは慌てて否定する。
「嫌だったのか?」
なんて馬鹿なことを訊いてくるんだろう、彼は。
「そんなこと言わせないでよ!!」
あたしは怒ったようにそう言うと、ようやく顔を上げて彼を見る。
……あれ? なんだろう? 彼の心がわかる……。あたしのことを本当に愛してくれているのが伝わってくる。これまで、どんなに見つめても全くわからなかった彼の心が……。
「我にもわかるぞ? アリシアの考えていることがな。……なるほど、これはなかなかくすぐったいものだな」
「え? え?」
あたしの心が読まれてる? うそでしょ? それってまさか……さっきまで頭の中を巡っていたあんなことやこんなことが、全部伝わってるの?
「そうだな。確かにルシアの……いやあれはノエルだったか。彼女の言うとおり、我は今後、人間同士の愛の形というものを学んでいく必要はあるのかもしれん」
「いやあああああ!」
このとき、あたしの身体が万全の状態だったなら、辺りを全力で走り回っていたに違いない。うう、心を読まれるって、大変なんだね……。
「……ね、ねえ、まだ、敵も残っていることだし、その辺にしておいてもらえると助かるんだけど……」
「へ? シ、シリルちゃん? い、いつから?」
「……初めからに決まってるでしょう? もう……」
シリルちゃんの顔が真っ赤に染まっている。い、今の、全部見られてたんだ。は、恥ずかしい……。それでもあたしには、言わなきゃいけない言葉がある。
「シリルちゃん……ありがとね。シリルちゃんの想い、ちゃんと届いたよ」
「ア、アリシア……」
ヴァリスから身体を離したあたしは、ゆっくりとシリルちゃんに近づこうとする。けれど、シリルちゃんの方が動きが速かった。ものすごい勢いであたしの胸元に飛び込んでくる。
「う、うああああ! よかった、ほんとに、よかった!」
あたしの胸で泣きじゃくるシリルちゃん。あたしの服はモンスターの血でベトベトなんだから、せっかくの可愛い顔が汚れちゃうよ? ……でも、本当にありがとう。シリルちゃんがあたしの親友で、本当に良かった。
「……さて、後は貴様らに引導を渡してやるだけだな」
ヴァリスが鋭い声で黒鉄の城を見上げながら言った。
あたしをこの塔のてっぺんまで運んできた、『パラダイム』の移動要塞。
『ラグナ・メギドス』というらしいその巨大建造物は、天守閣部分が大きく破損しているものの、変わらずその威容を宙に浮かべていた。
〈……十三体、か。万全とは言い難いが、それでも確実に覚醒した『ジャシン』はいたはずだ。それだけでも、【ヴァイス】の確保には十分だ。……ならばこれは、失敗ではない〉
負け惜しみのような『真算』のラディスの声。
それにしても、周囲のモンスターは何なんだろう? 塔の頂上を包む淡い金色の燐光に阻まれて、こちらには近づいてこれないみたいだけど、これってまるでアルマグリッドの時みたいな……
「貴様の負けだ。負けを認めぬと言うのなら、隠れていないで出てきたらどうだ」
〈そんな挑発に誰が乗るものか。確かに貴様の【魔法】は大したものだ。敵性体のみを選別して破壊し続ける光の領域。『竜族』の“超感覚”と破壊の力を組み合わせたような、規格外の代物だと言えよう。だが、くくく……〉
「何がおかしい?」
〈規格外と言うなら、この『ラグナ・メギドス』こそが最大の規格外だ。そのことを今、思い知らせてくれる〉
嫌な予感がする。声の調子だけで彼の思考が把握できるのは、あたしの力がヴァリスとのつながりで強化されているからだろうか? 弱っていたはずの身体の調子も少しずつ戻ってきているみたいだし、きっとそうなのだろう。
「ヴァリス! こいつ、塔もろともあたしたちを撃つつもりだよ!」
「く! させるか!」
《閃光の吐息》!
ヴァリスが掌から破壊の閃光を放つ。まっすぐ『ラグナ・メギドス』に伸びたそれは、しかし、命中する前にその方向を捻じ曲げられ、あさっての方向にいたモンスターの群れを消し飛ばす。
〈ただの力押しで破れるものではないと、言ったはずだろう?〉
「……空間結界か」
〈さあ、終わりだ。今この場で、忌々しい貴様らをまとめて滅ぼしてやろう〉
黒鉄の城から伸びる砲塔の一つが、あたしたちに向けられる。そこに収束する凄まじい力は、シリルちゃんじゃなくても感じ取れるほどのものだった。
「くそ! ここまで来て……!」
「シリル! 『ファルーク』で退避を!」
「駄目よ! 下にはまだ他の皆がいるわ! あの威力じゃ、塔そのものが消し飛ばされる!」
ヴァリスとエイミア、それにシリルちゃん。あたしを助けに来てくれた三人が焦りの声を上げている。あたしは大きく息をつく。
「大丈夫だよ、みんな。……今度は、あたしがみんなを護るから。……シリルちゃん。あたしの【魔鍵】、持ってるよね?」
「え? ええ……。でも、アリシア?」
あたしはシリルちゃんから受け取った小楯を腕にはめると、一歩、前に踏み出した。自分しか護れない、そんな力はいらない。あたしが欲しいのは、みんなを護れる力なんだ。そのためには、誰かを拒絶する力じゃなく、護りたいものを受け入れる力でなくちゃいけない。
──途方もない恐怖と絶望の中で感じたもの。
世界中に眠る『ジャシン』との同調の儀式。目の前で叫ぶモンスターの中から響く『彼ら』の声を聴く儀式。暗闇の中、聞こえてきたのは悲哀と絶望、憎悪と敵意の四重奏。
“同調”とは理解ということ。あたしは、彼らの悲しみを理解した。理解されたことを知った彼らは、あたしに向かって手を伸ばす。愛してほしい、包んでほしいと幼子のような手を伸ばす。
闇の中で、心を掴まれ、心をまさぐられ、どうすることもできないあたし。
一方的な愛を求める、愛に飢えた『子ども』たち。
あたしの心の一番奥に、彼らの手が届こうとした、その瞬間。何かに驚いたかのように、彼らは遠ざかっていく。そして気が付いた時には、目の前のモンスターが破裂する。
何が原因なのか、その時はわからなかった。でも、今ならわかる。ヴァリスと繋がることで、あたしは自分の想いを、【魔力】を、それ以外の『何か』を増幅できるようになっていた。
今ならきっと、あたしの声もあたしの中の『彼女』に届く。
時間が止まったような闇の中。うずくまる一人の少女。
あの時と同じように、拒絶の言葉を繰り返している。
〈いや! 違う! こんなの、違う! こんなの知らない! これはあたしじゃない! あたしは悪くない。酷い……悲しい……可哀そう……。ううん、違う! あたしは知らない!〉
「レミル……」
〈だ、だって、だって、違うもの……。あたしは正しい。『神』なんだから、間違ってない! あたしは『脅威への抵抗』。だから、コレは拒絶する!〉
「レミル! 違うよ、それじゃ駄目なんだ」
〈……え?〉
彼女は振り向く。届いた。やっと、届いた。
「神様だって間違うよ。だから、『あなたたち』は今、こんな状態なんじゃない!」
〈それは『邪神』が! アレが全部悪いんだから!〉
神々の罪の意識。偽りの存在。誤魔化しのためのスケープゴート。
邪神──事象魔法《異世界からの侵略者》。
「ごまかしても駄目。あなたは間違ってる。でも、それでいいんだよ? 醜くても、卑しくても、弱くても、間違っていても……それでもレミルはレミルだもの」
〈あなたは、だれ?〉
黒髪を異様に長く伸ばした女の子。上目使いにこちらを見上げる彼女の顔を見つめながら、あたしはにっこりと笑みを浮かべる。
「もうひとりのあなた、みたいなものかな?」
〈もうひとりのあたし?〉
「うん。あたしもね、ずっと自分を拒絶してきた。だから、わかるの」
〈自分を拒絶? ううん、あたしは『正しい』。間違ってるのは、あたしじゃない〉
「それが拒絶なの。周囲を否定して、自分の身だけを護ろうとする。でも、それって結局は、『本当の自分』を拒絶しているだけなんだよ。世界の否定は自分の否定。それじゃ、自分しか護れないし、自分だって本当の意味じゃ護れない」
〈だ、だったら、どうすればいいの?〉
「受け入れるの。どんなに醜くてもちっぽけでも情けなくても、そんな自分をまず認めるの。そうしなければ、変わっていくことだってできないわ。変わることを恐れない。まず、あたしたちはそこから始めなきゃね?」
あたしの言葉に、少女は顔を上げる。
〈……ねえ、あなた、名前は?〉
「アリシアよ。アリシア・マーズ」
〈アリシア・マーズ……。いい名前だね〉
「ふふ、ありがと。あなたの名前も教えてよ」
〈……あたしはレミル。レミル・サージェ……ううん、違う。──レミル・マーズ。我が神性は“抱擁障壁”。すべてを受け入れ、進化を続けてすべてを護る。『許容する希望の霊楯』〉
闇の世界に、光が広がる。
-抱擁障壁-
我らを護るように一歩前に進み出たアリシア。その身体が淡く輝いているのは、我の使った《転空飛翔》の影響だろう。しかし、それだけではない何かが、彼女の身体からは感じられる。
あの絶望的な力を前にして、彼女自身が言ったように「大丈夫」と思わせるような希望が感じられるのだ。
〈死ね!〉
「レミル、やるわよ」
〈うん〉
気づけば、アリシアの隣には、黒髪を足元まで伸ばした少女が立っていた。レミル……ということは、あれが【魔鍵】に宿る『神』の意識か?
〈さあ、おいで……。この手はあなたを優しく包む。愛する我が子を護る腕〉
淡い輝きが我らを、否、塔全体を包み込む。
|《抱擁障壁》(バリアブル・バリア)!
〈何をしようが無駄なことだ!〉
ラディスの嘲笑の声が聞こえる中、全てを破壊する猛烈な力の渦が放たれる。
|《解放の角笛》(サージェス・ホルン)!
視界が純白に染まる。人身のまま【竜族魔法】を使用する感覚に慣れていない我は、とっさに何らかの【魔法】を放つこともできないでいた。
だが、我らの前に立つアリシアは、真紅に染まった服をたなびかせたまま、微動だにせず立ち尽くしている。
〈そ、そんな……! 馬鹿な……〉
音さえも残さず光が消え去った後には、ラディスがうめく声だけが聞こえてくる。
「うそ? 今のを防いだの?」
シリルがようやく気が付いたように、辺りを見回す。放たれた破壊の力は、周囲のモンスターどもを消し飛ばしはしたものの、塔そのものについては、一切破壊することができなかったのだ。
「アリシア? お前がやったのか?」
どうにか問いかけの声を発した我に、くるりと振り向いたアリシアが笑いかけてくる。
「うん。レミルと一緒にだけどね」
半分身体が透けたような姿で、彼女の隣に立つ少女が頷く。だが、断片とはいえ本物の『神』が遺した力そのものに、人間が使う擬似的な【事象魔法】が打ち勝つなど信じがたい話だ。
「神性“抱擁障壁”──護るべき者が多ければ多いほど、護りの力も強くなる。……もっとも、ヴァリスのおかげで使えるようになった力だけどね」
「……『竜族』の【種族特性】“竜族魔法”ね。レミルの『神』としての力を増幅したということかしら」
アリシアの言葉に、シリルが納得したように口を挟んできた。【魔法】の名としてではなく、特性として「“竜族魔法”」という言葉を使う場合には、『竜族』が備え持つ『体内魔力の増幅』能力も含めた意味になる。
これも『真名』を呼び交わし、『つがい』となった効果だろうか?
──と、そこへ
「悪い、遅くなったな」
そう言って階下から梯子を上ってきたのは、ルシアだった。
その後にはレイフィアとシャル、それから……あれはエリオットだろうか? 随分と『ワイバーン』に近い顔立ちになっているようだが……。
「ルシアくん!」
「お、アリシア。元気そうで良かったよ。まあ、ヴァリスの奴の焦りっぷりからすれば、俺が着く前に助け出すだろうとは思ってたけどさ」
「え? そうなんだ……。そんなに焦ってくれてたんだ?」
ルシアめ、余計なことを。
「エリオット! 良かった、無事だったんだな?」
「ア、え、えいみあ……サン」
駆け寄っていくエイミアに、エリオットは怯えた様子で後ろに下がろうとする。
「どうしたんだ?」
「ア、ソ、ソノ……」
自分の顔に手を当てながら、視線を彷徨わせるエリオット。その様子を見てとったエイミアは、呆れたように息をついた。
「まったく、余計な心配をして……。わたしを見損なうなよ? その姿を見てわたしが感じることは、ひとつだけだよ」
「エ?」
「……よく頑張ったな」
「ア……」
「ありがとう、エリオット。君がわたしを先に行かせてくれたおかげで、奴らに一矢報いることができたんだ。アリシアを助けることができたのも、そのおかげだよ」
「え、えいみあサン……」
「ここのところ、わたしは君に助けられてばかりな気がするよ。どうせ、君のことだ。自分は無力だとか思っているのかもしれないが、馬鹿を言うな。君がわたしをどれだけ気遣ってくれているのか、いくらわたしが鈍いと言っても、その程度のことに気付かないわけがないだろう?」
エイミアの言葉に、エリオットは涙を流しているようだった。
「さて、じゃあ後はあいつを殺すだけだな」
「ル、ルシア?」
殺す、というあまりにも直接的な表現を口にしたルシアに、シリルが驚きの視線を向ける。
「悪い。驚くよな、そりゃ。でも、実際に『切り離し』作業を担当した俺としちゃ、それぐらいは言わないと気が済まないんだ」
「あ、ご、ごめんなさい……。貴方に一番大変な、嫌な作業を押し付けて……なのに、お礼も言っていなかったわ。アリシアを助けられたのはもちろん、あなたの……」
「いいって。そんな意味じゃないし、そんなの当然だろう? 俺たちは全員、アリシアを助けに来たんだ。ここにいるレイフィアだって、随分頑張ってくれたみたいだしな」
「へ? いや、あたしはほら、借りを返さなきゃいけなかっただけだし……」
いきなり話を振られて、あわてたように弁解するレイフィア。思えば、【人造魔神】などという強敵を相手に、一人残ると言ってくれた彼女の功績は非常に大きいだろう。
「かたじけない。我からも礼を言おう」
「うう、めんどくさいからやめてよね。そういうの」
レイフィアは、そう言って照れ臭そうに頭を掻いた。
〈……ここにあるのは『無限の力』だ。何度でも、貴様らを滅ぼすまで撃ってやる〉
ラディスは低い声で言った。
「なあ、シリル。『ファルーク』を借りるぜ」
それに反応するように、脈絡なくシリルに呼びかけたのはルシアだった。
「え? ちょっとまさか……」
〈『ファルーク』! わらわたちをあの城の上空まで運ぶのだ〉
戸惑うシリルの声に重なるように、ファラの声が響く。
〈キュ、キュア?〉
シリルの隣に舞い降りたまま、首を傾げる『ファルーク』
〈む? わらわの言うことが聞けんのか? ふふふ、後でたっぷり可愛がってやるぞ?〉
〈キュアアアア!〉
よくわからないが、一匹と一人(?)の間では会話が成立しているらしい。【召喚獣】である癖に、なぜかシリルの意思も確認しないまま、『ファルーク』はルシアを乗せて飛び上がる。
「おい! 何をする気だ!」
「ああ、ちょっとあいつをぶっ殺してくる」
我の問いかけに、散歩に行ってくるとでも言うような気軽さで返事をするルシア。まさか、一人で『ラグナ・メギドス』に突入するつもりか?
「え? 嘘でしょ? 無茶よ!」
「他のものには目もくれない。心配しなくてもすぐ戻る!」
さすがに驚いたシリルが制止の声を上げるも、ルシアはまるで取り合わない。
……今、わかった。
ルシアは、尋常ではないほどに怒っている。今までも何度か彼が怒りを露わにするところなら見てきた。だが、これは恐らくケタが違うのだろう。
本当に怒った時のルシアは、きっとこうなのだろう。怒りをすべて行動に変えている。それも顔色を変えたり、叫んだりといったことではなく、これ以上なく実質的な行動のみに特化しているのだ。
──ゆえに、誰にも止められない。これに近い状態になったルシアを見たのは、『魔導都市アストラル』脱出時にカシム博士を相手取った時ぐらいだろう。
やがて『ラグナ・メギドス』上空にまで達した『ファルーク』の背から、ルシアが飛び降りる。
〈馬鹿な! なんと非論理的な! 愚かな! 結界に弾かれて死ぬがいい!〉
「結界だと? そんなもん、知るか!」
振り下ろされる【魔鍵】は、あっさりと空間の歪みを断ち切り、ルシアはその隙間から城の天守閣部分へと降り立った。あの高さから落ちても平気なのは、恐らく『放魔の生骸装甲』の効果で衝撃をすべて体外に逃がしているからだろうが、それでも無茶をするものだ。
「……行っちゃったね」
唖然とした声でつぶやくアリシア。
「もう! 勝手な真似して!」
シリルは憤慨したように叫ぶ。視線の先には、所在なげに上空を旋回する『ファルーク』の姿がある。我の目には、主人であるシリルに怒られるのではないかと怯えているようにも見えた。
「……別に『ファルーク』に怒ってるわけじゃないわよ。とりあえず、戻っておいで」
〈キュ、キュアア……〉
羽ばたきの音を立てながら、シリルの元に舞い降りる『ファルーク』。
「だ、大丈夫かな、ルシア……。一人で突入しちゃうだなんて」
まったく無茶もいいところだ。シャルが心配するのも無理はない。塔の中でさえあれだけの罠があったと言うのに、よもや『ラグナ・メギドス』内まで乗り込もうとは。
「……シンパイはイラナイよ。イマのカレをトメラレルヤツなんてイナイさ」
ぎこちない口調で、そうつぶやいたのはエリオットだった。そのすぐ後ろでは、同意するようにレイフィアが頷いている。
「あれは反則だよね。ブチ切れモードって言うかなんていうか。あそこまで『常識』が通じない人間なんて、初めて見たよ」
どうやら二人とも、ルシアがここまで上がってくる間に見せた戦いぶりに感じるものがあったらしい。とはいえ、それでも心配するなと言う方が難しい。シリルの様子を窺えば、必死に指輪をはめた手を祈るように抱えながら目を閉じていた。恐らく『念話』とやらをしているのだろう。
それから待つことしばらく──
「……はあ、ほんとにわけがわからないわ」
「ど、どうなったの? シリルちゃん?」
突然、呆れたように声を漏らしたシリルに、アリシアが声をかけた。
「……これから脱出するそうよ。目的は果たしたって言っていたけど……」
目的を果たした? 敵の本拠地に乗り込んで、この短時間でか? 信じられん。
「……それは凄いな。本当だとすれば、それこそ一矢報いるどころの話じゃないぞ?」
エイミアも信じがたいといった様子で首を振った。
「あ! お城が離れて、……って、あれ? 落ちていく……」
シャルが指差した先には、低い駆動音を立てながら移動し始めた『ラグナ・メギドス』がある。だが、その高度はみるみるうちに低下しているようだった。
「で、でも、ルシアくんは?」
「飛び降りたみたい……」
「と、飛び降りたって……そんな無茶でしょ!」
『放魔の生骸装甲』があれば高所からの落下でも耐えきれるかもしれないが、流石にあの高さだ。無傷と言うわけにはいかないだろう。
「ええ、足の骨を折った挙句、生き残りのモンスターに囲まれているそうよ……ほんとに馬鹿なんだから!」
シリルの声を最後に、我らは急いで『ファルーク』に飛び乗ると、ルシアがいるだろう地上へと向かったのだった。




