13. ただのアルフレッドでは届かない
兄であるフレデリックの言葉によって子爵となることが決められた。
あの衝撃的な発言の後、アルフレッドは自室ではなく一番小さな客室へと押し込められている。
暫くしてからウィンザート公爵が部屋に訪れたが、告げられたのは兄の裁定が覆されることなく受理されたことだ。
アルフレッドは王家から除籍されて子爵になるのだから、身の丈に合った生活と金銭感覚を覚えなければいけないと言われ、叙爵までに王城から離れて小さな屋敷で生活することが説明された。
言われたことがわからない。
いや、状況だけならば理解はしている。
そうではなく、兄の無情な命令によってなぜこんな目に遭わなければいけないのか、それが理解できないのだ。
ウィンザート公爵に言えば、アルフレッドを暫く見つめてから首を横に振った。
サージェントから陥れられたアルフレッドとは違い、王家の一席に着く器量もなかったことから王家から早々に臣籍降下の命を受けた相手に馬鹿にされたように思え、詰め寄ろうとするも控えていた護衛騎士達がすぐに腕を掴んで行動を制限する。
思ったよりも強い力で掴まれて、振り払うことさえできない。
「こんなこと、父上が、陛下が許すはずもない!」
声高に叫ぼうとも、アルフレッドを牽制する態度が改まることはない。
言いしれぬ不安に襲われながらもウィンザート公爵を睨めば、嘆息が落とされたかと思えば呆れたとでも言いたげに首を振る。
「この度の処罰は事前に陛下とサージェント侯爵とで、フレデリック王太子殿下の裁定に任せるという約束が成されていた。
それを覆すことは今度こそ王家への信用が失墜することになるのですから、決してありえないのですよ」
とにかく、とウィンザート公爵の声が狭い部屋に響く。
「アルフレッド殿下の臣籍降下は決定事項。
もはや止める者は誰もおりません。
屋敷に滞在中は特別に子爵となるための教師が派遣されるので、領地経営で躓いて資金不足からの爵位売却などにならぬよう、しっかり勉強されるよう。
臣籍降下して以降の援助は最低限となりますので」
嘘だと、兄上と話し合う席を設けるよう言っても、誰一人として耳を貸さず、誰もが部屋から出ていったかと思えば外から施錠された。
子爵というのはこれ程までに貧しいのか。
馬車から降りたアルフレッドが屋敷を見た時、小さいという感想しか出なかった。
屋敷は二階建てで、どう見ても部屋数は多くない。
きっと部屋も狭いのだろう。
アルフレッドの見立てでは、二階に主人と女主人の寝室が一室ずつと一緒に使う寝室が一室、それから書斎と客室だろうか。浴室に十分なスペースが確保されていないかもしれない。
一階に食堂と厨房が必要だとすれば、残る部屋数を考えると応接間と使用人の部屋ぐらいしかなさそうだ。サンルームがあるかどうかも疑わしい。
門から屋敷までの距離なんて無く、馬車寄せの幅も狭くて馬車がギリギリ入るぐらい。
庭もそう呼ぶにはお粗末で、物置が悪目立ちしていて最悪だ。
けれど横に立つ教師役を名乗った見知らぬ男が、独り者の子爵としては十分な間取りの屋敷ですよと言うのに思わず舌打ちをした。
護衛騎士が動こうとしたが、それを男は制して穏やかに微笑む。
「構いませんよ。慣れない環境で誰かに当たらないと気が済まないだけでしょうから。
とはいえ何をされるかわからないとくれば、非力な私の為に皆さんには当分この屋敷に留まって頂くわけですが」
アルフレッドを屋敷に届けるだけに同行したと思っていた護衛騎士達だが、男の口振りではアルフレッドの監視の為か、狭い屋敷の中か外で待機するようだった。
迎えに出てきた使用人も男達ばかりで、誰もがアルフレッドよりもしっかりした体格をしている。
特に料理人の体格が抜きん出ていて、料理に文句の一つでも言おうものなら城で出されていたハムより太い腕で殴り飛ばされそうだ。
そして侍女は一人もいなかった。
夜。
そっとベッドから下りたアルフレッドは靴を履き、上着を呆れる程小さなクローゼットから取り出した。
明らかに質の悪い上着に眉を顰めたが、他に着るものがないので仕方なく袖を通す。
カーテンを気づかれない程度にめくり外を見れば、庭にいる護衛騎士はたった一人で、見回りは行わず適当に立っているだけのようだった。
どうせアルフレッドが悲嘆に暮れて、閉じこもっているとでも思っていたのだろう。
実に愚かなことだ。
アルフレッドはこのまま子爵になるつもりなどない。
ベアトリスが本来あった道を正しく歩かないせいで、最悪な方向へと枝分かれした今を修正しなければならない。
それを咎められる謂れは無い。
王家がサージェント侯爵家を裁けぬというのなら、アルフレッドがサージェントを消失させて王家の目を覚まさせるのだ。
事前に暖炉の火を起こす練習だとして火付け道具を持ち出したまま上着のポケットに潜ませている。それから火がつきやすいようにと数枚の紙と油の瓶も。
時が遡る前同様に火炙りにしてやると、アルフレッドは部屋を出て薄暗い廊下を歩き出す。
貧乏くさい屋敷の中は廊下にロウソクを灯す余裕がないのか、月明かりを頼りに歩かなければいけないが見つかりにくいという利点もある。
足音を立てないようにと靴を脱いで階段を降り、今日教師役を名乗る男に案内された裏口へと続く使用人用の扉を僅かに開ければ、運良く護衛騎士の姿は無い。
靴を履き直すと影を伝いながら歩いて、正門とは反対に位置する裏口の扉に身を差し込んで滑り出る。
当初の計画通り、アルフレッドは屋敷の外に出ていた。
自分にかかればこんなものだと、鼻歌混じりになるのを我慢しながら歩き出す。
馬車で移動時に外を確認していたので大体の場所は把握しているし、サージェント侯爵家には何度か行ったことがあるので、所在地も問題無い。
問題があるとすれば、馬を入手できなかったので徒歩となることぐらいだが、後少しすればサージェント侯爵家に思い知らせてやることができるのだと思うと寛大な気持ちになれた。
なるべく人に会うことのないよう、高位貴族の屋敷の正門側を避けて歩いていく。
大きな道を歩くと門番たちの目に着くからだ。
門番如きがアルフレッドの顔を知っているはずもないが、呼び止められでもして家の者や使用人でも地位の高い者が出てきたら困るからだ。
そういった大きな道の方こそ憶えているが、王都の道は碁盤目状に作られているから迷うこともない。
上着のポケットに手を突っ込んで油瓶の感触を確かめ、火付け道具を落としていないかを確認しながら歩く。
通り過ぎるいくつもの屋敷は灯かりが落とされているところや、逆に明るいままと様々で、大きな屋敷の前を通るたびに影へと身を潜ませて歩いていく。
少しだけ近づいた城も明かりを絶やすことなく存在を知らしめている。
後少し。もう少しでアルフレッドはサージェント侯爵家を再び火中へと追い込み、あの華やかな場所へと返り咲くのだ。
ぬめりを帯びた憎悪を抱きながら、一歩一歩と足を進めていく。
馬車の音がすれば身を潜め、帰りを急ぐ使用人がいれば顔を伏せて道の端へとズレた。
そうして見覚えのある屋敷が見えてきたとき、思わず歓声を上げそうになった。
アルフレッドの終着地点。そして再び栄光の道を進む分岐点。
誘われるようにフラリと歩き出した瞬間、
「本当に来るとはな」
と低い男性の声が聞こえて、ビクリと体を震わせて歩みを止める。
視線を声の方へと向ければ、黒一色に染まった男が屋敷から漏れ出る灯かりへと踏み出してきた。
「お前はベアトリスの」
夜会でベアトリスをエスコートしていた男だ。
名前は憶えていないが帝国辺境伯の息子だったか。
「屋敷に送られて早々に行動するとか馬鹿なのか?
いや、馬鹿だな。ベアトリスが頭の弱い男だと言っていたが、ここまで振り切れた奴だとはさすがに思わなかった」
肩をすくめてみせた男のどこにも隙が無い。
帯剣していることから剣の腕にも覚えがあるのだろう。
武器を何も持たないアルフレッドには不利だ。
「まあ、いいさ。来たならお迎えするだけだ」
一歩後退ったところで、何かが背中に当たる。
慌てて振り返れば頑強そうな男が後ろに立っていた。
そいつだけではない。気づけばベアトリスの婚約者同様に、黒一色の服で身を潜めていたらしい男達が影から生まれてきたかのように姿を現す。
「まさか、俺を嵌めたのか?」
そう言ったところで背後の男に突き飛ばされて地面に倒れたアルフレッドを、男達は手慣れた様子で腕を捩じ上げながら猿轡をした。
「嵌める?お前が子爵となって屋敷に送られるのが今日だとは聞いていたが、どうやってお前の意志を操作するっていうんだ?
責任転嫁だけがお上手な脳味噌で理解できると思わないから言ってもしょうがないが、ここに来たのはお前の意志。
そして浅はかな考えが透けているから念のため周囲を警戒していたら、まんまと引っ掛かっただけ」
普通に考えて警戒するだろ、と言って笑った男はしゃがみこんでアルフレッドの顔を覗き込む。
「なあ、誰にもバレずに上手に屋敷を出られたか?
屋敷にいただろう護衛騎士達に出るところを見られなかったか?
この時点で誰も姿を見せないから、本当に運良く見つからずに来られたみたいだけれど」
「これ、どうします?」
まるで物を扱うかのようにアルフレッドの体が軽く叩かれる。
「ベアトリスの不利になることはしたくないし、そうだな、物置に入れておいてくれるか?
王家がこちらに探りを入れてくるようだったら返してやってもいい」
承知しましたと縄で縛られ担ぎ上げられる。
ベアトリスの婚約者がアルフレッドのポケットを探り、中にあった物を取り出せば紙が地面へと落ちた。
火付け道具と油瓶を見つけた男から笑みが消える。
「なるほど、侯爵家に火を点けようってことか。
ベアトリスが聞いたら本気でキレそうな下らない考えだ」
よし、と言った男は再び笑みを浮かべた。
「もし王家から引き取りが来ないようなら、侯爵領に運び込んで火遊びでもするか。
ベアトリスが駄目だと言ったら辺境伯領で遊んでやろう」
蠢くだけの芋虫に成り果てたアルフレッドの体が暴れるのを気にする様子も無く、男達は微かな笑い声を上げながら歩いていく。
静かに裏門が開けられ、呻く声すらも他の屋敷には伝わらないまま、抵抗できないアルフレッドは運び込まれようとしている。
これから迎える自身の結末を考えたくなくて、必死に視線は助けを求めるために周囲を彷徨せた。
既に夜更けへと変わる今、この辺りを歩いている者など誰もいない。
誰か、という言葉すら形を作ることも許されない。
その時、ぐいと耳が引っ張られた。
ベアトリスの婚約者が内緒話でもするかのように口を寄せてくる。
「俺の最愛に火を点けたのは忘れていない。
サージェントにしたみたいに、お前は跡形もなく燃やしてやるよ」
どうして遡る前を知っているのか。
秘宝を触ったことが記憶の残る切っ掛けになるのではないのか。
誰が知っていて、誰が知らない?
アルフレッドの疑問に答える者などもういない。
灯りの届かぬ先、黒に塗りつぶされるようにアルフレッドの体は闇に呑みこまれていった。




