【バドエン没案】電子書籍配信記念03:アリス・ホワイトは救われない
『電子書籍配信記念01:アリスの手紙』の続きとして書き上げたものの、内容から没となったものです。
バッドエンドな行く末を想像させる内容な上、アリスが非難されるような行動を取っているので、苦手な方は読まないことを推奨いたします。
一つ前の話の没案ですので、前半の内容は全く同じになります。
アリスに何かしたのかと聞いた時、久しぶりにベアトリス嬢の顔を見たルークは、間違いなく失態を犯したのだと理解した。
そうだ、彼女は最初に約束している。
ルークがかつての主を裏切るならば、アリスは見逃すと言っていたことを。
「根拠もなく疑い、証拠もなく問い詰めてくる。
実に浅はかな思考ですこと。
どこかの誰かさんにそっくりだわ」
呆れた様子を隠そうともせずに言われ、恥ずかしさから視線を逸らしそうになるのを踏み留まる。
見たくないのだと逃げてはならない。正しくあらねばならない。
ルーク・クラークはそう決めたのだから。
「恋に溺れる者はいつだって愚かね。
でもアリス・ホワイトに元気が無いとなれば、すぐに私が原因ではないかと思う癖は直した方がいいと思うけど」
優雅な手つきでカップが音もなく戻された。
「いくらサージェントが比較的穏やかな性質を持っていたとしても、それは過去の話。
今の私達は不要なものを排除するのに躊躇うことはないわ。
それはクラーク家が伯爵となろうとも変わらない」
今やルークの生家であるクラーク子爵家は、以前と変わらず騎士団長となったことから伯爵位を賜った。
前回と違うのはサージェント侯爵家に連なることから、留学にあたってはベアトリスの護衛も兼ねていることか。
ただし、一昨年の秋に唐突に護衛は不要だと言われ、お陰でアリスと過ごす時間が増えたが。
だとしても一時的な主も同然だ。
そんな彼女を疑惑の矛先を向けたのだ。しかも何の確証もなく。
過去の確執があるとはいえ、騎士を目指す者として恥ずべき態度だと、自然と俯きがちになる。
「無礼なことを問うたこと、謝罪いたします」
ベアトリス嬢は過去の出来事から、不貞と謂れなき罪を嫌う。
アルフレッド殿下によって起こされた冤罪で、ルークによって侯爵家に火を放たれたのだ。
当然のことだろう。
「そもそも貴方がするべきことは、私に疑惑を向けることではなく、婚約者から悩み事一つすら相談されない不甲斐なさを反省するべきではないかしら?」
更には至極もっともな正論がルークを折れた心を抉る。
こういったところは本当に容赦がない。
「とにかく私は何もしていないわ。
大体、選択している授業も違うから、今ではほとんど会うことはないの。
彼女は研究仲間との討論に忙しいし、私も婚約者と過ごす時間が必要だから」
表情が変わることもなく薄く笑みを作ったままの唇が辛辣な言葉を口遊むが、それでも言われるだけで済んでいるので随分と寛大な処置だろう。
再度の非礼を詫び、押しかけた昼食の場を辞した。
* * *
「実際のところ、どうなんだ?」
横に座っていたのに挨拶もされず、割と空気と化していたテオドールが尋ねてくる。
「テオも私が何かしたと思っているの?」
「まさか。そうじゃなくて、原因を知っているのかな?ってこと」
肩をすくめながら返事をするテオドールを横目に、ベアトリスは澄ました顔ではあるものの、焼き菓子へと手を伸ばすのを諦めた。
ただでさえ昼休憩に邪魔が入ったことで、ゆっくりできる時間が短くなってしまったのに。どうやらテオドールまでもがベアトリスの至福の時間を邪魔したいらしい。
焼き菓子は後でクラスメイトと食べることにして、紙袋に入れてもらうよう頼む。
それからテオドールに向き直った。
「そうね、彼女が落ち込む理由なんて少ないわ。
今は研究で躓いていないのならば、残るのは家族のことぐらいかしら」
ホワイト家の状況はベアトリスも把握している。
とは言っても、家族との手紙で数回確認した程度だったが。
留学してから初夏を二度過ごした頃、近所の青年がパン屋を手伝い始めたことは知らされていた。
バーリー侯爵による差配ではないかと一応調べ、全くの無関係であることも確認済だ。
そして、家も無ければ一時的な仕事にしか就いていなかった三男坊が妻子の為に安定した仕事を望むことだって、それをアリス・ホワイトの両親が受け入れることだって簡単に想像できた話である。
それもこれも、いつまでも帰らぬ娘がパン屋を継ぐ気など無いのだと察し、娘の将来の邪魔にならないようにという親心からに他ならない。
「家族と距離があることに気がついて、疎外感の中で感傷に浸っているところかしら」
「え、今更?」
テオドールが呆れた様子で当たり前のことを口にしたが、その当たり前がアリス・ホワイトには難しかったのだろう。
「家族とのことを考えるのは、無意識に避けていたのでしょうね。
長く帰らなくても薄情な娘だとは思われていない筈だと信じることができても、自分が帰らないことで起きることなんて少しも考えなかった。
賢いはずの彼女が今の結果に思い至れなかったのは、単に現実逃避をしていただけの話よ」
アリスにしてみればアルフレッド殿下と再会するのを避けていただけだったか。
それに、もしルークと一緒に帰るなんてことをしたら、理由など後付けで彼が殺害される可能性を心配してだ。
けれど、失われた未来にあったことを語るには、相手に同じ記憶がないと酷く難しい。
だから勉強や研究といった名目で帰省を避けていただろうし、それによっていらぬ親心が動かされただけの話である。
留学先で優秀であることを証明した今は、帝国に縛られて帰ることができなくなる。
この数年間、帝国からのいらぬ干渉を避けるために適当な点数を取っていたベアトリスと違い、ここで生きていくことを考えていた二人は常に成績は上位であろうと必死だった。
そして一昨年にアリス・ホワイトが学園外の学生向け学術研究発表会に提出した論文によって、皇帝陛下が直々に出資した研究所に鳴り物入りで就業することが決まっている。
しかも論文の内容を帝国内で成功させれば相応の地位、準男爵位が与えられるというのだ。
「あの論文を発表した以上、帝国はアリス・ホワイトという希少な存在を籠の中に押し込めるでしょう」
「あれねえ」
テオドールが冷めかけた珈琲を一気に飲み干した。
「俺の記憶が確かならば、あの論文が発表されるのは今頃だったと思うけど。
それに、あの論文は」
言い淀むテオドールに、「そうね」とだけ返して懐中時計を確認する。
そろそろ移動しなければいけない時間だ。
「あの論文が発表されるのは一ヶ月後の祝福の日。
本人が帝国の発展を願って縁起のいい日を選んだのだと、新聞で見かけたもの」
そう、逆行前でも帝国で論文は発表されたのだ。
「自分の研究アイデアを奪われた上に、ほとんど同じものを先に発表されたとしたら、一体どんな気分でしょうね。
精神的に追い詰められていたとはいえ、功を焦るあまりに人のものに手を出すなんて、私が彼だったら絶対に許さないわ」
アリス・ホワイトは賢い人間だと思っていたが、思ったよりも精神は未熟だったらしい。
さもなければ、期待外れで小賢しいだけだったかだ。
論文を盗むという考えに至った理由は何であれ、自分のアイデアではないと立証されることがないから大丈夫だと思ったのだろうか。
少なくとも貴族としての行儀を学ぶ際には、矜持や誇り、意識といったものも説かれたはずなのに。
大半の人が彼女の論文が盗んだものだなんて知らない。気づいてもごく一部だ。
なぜなら時が遡る前のことを知っている人々はベアトリスが決めており、その数は多いわけではないのだから。
アリス・ホワイトが罪に問われることはないが、他人のものに手を出す下品さをベアトリスも見過ごすつもりはなく、既に距離を置いている。本人も気づいているだろう。
ベアトリスの前で笑みを浮かべられる胆力は嫌いでは無かったが、品位に欠ける行動を取る者を横に置く気は無い。
当時、この論文を発表したのはアルヴィス・コナーという人物だ。
何年もかけて地道な研究を続けた経済学者だった。
さぞや驚いただろう。
実際、アリス・ホワイトが論文を発表した当時は、研究を盗んだのだと声高に叫んでいたのだから。
けれど、二人に全く接点が無かったことから偶然とされ、また先に論文を完成させたことでアリス・ホワイトに正当性が認められた。
本人は肩を落として憔悴していたが、若き才能を妬んでの行為だと口さがないことを言いだす者までいる始末。
帝国が見放すのならばと、遠慮なくサージェント侯爵領への移住を打診した。
手の平を返すように素っ気ない態度を取る周囲の中、救いの手を差し伸べたベアトリスに感激したコナーは、サージェント領を発展させる為に力を尽くしてくれると誓ってくれている。
あの論文は今やアリス・ホワイトのものだ。
けれど論文を書き上げるまでに至る道筋を歩いたのは、アルヴィス・コナーで間違いない。
アリス・ホワイトが論文通りに実践するだけなのと違って、彼は土地柄に合わせた細かな調整までしてくれることを約束してくれている。
話してみてわかったが、アルヴィス・コナーは非常に画期的な考え方の持ち主で、彼の論文は発想が大胆ながらも緻密な飴細工のよう。
きっとアリス・ホワイトが帝国で実験を行っても、決して成果が無いわけではないが、期待した程でもないはずだ。
彼自身で見て管理できるだろう範囲はもう少し狭い。侯爵領ぐらいが丁度いいのだ。
既に侯爵領内の新居にも慣れて一年。
今では精力的に侯爵領内でフィールドワークに勤しんでいるらしい。
留学を終えて帰国し、あの屑が無事に片付けられた時には、侯爵領の発展に色々と相談したいこともある。
非常に楽しみだ。
そろそろ移動しようと言って、立ち上がったテオドールが手を差し出す。
すっかり男性の手になったそこに自身の華奢な指先を添えて、ベアトリスも立ち上がった。
感想ありがとうございます。
誰もがコナーおじさんに優しいので、次の後日談はコナーさんを書くと思います(なんで)




