電子書籍配信記念01:アリスの手紙
本編11話辺り。ベアトリス達が卒業を迎える前の春の頃になります。
二人へ
お父さん、お母さん、お元気ですか。
私は元気にやっています。
前の手紙では急に驚かせてごめんなさい。
ビックリしたよね。帝国で働くことを決めただなんて。
でも、帝国の研究所に入れば一杯できることもあるし、それに給与も多いから仕送りだってできるようになるの。
毎月の給与が金貨1枚と銀貨15枚よ。
すごく破格だけど、私が優秀だからだって。
成果を出したら将来的には爵位もくれるかもしれないの。私が貴族になるんだよ!
ルークも無事に帝国の騎士団への入団が決まって、二人で頑張っていこうって話を昨日もしたところ。
ただ、問題が一つあって、こうなると帝国から他の国に行くのがとても難しくなるの。
すごく説明しにくいのだけど、私が国に帰るのはうんと時間が必要になると思う。
だから、私がこれから書くことに驚くかもしれない。
少し先の話にはなるけど私達の収入が安定したら、お父さんとお母さんもこっちに来ない?
別にこっちでお店を開き直してと言ってるわけじゃないの。
逆に今でも一生懸命働きすぎていると思うから、お店を畳んでゆっくりしたらどうかなって思って。
ほら、私達もいつか子どもができるかもしれないし、そんなときに頼れる人が誰もいないのは不安だから、二人がいてくれると安心できるし。
すぐの話じゃないから、少し考えてもらっていい?
次の再会は秋になるのかな。
卒業式には来てくれるのよね?
会えるのを楽しみにしてる。
二人の娘、アリスより
* * *
アリスへ
あたし達は元気にしていますよ。
お父さんが先日腰を痛めたけど、今では元気にしているよ。
今日もパンを作って忙しいから、あたしが代わりに手紙を書いているの。
アリスが決めたことだから、あたし達が言うことなんて何もないさ。
ずっと頑張ってきたんだろう?
それを認められるなんて、しかもお貴族様になるかもしれないなんて、親として誇らしいよ。
ルークさんもお仕事が決まったようで良かった。
他の国で働くのだから苦労はあるだろうけど、年が過ぎれば笑い話にもなる。
若いあんた達なら乗り越えていけるだろう。
それからアリスの申し出はありがたいよ。
けど、若い内から働きもしない両親を抱えるだなんて感心しない話だね。
二人とも、まだ働いてもなければ結婚もしていない。
ないもの尽くしで先の話をするもんじゃないさ。
心配しなくてもルークさんとのご縁のお陰でクラーク伯爵様の家に、とは言っても使用人の方達の賄い用だけどパンを買ってもらっているんだ。
伯爵様ともなれば、使用人の方達の中には男爵様といったお家の方もいる。
認めて頂ければ商売が広がると、お父さんったら張り切っているよ。
うちには息子はいないからお店は畳むつもりだったけど、アリスはバリーを覚えているかい?
ピーターソンさんの家の三男坊。
小さい頃は腕白だったけど、今じゃ周辺の若い子達をまとめ上げて自警団を作ったりしてさ。
ありがたいことにアリスが留学してからは、二人じゃ大変だろうと手伝いにきてくれてね、店を畳むのは勿体無いと後を継ぐために真面目にパン作ってるから、お父さんはあの子に店を譲るつもりだよ。
そうこうしているうちにバリーのお嫁さんが子を授かってね、今こっちはバタバタしているよ。
久しぶりに赤子の世話をするのかぁってお父さんはボヤいていたけど、そう言いながらも楽しみにしているようだったねえ。
後数年もしたら店を継いでもらうことになるけど、それまではバリーの子どもの世話なんかもあるから忙しくしているだろうねえ。
だからアリス、あたし達のことは気にせず自分達のことだけを考えるといいさ。
まだ先だけど、卒業式の為にと侯爵様がわざわざお洋服代と旅費をくださってね。
一緒の馬車には乗れないけど、クラーク伯爵様の使用人が乗る馬車にご一緒させてもらうことになったんだよ。
本当にありがたい話で。
奮発した一張羅を用意して会いに行くよ。
また会えるのを楽しみにしているからね。
愛を込めて母より
* * *
いつもより遅く届いた手紙に目を通し、息を止めて目を瞑る。
なんて浅はかな考えだったのだろうか。
侯爵家が何も手を打たないはずなんてなかったのだ。
数年大人しくしていれば、ベアトリス様が帝国に留学している間に動けばなんて仄かな期待を胸に、あわよくばを考えて行動した結果がこれだ。
ピーターソンは二つ隣の家だ。
時を遡る前は、アリスがパン屋を継いだ場合を考えてバリーを入り婿候補にしていたことがあった。
あの時は未来なんてわからず、自身の才能にも自信が無かったから、親に言われるままにパン屋を継ぐことがあればという口約束だけしていたのを憶えている。
時を戻ってからのアリスには自分で道を切り開けるだけの才能があるのだと自信があったし、早々にルークとの婚約が成立したからバリーの話なんて無くて、すっかり彼のことなんて忘れていたのに。
サージェント侯爵はアリスのことを調べ上げただろう。
当然だ、ベアトリス様の婚約者はアルフレッド殿下だったのだから。
その時にバリーの存在を知っていたとしたら。そして今になって誰か人を使ってパン屋で働くように斡旋したとしたら。
これだって憶測の話だ。
ベアトリス様に聞いても知らないと答えるだろうし、跡継ぎがいないのだから当然のように起こりえた話でもある。
前とは違う道をすすんでいるのだから、思いがけないことがあって当然なのだ。
なにより、侯爵家の働きかけによる周囲のお膳立てがあろうとなかろうと、頑固な父が認めなければバリーが後継ぎになれるはずがない。
アリスが家族と向き合わなかった結果に他ならない。
寂しい。
手紙だけで帰ることができないことに。
苦しい。
大切な両親を赤の他人に奪われ、アリスなどいなかったかのように新しい家族が作られていることに。
自分勝手な話だとわかっている。
ルークとの婚約話がきたときに、断れるのだからよく考えるように念押しをされたにも関わらず、アルフレッド殿下と離れた上に彼と一緒にいられるのだからと話に飛びついたのはアリス自身だ。
自分の選択肢に伴う苦痛だって理解していたつもりでいた。
その上で、親はいつまでも自分の唯一の味方で、一緒にいてくれるのだと甘い考えでいたのがいけないのだ。
既にアリスは親の庇護から離れた生活を送っている。
親もそれを認めている。
そして長期休暇も研究だなんだと理由をつけて一度も帰らない娘より、毎日顔を合わせて家を継ぐべく働く者がいるならば、心がそちらに寄せられても仕方のない話なのだ。
この気持ちを誰に言えばいいのか。
アリスに過去の記憶があることをルークは知らない。
言えば、知っていてルークを巻き込んだことを知られてしまう。
彼の中のアリスは勉強熱心で人の良い、善人なのだ。軽蔑されたくなかった。
もうここまできたのだ。
ここでルークに手を振り払われたくない。
このことは言ってはいけない。
死ぬまで、墓まで持っていく秘密だ。
ベアトリス様に言うこともない。
あの方は何もしないが、だからといってアリスを許したわけではないぐらいは察している。
今のアリスは孤独だ。
でもそれを望んだのはアリスだ。
まだ少し大人になりきれていないせいで、割り切ることも、覚悟も足りなかっただけ。
少し感傷に浸ったら夕食を食べに行って、それから今日ぐらい甘い物を沢山食べよう。
苦いコーヒーもそのままに飲めるようになったから少しだけ。
今日の夕食は何だろうか。
そう考えながら丁寧に便箋を封筒にしまう。
あるはずのないパンの焼ける香ばしい匂いが消えた気がした。




